先日からの続きです。
(↑左が
盛岡城跡公園です。川は内堀の役目も果たしていたようです。)
でも、こうやって、岩手県出身の総理4人の顔ぶれを見ていると、やはり、
鈴木善幸さんだけはちと異質ですね。
年齢的にも一番開きが大きいのはもとより、他の3人は戦前でうち2人は
暗殺され、天寿を全うした
米内光政も少なからず生命の危険を囁かれましたことを思えば・・・と。
ただ、元々、他の3人は何だかだ言っても
士族の出身なんですよ。
つまり、当初からそこへ行くべき人たちだった・・・と。
(←城内にある庭園の池。昔は堀だったのかも。)
その点、善幸さんだけは、三陸沿岸の
山田町の
網元の出で、地域ではそれなりに名家ではあったのでしょうが、県都盛岡の出身でも無く、士族の出でも無いという意味では、「自ら志し」た人だと言えるでしょうか。
まあ、この方は元々、
名総務会長と呼ばれた
調整の人だったわけですし、総理になった経緯もどちらかと言うとハプニング的だったように記憶しておりますので、この点は同列に考える事自体ちょっと酷な気もします。
(←この水が盛岡人の気質を作ったような気がします。)
ただ、それでも原が暗殺された時、翁は10歳。
子供心にも非業の死を遂げた郷土の偉人という意識はあったでしょうし、齋藤が暗殺された時には25歳ですから、郷土出身の総理が凶弾に斃れたという報には何かしら思うところがあったのではないでしょうか。
(↑盛岡は他のどの街とも違う独特の風情があります。私は結構、こういうの好きです。)
そこまで考えて、ふと、昨今の日本の指導者たちの浮世離れした考え方に絡み、「はて、戦争経験がない総理というのは誰からだったろうか?」ということに思いを馳せてみました。
中曽根さんまでは大正生まれのはずですから、そこから後を調べてみたところ・・・、奇しくも時代が平成と変わってすぐの平成元年の
海部俊樹さんがそうでした。
でも、海部さんは
昭和6年生まれですから、終戦時、14歳にはなっていたはずで、であれば軍事教練や空襲の体験はあるはずで、それすらもない世代の総理となると・・・、昭和13年生まれの
細川護煕氏がその嚆矢、後は、
村山富市氏を別とすれば、すべて戦前昭和二桁生まれで、初めての戦後生まれ、つまり、「戦争を知らない」総理となったのが
安倍晋三氏なんですね。
その後、
福田康夫、麻生太郎の戦前世代の揺り戻しはあったにしても、
鳩山由紀夫(昭和22年)、
菅直人(昭和21年)と戦後世代が登場するようになり、迷走が極まった観がします。
嗚呼、戦後は遠くなりにけりですね・・・本当に。
平太独白