親愛なるアッティクスへ
今週月曜は体育の日であったにも関わらず、終日、家に居て、被災地出張の間に撮りだめしていた映画を見てました。
友達がいない寂しい私は、以前はよく、休日をこうやって過ごしていたのですが、震災以来、本当に久しぶりの寛いだ時間でしたね。
で、まず、一本目は昭和30年(1955年)公開の
「新・平家物語」。
デビュー2年目の
市川雷蔵が飛躍のきっかけを掴んだ出世作ですが、この人は戦後日本映画の大スターでありながら、生後間もなく養子に出され、長じてよりも
歌舞伎の出ながら
権門の出でないということで、少なからず砂を噛むような思いをしてきた人であるがゆえに、それだけに、代表作
「炎上」(原作・
三島由紀夫、監督・
市川崑)での金閣寺に放火する青年僧同様に、こういう屈折した役ははまり役だったようですね。
今の私にも少しだけ、彼の気持ちがわかるような気がします。
次が、昭和41年(1966年)公開、
山本薩夫監督作品
「氷点」です。
私は当時、5歳ですから、リアルタイムでこの映画の評判を聞いていたわけではないのですが、その後もたびたび、テレビドラマ化されたことや(まったく見てませんでしたけどね(笑)。)、長寿お笑い番組
「笑点」の原題となったことなどもあって、その名前は知ってました。
で、今回、初めて見たのですが、まあ、当時、話題になっただけあるな・・・と。
主演の
若尾文子さんが、その美しさもながら、すでに大学生の子供がいる役だったことと、
森光子さんはすでに中年のおばさん役で出ていたことには少し苦笑しましたね(笑)。
この人たちは一体、いつから生きているんだ・・・と(笑)。
で、次に観たのが同じく、山本薩夫監督作品で、昭和49年(1974年)公開の
「華麗なる一族」でして、こちらも最近も
木村拓哉さん主演でドラマ化されてましたので(例によって見てませんが(笑)。)、うっすらとは知ってました。
ただ、こちらは、最初の方を少し見ただけで時間切れとなったのですが、これを見ていて少し思ったのが、主役・万俵大介を演じた
佐分利 信さんのあの、天使も毒蛇も平然と喰らいかねないような存在感は今のどの役者さんにも感じられないことでした。
思えば、この頃の俳優で映画にも重鎮とした出演しておられた
志村 喬、滝沢 修、小沢栄太郎・・・といった人たちは、皆、声が低い・・・、それも品がない
だみ声なんですよね。
この点で、最近のドラマの方でこの役をやった
北大路欣也さんなどは、まあ、私もドラマの方はそれほどじっくりと見たわけではないのですが、大河ドラマ「江」での家康役などを見ていても、極めて若々しい声で、それゆえにか、あんまり「爺」って感じがしないんですよね。
ちなみに、
菅原文太、細川俊之、仲代達也という人たちは低音ですが、この人たちは昔から低かったんだろうし、やはり、だみ声ではなく、品が良い低さであるように感じるんです。
当時は老人になれば、自然とだみ声になっていたのかもしれませんが、あるいは、これも含めての生き様の差・・・だったのかもしれませんね。
平太独白