親愛なるアッティクスへ
東日本大震災の派遣建築士として栃木県へ来て少し経った頃になると、休日は県内は一通り行きつくしてしまいましたので、隣県まで足を延ばそうと思い立ちました。
で、良い機会だから、以前から殆ど行ったことがないに等しかった埼玉県に行こうと考え、であれば、私にはぜひ、一度行ってみたかった所がありました。
それが川越です。
川越と言えば、
「蔵の町」として知られる埼玉では有数の観光地でしょうが、私が行きたかったのはそこではなく、日本三大奇襲戦の一つに数えられる
「河越夜戦」(かわごえよいくさ)の戦跡でした。
天文14年(1545年)、小田原北条氏三代目・
北条氏康が家督を継いだ混乱につけ込み、隣国・駿河の
今川義元がその同盟者である
武田信玄を誘って駿河の北条領に侵攻。
これを迎撃すべく出陣した北条勢の背後で今川と示し合わせた
関東管領の
山内上杉家や
扇谷上杉家、それに北条の娘を娶っていた
古河公方の
足利晴氏までもが挙兵、数倍と言われる大軍で北条方の河越城を囲んだ・・・と。
(←川越城は台地の上にあります。)
これにより、北条方は腹背に敵を受け、絶体絶命のピンチに陥いるも、ここから氏康は急転直下、今川、武田と
三国同盟を結ぶと一気に反転して河越へ駆けつけ、敵の大軍に夜襲をかけてこれを撃破。
北条が関東に覇を唱えるきっかけとなった・・・と言われている戦いです。
(↑たぶん、この辺が激戦地だと思います。)
ところが、これほどの戦いでありながら、この戦いについては殆ど良質の資料が残されてないんだそうで、そのため、この戦いは後世の創作であるという人もいるという話もあり、それもあって、ぜひ、自分の目で現地を見てみたい・・・と思った次第でした。
で、電車を乗り継いで宇都宮から川越まで行ったのですが、駅を下りてから結構、遠そうでしたけど、バスの乗り方もわからなかったので、目的地である「激戦地」と伝えられる
東明寺を目指して歩くことにしたのですが、さすがに、蔵が目に飛び込んできたときにはその赴きある姿に、思わず、「おお!」っと思いましたね。
こういう風情がある所と、そういう血生臭い戦いとはなかなか結びつかないのですが、川越に限らず、江戸時代に城下町はどこも少なからず変えられてますから、やむを得ないものがあるのかもしれませんね。
ということで、明日に続きます。
平太独白