親愛なるアッティクスへ
先日の補足的続きです。
といいますのも、こちらの城の麓にあるガイダンス施設で見た復元模型について触れておくべきだと思ったからで、特に、この城の・・・(あるいは当時の他の城もそうだったのかもしれませんが)、もっとも特徴的に思えるのが、この城に一貫して流れている視覚的幻惑という部分についてです。
まず、ご覧頂きたいのがこれ(←)。
右下にある通路を突撃してきた敵兵は左手上方に見える櫓からの側面攻撃をもっとも警戒しつつ、攻撃によるダメージを最小限に抑えるためにも、一気に走り抜けて正面の大手門に突入しようとします。
その時に、敵兵から見えている光景がこの画像なわけですね。
ところが、その画像を90度横から見た画像がこちら(↓)。
左手側から敵兵が突っ込んでくるわけですが、最初の画像から見た光景では平らに一直線に門に繋がっていると思われた道は、ご覧のとおり、横からみると、ぽこっと一段、窪んでいるわけです。
しかも、敵兵の神経は左上方の櫓と、飛び込むべき正面の門にのみ行っているわけで、この状況で凹んだ足元に対応できるのは
イチロー級の
反射神経と
動体視力を必要とするのではないでしょうか。
同様に、もう一つ、注意しておくべきがこちら(←)。
この門内の階段・・・ですが、門内に突入する敵兵から見れば普通に階段が続いているように見えますよね。
でも、これも上から俯瞰で見てみると、こう(↓)なっています。
つまり、一見、均等の奥行きに見えた階段も、実際には
踏面の長さが一定ではなく、手前ほど長くなっているんですね。
これはつまり、すぐに突破できると思っていた通路が意外に長い距離を有することによって、味方は敵兵を
狙撃しやすくなるということもながら、それ以上に視覚的に
幻惑されることの
心理的効果が大きかったのでは・・・思えるのです。
ほかにもこの城には、頂上にある物見台の土塁を高くすることで、一層、
峻厳に見せるようにしていたり・・・。
おそらく、これらはすべて、誰か一人の
プロデューサーによるものだと思いますが、
遠近法の概念もまだ無かったと思われる時代に、この、まるで
だまし絵のような視覚的効果を巧みに使った配置・・・。
だまし絵の大家・
エッシャーも自らより300年も前にこういうことを考えた日本人がいたと知ったら、おそらく、
「感嘆」という言葉しか出てこなかったのではないでしょうか。
平太独白