先日、ちょっと所用があり、久しぶりに旧博多部(いわゆる本当の「博多」と呼ばれる所です。)に行って来ました。
わかりやすくと言うと、博多駅から博多港に向かう間の地域・・・といったところで、旧市街という点では、ちょうど東京で言えば神田みたいな感じでしょうか。
でも、この辺はまだ、私が子供の頃の世界、下人参町時代の雰囲気が残ってますねぇ。
で、所用が午前中で済んだので、昼飯がてら、ちょっと行ってみたい所があり、ちょいと行ってきました。
それが、ちょうどこの日まで「博多百年町家 立石ガクブチ店ギャラリー」で開催されていた、「映画看板の神様」と呼ばれた城戸久馬之進画伯の作品展です。
まず、こちらの立石ガクブチ店さんは、如何にも、この地域らしい老舗で、築100年を超えるという店内にはまだ、昔の防空壕(↓)が残ってました。

深さは当時の半分くらいになっているそうですが、この辺りは、元々、
平安時代頃からの
埋立地で、
戦前までは
井戸が使えず、飲料水は売りに来ていた物を買っていたというような地域ですから、当然、乾燥した土地柄とは到底考えられず、良くぞ朽ちもせずに残っていたなぁと感心。
でもって、本題ですが、ご承知の通り、昭和30~40年代の映画看板という物は基本的に
使い捨てでしたから、今でも殆どが現存しておらず、(今残っていたら、結構な芸術作品扱いになるんじゃないでしょうか。)それは、この方とて例外ではなく、現物は残ってなくて、あるのは弟子が勉強の為に撮影していたという写真のみだそうです。
それでもこの世界では東京はおろか、
アメリカからも視察に来たというほどに、
日本一の呼び声高かった人のそれですから、 さすが!と思わせるものがありましたね。
(アメリカにもこういう物はあったそうですが、実にざっとした物だったそうで、それをここまで
昇華させる辺りが如何にも日本人らしい・・・と。)
当時の日本人は
4階建てビルに相当するスタイル抜群の
ブロンド美女の看板を見て、腰を抜かしたんじゃないでしょうか。
(あるいは、
戦争に負けたことを実感したのかも(笑)。ちなみに、こういう、フレームから飛び出すようなことをやったのも、この人が日本で初めてだそうです。)
これらの映画看板については、ご興味お有りの方はこちらをどうぞ。
一見の価値在りと思いますが。
↓
http://www7b.biglobe.ne.jp/~kidomuseum/koukoku/index.html
親愛なるアッティクスへ
平太独白
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