昨日の続きです。
昨日の航空写真でおわかりのように番托井堰のある場所は、現代でも殆ど陸続きのように見えるほど中州に樹木が繁っており、つまりは、そもそもが一帯は土砂が溜まりやすい場所だった・・・ということなのでしょう。
昔はダムなどはありませんから、雨が降れば水量が増え、降らなければ減り・・・という状態で、水量が減ってチョロチョロとしか流れていない時ほど、工事もしやすいし、需要もあったということでしょうが、反面、一旦、大雨が降れば堰も流されることになり、さらに、こういう土砂で流れが滞りがちになっている所では水は他に逃げ道を探して
支流を作る・・・。
それが、おそらく、ここに堰が気づかれる前の
鉢の底川の状態だったのでしょう。
特に、番托に井堰が築かれて、ここより上流の水位が増えると、鉢の底川に水が流れるのは基本的に常態化していったと思われます。
で、ようやく、ここから鉢の底川に入ります。
まず、鉢の底川の源流一帯を現在の地図で見るとこう(↓)なっています。
つまり、堰の下流にももう一本、枝分かれした形で那珂川に注いでいるわけですね。
実はこのシリーズを始めるにあたって、話を上流から始めるべきか、下流から遡っていくべきか・・・で結構、迷いました。
無論、私にとって馴染み深いのは下流ですが、現存していない為、そこから話を始めると話が極めてわかりにくいのに対し、上流から始めると話が進めやすい反面、問題となってきたのが、この分流と、川の起点となる源流のすぐ近くで合流している川の存在でした。
つまり、この状態で、ここが
鉢の底川の源流だと決めつけて良いのか・・・ということですが、結論を先に言えば、この川は現在でも地名になっている
「五十川」でして、一応、別の川と考えて良いと思い至りました。
こちらの方は、後日、このシリーズが完結した後で、また、番外編として別途、話を続けるつもりですので、話を先に進めるとして、こちらの源流も確認して来ましたが、どういうわけかここにも堰があり、同じく、堰を挟んでそれぞれに那珂川に繋がってました(↓)。
(どういうわけか、ここも河川工事中でした。)
しかも、地図を見た限りでは下流側のほうが後からむりやり、開通させた観があるのに対し、実際に行ってみると、上流側の方が圧倒的に存在感が薄いんですよ。
(↑下流側水路が那珂川に注ぐ部分です。左から、ここまで五十川が合流してきているのがわかります。)
これは私見ですが、おそらく、当初、農業用水や飲料水として使っていたのが、都市化の進展とともに逆に生活排水を流す為の川となったことから、堰の下流に別途、川を掘ってここに排出したのではないかと愚考します。
(事実、前々回載せた昭和の地図には下流側の水路は載っておりません。)
ということで、次回に続く。
平太独白