親愛なるアッティクスへ
しばらくぶりにこのシリーズの続きです。
東日本大震災の応援建築士として派遣されて、まだ初期の頃だったと思うのですが、栃木県日光市にある「小代行川庵」(こしろなめがわあん)という蕎麦屋(↓)に連れて行ってもらったことがありました。
ここはいつも行列している有名店とのことでしたが、ただ、私は
蕎麦派ではなく、
うどん派でして・・・。
(←店の前はこういう風景が拡がってました。)
うどんなら三食続けても抵抗ないのですが、蕎麦は正直言ってそれほど得意ではなく、ところが、栃木県は
内陸だということもあってか、蕎麦は割と充実していたのに対し、うどんは・・・で最後の頃はもう、かなり、
食傷気味でしたね。
(一度など、「うどん」と書いてあるから入ったら、「うどんは売り切れで、もう、蕎麦しかありません」と言われ・・・。昼時ですよ。詐欺じゃないかと思いましたよ。)
という話は置いといて、この店・・・、蕎麦の方はまあ、例にもれず、まずまず美味だったのですが、帰り際、何気にもらってきていたパンフレットを見ると、店名の傍らに小さく
「旧加藤邸」と書いてありました。
加藤って、まあ、この地方の戦前の素封家か何かかな・・・と思っていたのですが、中の「由来」を見て、初めて知りました。
加藤・・・って、あの、
加藤武男翁の事だったんですね。
加藤翁は、戦中戦後、
三菱銀行の頭取、相談役を歴任し、
吉田茂内閣の
経済最高顧問など多くの要職を務めた財界の大物なのですが、なぜ、私がこの人の名を知っていたかというと、それは二つのエピソードが印象に残っていたからです。
まず、
三菱銀行頭取・全国銀行協会会長から、さらに
日銀総裁まで歴任し、
「法王」とまで呼ばれた
宇佐美 洵氏は翁の甥になるのですが、在任中、怪文書が出回った際にこれを黙殺する姿勢を見せたと聞き、「こういう物は軽視すべきではない」と戒めた・・・という話です。
この点は私も思い当たることがありますが、こういう物には得てして
声を挙げられない者の
声なき声があるものですよ。
もう一つが、
財界四天王呼ばれた剛腕・
小林 中、知恵者・
水野成夫氏らが、何かのポストをお願いしようということで頼みに行ったら、3時間口説いても、「だめだ」「断る」の一点張りで最後までまったく変わらなかった・・・という話。
両氏とも、「普通、3時間も口説かれたら、『じゃあ、考えておく』くらいのことは言うだろう。それが、最初から最後までまったく変わらないんだから、大したもんだ」・・・と。
確かにこれは凄いですよ。
普通、3時間も口説かれてたら、私なら癇癪を起こすか、適当なことを言って追い返そうとしますよ。
それをせずに、正面から受けて立ち、かつ、考えを変えない・・・というのは凄いことだと思いますね。
平太独白