親愛なるアッティクスへ
東日本大震災で栃木県へ行ってまだ、それほど日が経っていなかった頃のある日、真岡市という所へ行くことがありました。
(真岡・・・って、まさおかでもまおかでもなく、「もうか」って読むんですけど、九州人にはなかなか読めない地名ですね。)
で、この日は午前中からバタバタだったこともあり、少し休憩しようということになったのですが、であれば、せっかく休憩するならマニアとしては「城に行きたい!行かせてくれ!」と同行の方に三拝九拝お願いして、むりやり探し出した城に行ったのが、ここ、真岡城です。
ところが、よくある話なのですが、城というのは往々にして公共施設の用地になっていることが多く、真岡城も看板だけで、しっかり、高校の敷地になっておりました。
で、諦めて帰ろうかとしたら、向かいにもそれっぽい敷地があるのに気づき、せっかくなら・・・と入っていったところ、まず、目に飛び込んできたのが、これ・・・(↓)。
「ん?何か変だな・・・」と違和感を感じたのもそのはず、本来、何らかの乗っているであろうはずの物が乗ってないじゃないですか。
その答えは、これ(↓)。
こんな所にもしっかりと震災の被害は及んでいたんですね。
石垣も一部、崩壊したようで、端っこの方はこういう状態(↓)でした。
で、立ち去ろうとして、ふと振り返ると、ここにも何かの看板(↓)が・・・。
どうせ、真岡城の看板と同様のことが書いてあるんだろうと思ったら、そうじゃなくて、真岡城が廃城になった後の江戸時代、ここは代官が派遣されて陣屋として機能していたんですね。
委細はこの看板の通りなんでしょうが、読み終えて、今度は看板の横に付け加えられている表示板に目が留まりました。
この陣屋は、あの、金次郎こと
二宮尊徳にゆかりがある場所で、彼がここに居たことを顕彰する石碑の説明書きだったんですね。
で、ふと、足元を見ると、これ(↓)ありました。
戦前の物でしょうが、震災の傷痕がこんな所にも及んでいることに改めて愕然としました・・・。
と、まあ、震災そのものから見れば、それだけのことではあるのですがどういうわけか、私にとっては、今、改めて見てみて、他の画像などよりもなぜかとても新鮮で、懐かしい気がするひと時の画像でして・・・。
敢えて、UPさせて戴きました。よしなに。
平太独白