先日の続きです。
実は私が足利に来た目的は足利学校を観たかったから・・・ではなく、その裏にあるこちら(↓)でした。
足利尊氏によって
室町幕府が開かれる以前の足利家の墳墓の地、つまり、尊氏登場以前の足利家の息吹というものを見ておきたいと思ったからで、それがここでした。
足利家屋敷跡と言われる
真言宗金剛山鑁阿寺です。
ただ、私にはここはなんとも釈然としないものを感じさせる場所でもありました。
確かに、ここは四周を
堀と
土塁で囲まれた形(↓)をしていますが、何か武家屋敷としての
戦闘性とでもいうか、そういうものが感じられないんですよ。
まあ、尊氏が室町幕府を開いてから
600年以上経っていることもあり、今では寺になっていますから、やむをえないのでしょうが、それでも・・・と。
で、この日は終日、雨は降らないという予報だったにも関わらず、突然、雨が降ってきて、しばらく雨宿りしていたものの、一向にやむ気配がなく・・・、
少し小降りになってきたのを見て、再び、歩き始めたのですが、さすがに濡れ鼠になってきたので、この辺で切り上げて帰ろうか・・・と思い、駅の方向へ向けて歩き始めたのですが、途中で、どうにも
消化不良のものを感じ、再び、歩みを戻しました。
で、外回りをぐるりと一周することにしたのですが、そこで初めて気づいたんです。
「背後に山があるじゃないか」・・・と。
つまり、
武田信玄の
躑躅ヶ崎にしても、
織田信長の
岐阜城にしてもそうですが、平時は麓の館で政務を執り、有事の際には背後にある山城に立てこもって戦うというのが、当時の武家屋敷の一般的な形ですから、もしや、足利館もそうだったのではないかと。
で、疲れた体を奮い立たせて、この山の方向へ向かいました。
この山は見ておかねばならぬ・・・と。
明日に続く・・・と思いますが未定です。
なんせ、空き時間がないもので・・・。
平太独白