昨日の続きです。
まず、こちらの地図(↓)をご覧ください。
右下の上流から下ってきた
鉢の底川はすぐに大通りを横切ることになっているのがお分かり戴けると思います。
この大通りを挟んで南が
上人参町、北が
中人参町だったわけですね。
で、昨日も申しました通り、上人参町を過ぎ、いよいよ、私のホームグラウンド
博多駅前三丁目地区に入ります。
まず、大通りを過ぎてすぐ、この両側(↑)がかつての中人参町です。
ちなみに、この辺りの電柱には未だに
「人参」と書いてあります。
また、人参駐車場、人参公園、人参ビル・・・などというのが散見されますが、実はすべてうちの物・・・・・・・ではありません(笑)。
残念ではありますがw
で、右の塀は福岡藩三代藩主
黒田光之の家老にして、茶道・
南坊流を確立した
立花実山の創建になる
東林寺で、ここまでが中人参町、その先からいよいよ、我が、クラウンランド・
下人参町に入ります。
と言っても、ここら辺はすべて、
昭和40年以降の
博多駅地区土地区画整理によってすべて区画が変わっており、当然、この先の四つ角もありませんでした。
当時はこの道までが東林寺の境内で、その向こうにあるビルのさらにその向こうが道で、つまり、道はこの家1軒分向こうに存在したわけで、それが我が家の前の道でした。
つまり、我が家の前の道を西に向かうと、鉢の底川があり、その橋を越え、
往還通りを越え、ここ(←)に繋がっておりました。
今ではコインパーキングですが、昔はここには
アーケード付きの
「榮市場」と呼ばれる、ちょっとした市場がありました。
ちなみに、下人参町だけは正式町名に申請しておらず、従って、上人参町、中人参町は正式町名として記録に残っておりますが、下人参町だけは通称でしかなく、正式には「大字春吉」となっており、往還通りを挟んで右が字
馬場添、左が字
なみ松(なみは変換出来ません。当初、読み方もわかりませんでしたが、古老に教えてもらいました。)
そのまま、川は流れ続け、下人参町を出ますが、続きは次回ということで。
平太独白