親愛なるアッティクスへ
そんなこんなで、先週日曜から南紀に行っていたのですが、本当は今週いっぱいくらいと言われていたところを、私だけ、一足先に金曜の夜半に戻ってきました。
そのわけは、以前より、17日の土曜日に熊本まで行く歴史バスツアーがあるので、それに講師兼お手伝いとして着いてきてくれと言われていたからでして・・・。
で、翌朝、眠い目をこすりながら早朝に起きだして、バスツアーに参加してきました。
(↑久々に行ったら、こんな施設ができていました。子供だましか…と思っていたら、結構、良かったですね。)
思い起こせば、初めて、こういうツアーに講師として参加したのが今年の3月12日・・・、
九州新幹線開業の日・・・と言うよりも、言うまでもなく、
東日本大震災の翌日のことでして、その後、二週間後には
大分・宮崎の旅にも同行させていただいたのですが、それから間もなく、震災の応援として栃木・埼玉に4ヶ月も行ってしまいましたので、すっかりそのままになっており・・・。
で、今回、「もう、ぼちぼち、帰ってきたんだろう?」ということで、お声をかけていただいた次第でした。
というわけで、こちらが先でして、しっかり予定に入れていたところ、急きょ、今回の南紀行きの話があったわけで、当初はどうしたものか迷っていたのですが、思ったより現地の進捗状況もよく、先も見えてきたことから、16日中の帰郷とあいなったわけです。
で、本題ですが、熊本と言えば、何と言っても、
「くまもん」・・・ではなく、
熊本城と
加藤清正・・・ですよね。
(しっかり、くまもん買っちゃいました(笑)。)
ところが、清正は肥後に入って、熊本城に住んでいたのはわずかな期間でして、実は熊本ならぬ
隈本城に居たんです。
隈本城は熊本城竣工後はその城郭の一部に組み込まれてしまいましたが、元々はこちらが先でして、清正が居館とした隈本城から竣工なったばかりの熊本城を見るとこう(↓)なるわけです。
「清正も 汗を拭き拭き 城眺め」 梁庵平太 (この日は暑かった・・・。)
(↑ちなみに、この隈本城は早くから要害として開けたところらしく、傍らにはこういう古墳もありました。当然、清正もこれを見たはずですね。)
いずれまた、もう一度くらい続くと思う・・・。
平太独白