この週末、ちょいと思い立って、大分県は国東半島の方まで行っておりました。
まあ、目的と動機は色々あったのですが、まずは宇佐神宮です。
ここは、どういうわけか、私は子供の頃から何度か行っておりまして、「ああ、また、ここか」と思った記憶もあるくらいなのですから、実際、そうだったのでしょう。
(私的には、宮崎県にある
鵜戸神宮の方が印象に残っているのですが。)
ところがなぜか、迂闊にも・・・というべきか、うちの子供らは連れてきた記憶がないんですね。
で、今回、渋るガキを一匹引き連れて、こちらに行ってきたわけですが、向かうとなった時点で、宇佐神宮が割りと近くにあるということに気づきました。
(「同じ九州なんだから、どの辺にあるかくらいは知ってるだろう」というご指摘もあるかと存じますが、同じ福岡県内でも
北九州や
久留米になると、まるで土地勘がなく、ましてや県境を越えれば、「あ、あそこはここの近くだったんだ」という程度の認識でしかありません(笑)。その意味では、むしろ、4ヶ月居た栃木県内のほうが大体の位置関係くらいはわかりますね。)
かく言う私も、たぶん、40年ぶりくらいに行ったと思うのですが、今見ると、「こんなに立派だったか・・・」という感がしましたね。
東に
伊勢神宮あれば、西に
宇佐神宮あり・・・で、
「我々、九州人にはここがあるんだ」って気にもなりましたよ。
もっとも、「やはり、伊勢神宮に似てるな」・・・とも思いましたけどね(笑)。
実際、ここは
道鏡の
天皇位簒奪事件の時も、はるばる、
和気清麻呂が奈良からここまで神託をもらいに来たわけですから、やはり、全国の
八幡神の総本山として、伊勢神宮に次ぐ格式を持っていたのでしょう。
それにしても、清麻呂は
電車も
自動車も無い時代に良く、こんな所まで来ましたよねぇ。
江戸時代の
東海道でも、結構、行き倒れなる人もいたそうですから、ましてや、それより
千年も前であれば、行って帰るだけで、かなりの大冒険・・・だったんじゃないですか?
ということで、3月はあまり、起稿出来なかったことの申し訳なさの帳尻合わせの投稿で、明日に続く・・・と思う・・・んですけどねえ・・・。
親愛なるアッティクスへ
平太独白