親愛なるアッティクスへ
今頃・・・で恐縮なのですが、一昨日だったか、元、ロッテオリオンズの成田文男投手が逝去されたそうですね。
「誰?」と思われる方も多いかもしれませんが、この名前は70年代に福岡で少年時代を過ごした者にはなかなかに印象深い名前です。
(少年時代に学校の校庭で見たような遙かに遠い空を思い出しました。謹んでここにご冥福をお祈りいたします。合唱・・・。)
それほど、豪速球というわけではありませんでしたが、
スライダーを中心に打てそうで打てないという感じで、当時は押しも押されぬ好投手でしたね。
当時は、斜陽化著しかった
太平洋クラブライオンズですから、この名前を聞くときは、「また、成田に押さえられた」というような時だったわけで・・・。
(ちなみに、
アストロ球団も押さえてましたね( ^_^))
ただ、私の印象では、ちょうど、当時の巨人のエースが、「成績では上回る
高橋一三ではなく、あくまで
堀内恒夫である」ということで衆目の一致する観があったのと同じく、成田投手は20勝以上が4回、最多勝利投手2回という成績では文句なしのロッテのエースでありながら、存在感という点では同僚の
木樽正明投手に先んじられたかのような観があったように記憶しております。
ただ、当時のパ・リーグにはこういう選手がよくいましたね。
鈴木啓示、山田久志、村田兆司、東尾修氏ら割と知られた名前を除いても、前述の木樽投手しかり、
金田留広、足立光宏ら、パにいたから、あまり知られてないだけで、成績だけなら当時中日の
星野仙一投手(現楽天監督)などよりは、はるかに上回っていた選手は少なくなかったですよ。
実際、金田留広投手はそういう内容のことを言ってましたし、他も皆、そう思っていたんじゃないですか。
それだけに、こういう好投手にはもっと、光が当たってほしかったですね。
平太独白