先日よりの続きです。
間が空いてしまったので、どこまで書いたかわからなくなっているのですが、まあ、気が向くまま・・・ってことで(笑)。
まず、私が「鉢の底川は上流では生きている」ということに気づいたきっかけとなった那珂八幡宮ですが、実はここに来るのは初めてではありませんで、30年ほど前でしょうか、仕事ついでの昼休みにぶらりと訪ねたことがありました。
当時は、昔の「村社」を市街地が取り囲んだって感じで、道は狭いし、入り組んでるしで、わざわざ行くのはちょっと・・・という感じだったのですが、今では傍らを大通りが通り、わかり易くはなったのですが、味気ないっちゃあ味気ないような(笑)。
で、ここ・・・ですが、大通りで割かれているものの、この辺では唯一・・・みたいな小丘になっており、今でこそ、ビルだらけで見晴らしは良くないでしょうが、戦前くらいまではかなり見通しが利いたのではないかと思いつつ、行ってみると、やはり、前方後円型の古墳でした。
ただ、古代には周辺の豪族の古墳であったとしても、他の時代でも有事の際の
防衛拠点という観点から考慮すれば、この立地を活かさない手はない筈で、中世にはここは城(砦)だったのではないか・・・と。
(少なくとも、山賊や洪水などから身を守る避難所ではあったでしょう。)
で、ここに登った後、周囲をぐるりと回ってみると、まるでこの小丘の同心円上に形作られたのではないか・・・と思えるような川が一つ・・・。
と言っても、川・・・というよりも「側溝」と言ったほうが適切ような生活排水用のドブ川(水はわずかでしたが。)でしたが、「これは、今でこそ、ドブ川だがもしや、城の防衛の為に人工的に掘られた
堀」ではないのか・・・と思い至りました。
であれば、他にもこういう堀の名残の川はあるはずだ・・・と思い、今度は、通りの向こうにある緑地に行ってみると、こちらには
地蔵堂があり、おそらく、開削前は同じ敷地だったのでしょう、さらに他の緑地も探して散策していると、再び、神社に出、こちらは
地禄神社となっておりました。
地禄神社とは、地禄とは「土地を肥えさせる」という意味で、地味肥沃、農耕の豊作を祈願した神社なのだそうですが、
福岡市近辺では割りと見かける神社でして、私はてっきり、
愛宕神社などと同様に、日本中、どこにでもある神社だとばかり思ってましたが、これは福岡独自の土着信仰だったようですね。
私もちょっと意外でした。
なかなか、本題には行き着かないけど、次回に続く。
平太独白