昨日の続きです。
まず、前博多駅移転に伴い、線路も移動したわけですが、その際、それ以前が踏切事故が多かったからか、博多駅に近い辺りは高架とされましたので、当然、高架下には幾つか、トンネルが設けられました。
で、昨日申し上げた、国鉄線路移動後、数年間だけ、流れを変えられて存続していた鉢の底川は、このトンネル(↓)の付近を通って、向こうへ抜けていました。
具体的に、どこをどう抜けていたかは定かではないのですが、このトンネル、明らかに少しおかしいんですよ。
他のトンネルは皆、十分に車が片側一車線ですれ違える広さなのですが、ここだけはかなりギリギリでして・・・。
子供の頃から、何かしら違和感を感じてましたが、もしや、これは元々、歩道と水路の幅だけだったのではないか・・・と。
ただ、私も、子供心にも、ここに水路が走っていた記憶はありません。
昔は、この付近には友達がたくさん居たので、機会があれば聞いてみたいと思いますが、とりあえずは宿題です。
で、トンネルを抜けた先は、ここ(↑)へ流れていました。
この道が、当時は誰言うとも無く呼ばれていた
「往還通り」です。
鉢の底川は、この通りの右側に沿って流れていました。
従って、右側にあった家々は、皆、鉢の底川の上に橋を渡して、出入りしてました。
この付近は今は
博多駅前四丁目という味も素っ気もない地名ですが、当時は
「東領」という地名で呼ばれていまして、この、東領という名も、どういう謂れからだったのか興味が有るところですが、まあ、私にとって、地元ではあるもののクラウンランドというわけでもありませんので、こちらはそのうち、またいずれ・・・ということで(笑)。
とはいえ、「東の領土」ですから、ここの西には
住吉神社があることを思えば、あるいは、同社の
「東側社領」ということだったのかもしれませんが。
ちなみに、以前、住吉神社さんに聞いた時には「さっぱり、わからない」と言われました。
残念ながら、「実に面白い」とは言われませんでしたが(笑)。
続きは明日のココロだ~の巻。
平太独白