以前、まったくの自己満足として、
平太郎独白録 : 博多駅前史という一部のマニア向けの特集をやっておりましたが、今回も再びの自己満足シリーズです。
私が子供の頃・・・、昭和44年に現在の博多駅前になる以前の、それまでの福岡市下人参町の我が家は2本のドブ川に挟まれた地域にありました。
(←これが走っていた時代です(笑)。)
従って、たびたび、触れておりますように、大雨が降るとすぐに床下浸水になってましたが、当時は割りと普通にあったドブ川でしたし、私が生まれる前までは周囲は田んぼばかりだったそうですから、田に水を引くためのクリークのなれの果て・・・だったんだろうと思い、特に、気にしてませんでした。
それが、博多駅前史を書こうとして調べているうちに、現在のキャナルシティ前に「鉢の底川」という名前を見つけ、「そういえば、ドブ川があったような・・・」と思い、辿って行くと、その川が我が家の傍を流れていたドブ川の1本に繋がっていたことがわかり、「あ、あのドブ川には名前があったんだ」と知りました。

(↑いずれも画像は、以前、ご紹介した大分県は
豊後高田市にある
「昭和の町」にて撮影したものです。我々の年代には結構、ここはワンダーランドでしたね(笑)。)
亡父からは特に、この川のことについて聞いた記憶は無いのですが、この川のもう一本向こう、現在の
住吉神社の中にも昭和の初めまでは小川が流れており、大変、綺麗な
清流だったそうですが、上流に
地下足袋工場(現在の九州松下電器?)が出来、そこの廃液が流れこむようになって、一気にドブ川になった・・・という話も伺いましたので、あるいは我が家の近所の川もそうだったのかもしれません。
で、もう一本のドブ川の方はおそらく、クリークのなれの果てだったのでしょうが、文化時代の絵図には、この辺に
「小金川」という川が流れており、「今ハ田と成ル」との記載がありますから、それを掘り起こした川だったのでしょう。
一方、「鉢の底川」の方は、その後、色々と聞くうちにこの川は、江戸時代初期、元禄年間の地図にしっかり載っていることがわかり、「あ、これはクリークじゃないな」・・・と。
で、その後、博多駅土地区画整理事業に伴い、この川は無くなり、今は暗渠にされているんだろうとばかり、思っていたのですが、数年前にたまたま、道路工事していたのを見ると、完全に潰してありました。
(工事の人も、「やたら、瓦礫やらなんやら出てくるからおかしいなと思っていたんですよ」・・・と。)
元禄年間の絵図画像も昭和14年の航空写真もありますが、やはり、ここで掲げるのは控えさせて頂いた方が良いと判断し、次に続きます。
平太独白
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