昨日の続きです。
つまり、ここまで流れてきた鉢の底川は大日本麦酒(現アサヒビール)の工場が出来ることによって、それまでの流れを強引に直角に曲げられて左折し、工場の周縁を周るように流れを変えられてしまった・・・と言いたいところですが、もっとも、こういう物を建てる所はそれなりに元々、土地はしっかりしていたと考えられ、工場の有無に関わりなく、小丘に突き当たって流れを変えていたのを敷地に沿って整備したとも考えられます。
いずれにしても、川はここ(↑)で2つに分けられ、そのまま、ここ(↓)へ流れ込みます。
で、この橋の下をくぐった先で右側は直進、左側は取水口のような物の中(↓)へと消えていきます。
おそらく、ビール工場が川を2つに分ける為の請願工事を行ったのは、それまで、下流の田畑を潤していた鉢の底川の水をビール醸造のために分流する目的で、つまりは当時はそれほどに川の水は清らかだったということなのでしょう。
もっとも、これにより、水量が減ることになる下流の住人からは激しい抵抗があったことが予想されますが。
ちなみに、この請願工事が竣工した
昭和14年と言えば、日本は
ソ連と
ノモンハンで軍事衝突を起こしており、2年後には
太平洋戦争が勃発するわけで、実際、この12月には
白米禁止令やら
木炭の配給実施やら、世相はビールどころではなくなりつつあったことは間違いなく、おそらくは反対運動で遅れに遅れてこの年になったということだったと。
ちなみに、これより24年後の
昭和38年に現博多駅の
先代の博多駅が竣工するわけですが、これも年が押し迫った12月のことで、農民の反対運動で遅れに遅れた結果だったそうですから、年末の「12月竣工」ということ自体、何やら、そういうことを思わせます。
ちなみに、その博多駅の移転新築計画が最初に持ちだされたのも、この昭和14年だったそうですから、何やら因縁めいた話ではあります。
で、本流はそのまま、一直線に先に進みます。
ちなみに(くどい?(笑)。)、ビール工場に注ぎ込んだ川は当然、今の水質では使われていないのだろうと思いますが(あるいは、浄水して使っているのかもしれませんが。)、こちらの先のことはまた、後日。
次回に続きます。
平太独白