先日の続きです。
甲府で泊まった宿はその名もズバリ、
「要害」・・・。
何で又、こんな恐ろしげな名前を・・・と、普通の人なら思うところでしょうが、そこはマニアですから名前を聞いただけで心ウキウキ(笑)、・・・そして、ピンと来ました。
「もしや、
要害山城の絡みなのでは・・・」と。
(↑上は旅館から見た夜景、下は翌朝の
甲府盆地にかかる朝もやです。九州人にはなかなかに新鮮でした。)
要害山城(ようがいやまじょう)は、
武田信玄の居館として知られる
躑躅ヶ崎館の背後に位置する緊急避難用の山城のことで、行ってみたら、やはり、その「要害」でした。
巷間、信玄といえば、
「人は城、人は石垣」と言って、簡素な居館に住み、終生、城を構えなかったと言われていますが、実はあれは間違いでして、平素は住みやすい平地に住み、緊急の時だけ裏にある要害山城に籠もる、つまり、館城一体の構造となっていたわけです。
それに、第一、あの館を作ったのは信玄ではなく、その父、
武田信虎ですからね・・・。
それにしても、昨年、
栃木県に居た時も同じようなことを思いましたが、福岡で見るのと違い、山梨県の風景もすべてに色が物凄く鮮明なんですよ。
そうそう、
残雪というのも、同じく、昨年4月に
那須や
日光のそれがとても新鮮に感じられたのを思い出しました。
なかなか、本題に行き着きませんが、続きは明日のココロだ~と言いつつ、あるいは続きは
年明けになるかもしれませんけどね。
平太独白