続きです。
祥雲寺どころか、広尾という所自体、初めて行ったのですが、さすがに東京のお寺は色々と有名人が眠ってますねぇ・・・。
黒田長政の墓の傍らには、長政の次男を藩祖とする福岡藩の支藩、
秋月藩黒田家の墓(↑)がありましたが、長政以降の本藩藩主の墓が見あたらないと言うことは、あるいはここにある長政の墓は秋月藩(次男)が福岡藩とは別に独自に長政を偲んで建てたものだったのかもしれませんね。

次に見つけたのが、
荒井郁之助の墓(←)です。
と言っても、この人物については名前を聞いて、すぐにピンと来る人は相当なマニアでしょう。
実は私も知らなかったのですが、ただ、私はこの人物の名前にはちと、奇縁がありまして・・・。
10年ほど前でしょうか、友人と男三人と
北京に行った際、そのうちの一人がワガママな奴でして、決められた夕食会場を「つまんないから、俺だけ別にしてくれ」などと言い、独り、どこかへ行ってしまいました。
やむなく、二人で通常通りの夕食会場へ行くと、そこで
埼玉からか来られたという年輩のご夫婦の方と同じテーブルになったのですが、もう一人がその場にいないことを訪ねられました。

で、経緯を説明したところ、「変わった方ですね」と言われるので、私が、「あいつは、
平重盛から苗字を許されたと言い張る奴なんですよ」と言ったら、「実は、私の方にも荒井郁之助の子孫がいて」と・・・。
でも、多少は詳しいつもりの私も、また、博識の友人も、「誰?」となったのですが、「
榎本武揚と一緒に
五稜郭に籠もったときの
海軍奉行で、初代の
気象庁長官」と聞き、「はあ・・・」と(笑)。
(←「陽の当たる
道の陰にも
道はあり」
梁庵平太で、帰国して、少し調べたのですが、北海道開拓の折に出されたみそ汁にメダカが入っていたけど、さすがにサムライ荒井は顔色一つ買えることなく、そのまま、食べてしまった・・・というエピソードなどを知り、以来、この人物の存在が頭のどこかにありました。
(今なら、絶滅危惧種・・・けどね(笑)。)

で、もう一つ、見つけたのが
日比翁助翁の墓・・・。
この名前はさすがに私は知ってました。
と言っても、多分に名前だけで、事績を細かく知っているわけではなかったのですが、
三井物産創業者の
益田孝翁や阪急創始者・
小林一三翁の伝記などでその名前を見ていたのですが確か、
久留米藩士の出で、
慶應義塾から
三井銀行を経て、
中上川彦次郎門下で頭角を現し、
三井呉服店を
三越として日本初の
百貨店に育て上げたをつくった人物・・・ですよね。
ロンドンの
ハロッズ百貨店の経営者に、「見よ、私のデパートは宮殿の如くで、ここに来る人々の顔は悦びに満ちている」とか何とか言われ、これに深い感銘を受けた・・・んでしたよね。
NHKの『その時歴史が動いた - サムライ魂でデパートを創れ! 〜近代百貨店誕生物語〜』でそんなこと言ってたと思うのですが・・・(笑)。
平太独白
htmx.process($el));"
hx-trigger="click"
hx-target="#hx-like-count-post-14002020"
hx-vals='{"url":"https:\/\/heitaroh.exblog.jp\/14002020\/","__csrf_value":"36a4f7ff2bc7adbaf59bfa02b0f009fd20ba0aaa7f3b2e6dacad7a0a17d415ca8e24c9c4288a07c343ca865033c13a2ad65a3a5a21a9fd564314fe684153350e"}'
role="button"
class="xbg-like-btn-icon">