先日からの続きです。
立体交差「宮島跨道橋」の設置で完全に流れを断ち切られた鉢の底川ですが、ここから先は、再び、地図をごらんください。
くどいようですが、右下が上流、左上が下流です。
右下から少しの所で流れてきた川は黄色い線で示された跨道橋を横切り、直進しているのがわかると思います。
これは、昭和37年(1962年)の地図を見るとこうなっているのですが、この、昭和37年という年はまだ、前博多駅の移転開業の前年でして・・・。
つまり、国鉄の線路はここを横切っておらず、川と平行に流れていたわけで、つまり、川の流れを変える必要はなかったということですね。
(しかも、開業は12月で、地図の調査は発行より前ということを考えれば丸2年くらい前だったのではないでしょうか。無論、工事は進んでいたでしょうが、それを考慮しても・・・と。)
従って、川はこの方向(←)に直進し、ちょうど矢印の方向に、斜めに道路を横切り、新幹線の橋脚の下を貫いていたわけです。
で、その先は、この部分(↑)に出るわけですが、そこに行く前に、冒頭の地図の中で私が赤い線で点線を引いている部分をご覧ください。
これは、その少し後の地図、確か昭和42年頃の物だったと思うのですが、それによると、当時、川は国鉄の線路と交差しながらも、まだ、宮島跨道橋が出来てなかったようで、流れを変えられて、しっかり存続していました。
その流れが点線部分で、現在のこの部分(←)を手前から奥に向かって流れていたようです。
ここを川が流れていた期間は、おそらく、前博多駅開業の昭和38年頃から拙宅が区画整理にかかった昭和43年頃までの、たぶん、5~6年だと思うのですが、ここから先は話はいよいよ、私の地元、博多駅前地区に入ります。
ということで、続きはまた、次回ということで、バイなら。
平太独白