親愛なるアッティクスへ
ついに今日から10月ですね。
まだまだ、博多は半袖でOKなのですが、あと、3ヶ月後には正月なわけで・・・。
ということで、先日からの続きですが、東日本大震災の応援建築士として栃木県に居た折、「山縣有朋記念館」というのに行ってきました。
山縣有朋とは、言うまでもなく、
吉田松陰を師と仰ぐ
松下村塾出身の
長州藩士で、維新後は二度にわたり
内閣総理大臣となるなど、
明治の元老として日本政界に君臨した人物ですね。
で、その山縣有朋を記念した施設は
栃木県矢板市という、県都・
宇都宮から車で1時間ほど北東に行った場所にあるのですが、特に観光名所になっているふうでもなく、たまたま、拡げた地図に小さく載っていたのを見つけて行ってみた次第でした。
思えば、栃木県北部、特に、
那須地方は当時から明治政府の要人たちの別荘地として認知されていたらしく、
乃木希典、大山巌などの別荘もあるのですが、ただ、彼らの多くはこれらを単なる避暑のための施設として計画したのではなく、
「農は国家経済の基本本」という観点から、開拓農場とするために取得したものだったようです。
そのため、この山縣別荘も、天然林約150町歩、草山600余町歩の山林に農家の次三男で土地を持てない人たちを募集し、開墾事業に取り組んだ所で、昭和9年(1934年)には小作人に土地を分譲したことから、戦後の農地解放の影響も殆ど受けなかったらしく、驚いたことにここは今でも山縣家の子孫の方がお住まいなんだそうですね。
もっとも、山縣有朋には成人した男子はいなかったらしく、甥を養子に迎えて山縣家を継がせてますから、現当主は直系ではないようですが・・・。
ところで、ここを出て、帰りしな、私は少し不思議な体験をしました。
大正天皇になったんですよ(笑)。
(←大正天皇が使っていた
トイレです。しっかり、
洋式便器なんですね。ていうか、天皇は当時、神様でしょ。こんな不浄なことして良いの・・・と(笑)。)
と言っても、決してオカルト的なものではなく、駅まで遠いのでタクシーに迎えに来てもらったところ、タクシーがここの門を走り出た瞬間、ふと、なぜか、そういう気分になったんです。
思えば、
砂利道を・・・、車の
後部座席に独りで座って・・・、
一旦停止もせずに一気に走り出る・・・なんて、普通はなかなか無い経験じゃないですか?
つまりは
要人になった気分だったのでしょうが、ただ、なぜ、
昭和天皇でも
明治天皇でもなく大正天皇だったのかは私にも説明がつかないことではあります。
平太独白