栃木県での生活にもある程度、先が見えてきました。
で、この際、備忘録的にこちらに来て、休みの日などに行った所のことについて記してみたいと思います。
まず、こちらに来て以来、私が日光東照宮と並んで行ってみたかった所が「足利」でした。
で、足利といえば、どうしても真っ先に思い浮かべられるのが、「日本最古の学校」と言われる足利学校(↓)でしょう。
(↑ここが中世当時の
学生寮だそうです。この広さで二人部屋。まさしく、ここで勉学に励み、ここで床に伏す為だけの施設で、余計な物は一切無い・・・と。)
でも、むしろ印象に残ったのがこちら(↓)。
学長に当たる座主の三代目、つまり、三世座主に筑前国、我が福岡県の出身者がいたことです。
で、気がついたのですが、栃木県にありながら東日本出身者が座主の座につくのは十代座主からで、つまり、九代座主まではすべて
西日本の人ばかりなんですよ。
今でも、福岡人の私が栃木県まで来るのが大変なんですから、当時は
宿泊施設や
医療施設、また、
治安の問題などを考えれば、ここまで移動するだけで
命がけだったんじゃないですか。
それを考えれば、そこまでして、西日本から先生を招聘しなければならなかったのが当時の東日本の現実で、だからこそ、この学校を再興した
関東管領・上杉憲実もこの学校の最高の必要性を感じていた・・・と。
明日に続きます・・・と思いますが、わかりません(笑)。
平太独白