親愛なるアッティクスへ
今日は本当は別のことを書くつもりだったのですが、今日、1月17日は阪神・淡路大震災から16年・・・ということを聞き、もちろん、私は被災者ではありませんし、身内に被害を受けた人がいたわけではありませんが気が変わりました。
当時、私は33歳・・・。
普段と何ら変わらない朝でしたので、その日の状況をそれほど克明に覚えているわけではないのですが、起きて、朝飯食っていたら、テレビが「関西地方で地震がありました」・・・みたいなことを伝えました。
(「・・・みたいな」というのは被災者の方にすれば、カチンとこられる表現かもしれませんが、当初、遠隔地では被害の実情が的確に伝わっておらず、おそらく、私に限らずその程度の認識だったと思います。)
やがて、被害の甚大さを知るにつけ、まず、思ったのが大阪に住む義兄を始め、神戸、明石、加古川などに住む親戚のこと・・・。
幸い、誰にも特に被害はなかったのですが、義兄は、地元出身の女優・藤原紀香さんや楽天の三木谷浩史氏などと同様、すっかり人生観が変わったというようなことを言ってましたし、また、その後の福岡での玄界西方沖地震が比較的、軽微で済んだ裏には相当に大震災の教訓があったようで、特に、法整備が格段に進んだことが大きかったように思います。
その後さらに、被害は増え続け、新聞テレビの報道は連日連夜、被害の深刻さを伝え続けましたが、特に、私もこの少し前に初めて、「父親」になっていたこともあり、嫁に、「少し、募金して良いかいな?」と恐る恐る切り出し、許可をもらった上で、翌日、銀行に行って2万円(1万円だったかも?(笑)。)を振り込みました。
(少額と笑うことなかれ・・・。当時の私にとってはこの額はとても大きな額でした。)
当家は元々、「各人が負担出来る範囲で政府に税金という形でお金を出しているのだから、民間が募金や寄付などをするのは本末転倒」という考えを持っており、従って、私も今に至るまで、寄付や募金などというのをしたのはこのとき一回きりですので、如何に私が受けたインパクトが大きかったかがおわかり頂けるでしょうか。
で、それから数年後、友人と震災について話していたところ、「あの日、俺は早朝をジョギングしていたら
博多でも月が
真っ赤だった」ということを言っていました。
「そんなことがあるものか・・・」と思いながら、その夜、私は車で帰宅途中、いつものように小高い丘を越えていたところ、傍らに、
オレンジの丸いマークが見えました。
「ああ、
ダイエーか・・・」と思ったのですが、ふと、「待てよ、こんな所にダイエーがあったか?」と思い直して良く見てみると、それはダイエーのマークなどではなく、何と、血のように真っ赤に染まった
「月」でした。
そのまま、家に駆け込むと、「月が真っ赤だ!今日は何かあるかもしれん。慌てないで良いように用意だけはしておくように・・・」と家人に申し渡したところ・・・、まったく、何もありませんでした。
平太独白