先日からの続きです。
書ける時に書いておかなければ・・・と。
この、福岡市博多区にある
崇福寺ですが、私にはここは
「お地蔵さん」の寺として子供の頃から馴染み深い寺であると同時に、一方では、
筑前福岡藩の歴代藩主の菩提寺でもありまして・・・。
で、山門(↑)を見に行ったついでに境内もふらりと一周していると、普段は立ち入ることが出来ない歴代藩主の墓が一般開放されているではないですか。
これは結構、びっくり仰天な出来事でして、私も恥ずかしながら、拙著
「黒田家三代」の中で描いておきながら、これまで柵の前から遠目で覗いたことがあるだけでした。
で、「何たる幸運!」と、慌てて番号札をもらって行って来た次第だったのですが、「福岡藩の藩主なんて興味無いや・・・」と仰るなかれ、福岡藩の藩主は
黒田家ですから、黒田家と言えば歴史ファンの人気も高い、あの、
如水こと、
黒田官兵衛孝高の墓もあるんですよ。
で、黒田如水公といえば、
豊臣秀吉の軍師で、あまりの切れ者ぶりゆえに逆に秀吉から警戒され続けた・・・と言われている人ですよね。
(↑こちらが黒田如水の墓です。彼自身は京都で亡くなっていますが、福岡藩の
始祖ということで、改めて、こちらに埋葬されたようです。)
その隣が、息子で、福岡藩の初代藩主となった黒田長政の墓でしたが、やはり、如水さんの墓だけは別格って感じで、四面ともびっしりと、故人の功績を讃えた漢字が刻み込まれてましたね。
(置いてある賽銭も如水さんの前だけがたくさん・・・でしたので、見かねて、私は長政公の前に置いてきました(笑)。)
(↑この痛々しさが昭和を感じさせます。ちなみに、博多には
「博多塀」と呼ばれる塀があります。博多は戦国時代、何度も戦火で焼けており、言ってみれば「廃物利用」で作られた塀ですね。)
平太独白