親愛なるアッティクスへ
昨日の続きです。
その後、なかなか味のある店で蕎麦と田楽をごちそうになり、次に行ったのがこちら(↓)。
長崎辺りに良くある
孔子廟・・・ですが、単なる孔子廟ではなく、
会津藩の藩校・
日新館でした・・・。
ただ、当時の物は
戊辰戦争で
焼失しており、少し離れた所にそれを
復元した・・・と聞き、正直、案内してくれた友人には申し訳ないのですが、内心、形ばかり再現した長屋みたいな物を想像して、あまり期待していなかったところ・・・、行ってみてびっくり。
規模の大きさ(↓)もながら、材質もコンクリートや新建材などではなく、きちんと木造で再現されたものでしていかに復元された物であっても、これほどの物はもっと認識されて良いと思いますよ。
(
高台だし、見晴らしも良いし・・・。)
これは、バブルの頃に地元の資産家によって建てられた物だそうで、一度、行き詰まり、現在でも賑わっているとは言い難い状況でして、もう少し、何かやりようはあるのではないか、これだけの施設を生かしきれていないのではないか・・・という思いを禁じ得なかったのですが、そこで言われたのが
「雪」でした。
今は、季節は夏で、九州人の私的にはこの気候以外のものが想像できませんが、昨年の冬などはこちらでは人の背丈ほどに雪が積もったんだそうですね。
となれば、もう少し都心に近い所ならともかく、これほどの距離を、しかもこの時期でさえ息が切れるような高台まで上がるというのはかなり無理がある・・・と。
なるほど、そうなれば、夏の間の半期だけで一年分に見合うような収益を挙げなければならず、確かにものすごいハンディキャップで・・・。
やむを得ないことなのでしょうか。
で、次に行ったのが
白虎隊自決の地、
飯盛山・・・。
(↑飯盛山から会津城方面を臨む。白虎隊士らが城が燃えていると誤信した風景ですね。中央の緑が鶴ケ城で、ここからは指呼の間なのですが、その手前の城下が燃える煙を見て、城が燃えていると思った・・・と。)
ここから見る、山の稜線は人工的に作られた物ではないかと思えるくらいに美しかったですね。
思わず、
東郷青児の
グラデーションを想起してしまいました。
おっと、
薩摩人を誉め讃えるような言葉はご当地では
禁句でしたね(笑)。
もう一回くらい続くと思うけど、予定は未定・・・。
平太独白