親愛なるアッティクスへ
「もののふの
気を塗りこめし
梅雨の城」
梁庵平太
昨日の続きです。
本当は日曜は書かない主義だったのですが、なにせ今、平日は思うように時間が取れない生活が続いており、UP出来る時にやっておかねば・・・と。
私が「日本のマチュピチュ」と申し上げた上州金山城ですが、、突如、山中に出現する石垣群にはとにかく、幽玄にして荘厳・・・、間違いなく、誰かがそこに居た・・・と感じさせるものがあり・・・。
名匠・黒澤 明監督が生きていたら、是非、映画のセットに使いたい・・・と言うんじゃないかと思いましたよ。
その意味では、佐賀の名護屋城(名古屋城じゃないですよ)に通じるものがあるでしょうか。
まあ、あちらは海沿いですから、ちゃんと観光地として開けており、その意味では、こういうマチュピチュみたいな秘境的雰囲気はありませんが・・・。
もっとも、黒澤監督は名護屋城で撮影をやったときには、本当に城を作って燃やそうとしたそうですから、それも歓迎できる話ではないでしょうが(笑)。
ただ、それほどの城でありながら、どうしてこれまで無名だったかというと、やはり、そこに関わった人の知名度の低さがあるのでしょう。
つまり、ハードは素晴らしいがソフトがそれを活かして切れていない・・・と。
これが、
鉢形城や
川越城などのように
小田原北条氏の要地として、それなりの武将が居城としていたということでもあればともかく、
上杉謙信の攻撃を退けるなど、
関東七名城の一つとされる・・・にも関わらず、ここを居城としたに
由良氏は恥ずかしながら、私も知らなかった次第でして・・・。
もう一回補足的な意味を込めて続きます。
平太独白