親愛なるアッティクスへ
昨日、ちと、所用で佐賀県まで行ったものですから、ちと、肥前・筑前国境にまたがる基肄城(きいじょう)まで行ってきました。
基肄城とは言うまでもなく、
天智天皇4年(665年)、
白村江敗戦後に大宰府防衛の目的で、基山(きざん)に築かれた
日本最古の古代山城・・・ですね。
私は学校の遠足で来た記憶はあるのですが、何せ
大昔のことですから、まったく記憶にありません・・・。
(まあ、白村江に比べれば最近ですけどね(笑)。)
で、なぜ、ここへ行こうと思い立ったのか・・・と言いますと、先般、
対馬に行き、同じく当時の防人の城である
金田城の息吹に触れたからでした。
(上杉謙信が詠んだと伝えられる漢詩に「越山併せ得たり能州の景」というのがありましたが、思わず、「梁庵登り見たり基山の景」と・・・(笑)。)
この城は、白村江の大敗の後、危機感を抱いた
天智天皇が筑前国の
大野城とともに亡命百済貴族に命じて建設したと言われる
古代朝鮮式山城だそうですが、実際には城自体はもっと古くからあったのではないでしょうか。
(↑遠く見えるのが福岡市内。ここからだと少し遠いように感じますが、このもう一つ向こうにも頂があり、そこに見張り台を置けば、博多湾に上陸した敵は一望の下に把握できるでしょう。)
(↑城門の礎石でしょうか?結構、あちらこちらにありました。それから推察すると、かなり大規模な物だったように見受けました。)
平太独白