親愛なるアッティクスへ
先日、たまたま、友人からチケットをもらったので、息子を連れて、サッカー、アビスパ福岡の試合を見に行ってきました。
(サッカーファンの方、すみません。どうしても、世代的に野球の方が馴染みが深く・・・。)

ところで、私は物心付いた頃から、本が好きでしたので、今でもかなりの数の
蔵書類を所有しておりますが(もっとも、
玉石混淆!学術本からマンガ、**本まで・・・。)、ただ、家内などは、この点にはまるで理解がなく、私が死ねば、如何に
貴重な蔵書類と言えども、間違いなく、
「燃えるゴミ」行きとなるでしょう(泣)。
家内はこともなげに言います。
「一回読んだらもう読まないでしょ。だったら
捨てれば。
置き場所取るのよねー。それに次から次に新しいの買うわけでしょ。
増えるんなら減らしてよ。」
・・・確かに家内の言い分にも
一理あります。
一度読んだのを、また、引っ張り出して何度も読むかと言えば、
「否」であり、とすれば、増えていく蔵書類・・・。
決して
広いとは言えない我が家と、
「収納」という言葉が辞書にない家内を考えたなら・・・。
でも、私は
蔵書類を捨てません。
なぜか。
それは、
「老後」の為です。
以前、誰かのコラムで読んだのですが、(その方は間もなく、定年を迎えるような年配の作家か何かだったと思うのですが、)曰く、「私はまもなく
老後になる。老後になれば、考えていることがある。それは、若いとき読んだ本をまた引っ張り出してきて、再び、それを読み返そうと思っていることだ。当時と今とでは、同じ本を読んでも
違う感慨があるだろうし、その本に対する思い出もあるだろうから、『この本を読んだときは、あそこに通っているときだったなー。』、『この本を読んでいたときは、あんなことがあったんだよな・・・。』などといって当時の思い出もよみがえるかもしれない。そう思って、私はこれまで読んだ本を、捨てずに持ったままにしている。」という意味のことが書いてありました。
私も今は、残念ながら、昔の本を資料という意味以外で読み返すことはありません。
それは何より、一度得た知識を確認するという作業よりも、まだ、新しい知識、知らない知識といった
未知の領域というものを自分が求めているからなのだろうと思います。
しかし、もう、新しい知識を得ることを必要としなくなったとき、私は昔読んだ本を本棚から取り出して、改めて読み返してみたいと思っています。
もう、そんなに遠い話でもないでしょうから・・・。
あるいは、かつての本だけが、私の老後の無聊を慰めてくれることになるかもしれませんし・・・。
「滑稽でしょ若い頃♪笑い話に涙が一杯♪涙の中に若さが一杯♪」
私も
島倉千代子の
「人生色々」の歌詞が理解できるような年になりつつあるようです。
ということで、奥さん、あまり、私の蔵書類を
邪険にしないでください・・・(泣)。
平太独白
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