で、昨日の続きです。
昨日も申しましたように、鉢の底川はこの、かつて、往還通りと呼ばれた旧道の右側、この部分(←)を走っておりました。
幅的にはちょうど、この白いラインより少し広いくらいだったでしょうか。
狭いながらも、車が離合(福岡人は皆、これを標準語だと思っております(笑)。)できておりましたので。
ちなみに、この右手、横切っている道路を挟んで手前がキョウカイ住宅(我々は子供心に「教会住宅」だと思っておりましたが、協会ですよね?)、奥が県営東領住宅・・・でした。
住宅・・・と言っても、団地で、とはいえ、私が子供の頃はこちとらは大正時代竣工の隙間風ビュービューのぼろ家に住んでる身ですから、輝いてましたよ。
今は共に解体されて、もう、往時の面影はありません。
同級生もたくさん住んでたんですけどねぇ。
昔は、町内対抗のソフトボールの試合などで、この両団地と当たると、「あーあ、もう負けた」というくらい、人が一杯だったんですが。
で、その県営住宅を過ぎ(←)、もう少し先で東領は終わり、やがて上人参町に入ります。
ちなみに、県営住宅の方は最近、建て替えられ、協会住宅の方は、今、マンション工事中ですが。
(↑東領と上人参町の境界がどっか、この辺です(笑)。)
ここら辺が上人参町(↑)です。
この先の、バスが止まっている道が
住吉通りで、ここから向こうが
中人参町となっておりました(↓)。
(↑ここから先が中人参町、そして、我がクラウンランド・
下人参町へと続いていきます。)
当時は、なぜ、下人参町と中人参町がこの大通りのこちら側にあるのに、
上人参町だけが向こう側なんだろうといつも疑問に思ってましたが、町が先で、後から博多駅の移転に伴い、町を切り裂いT住吉通りが走ったんですね。
私はもう、まったく覚えておりません。
ちなみに、今では、この住吉通りが
博多駅前三丁目と
同四丁目を分ける境界となっております。
ということで、いよいよ、私のクラウンランド、博多駅前三丁目に入りますが、もっとも、この先までは中人参町ですので、正確には
属州の境界を超えた・・・みたいなものでしょうか(笑)。
ということで、また、次回に続きます。
平太独白