親愛なるアッティクスへ
今更ながらのこのシリーズの続きです。
と言っても、どこまで、何を書いたのかすっかり、忘れてしまったのですが、適当に思い出して続けます。
(この辺のアバウトさが福岡人の醍醐味です(笑)。)
この、関ヶ原盆地ですが、西軍が先回りして待ち受けている所へ東軍が入ってきた形となったことから、当然、西軍の諸将は優先的に有利な場所に陣を構えることが出来たわけですよね。
(←まさしく、「兵どもが夢の跡」ならぬ、「夢の中」・・・ですね。現在進行形です(笑)。)
そう考えれば、かねがね、真っ先に中核となる陣地に布陣するはずの西軍の主将、
石田三成の陣地(←)が地図(↑)を見た限りでは、少々、偏っているように思えてならなかったんです。
私なら、
宇喜多秀家が布陣した天満山に陣を敷きますね。
まあ、宇喜多隊は西軍中で最大の兵力を有していましたから、敢えて、三成は宇喜多隊をここに充て、その両翼の街道沿いを自分と盟友・
大谷吉継の部隊で固めたというところだったのかもしれませんが、それにしても、三成隊の位置は西軍の最左翼ですから、やはり、主将としては少々、偏っているのではないかという気がしてしまいます。
その旨の質問を地元の人にぶつけてみたところ、「いえいえ、やはり、三成の陣地はこの関ヶ原で一番いい所にありますよ」との返事・・・。
どういうことかというと、この関ヶ原盆地というのは地図ではわからないのですが、まったくのフラットというわけではなく、北西から南東へとそれなりに
下り勾配が付いており、つまり、三成の陣地はこの関ヶ原の中でもっとも坂上にあり、その為、見晴らしも抜群の場所であったようです。
次回に続きます。
平太独白