昨日も申しましたとおり、昨一昨日と、ちと東京まで行っておりました。
で、そうなると、ご多分に漏れず、いつものように業務に追われております。
暫時、手抜きをお許しください。
で、東京に行ったついでに、拙著、「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」(←ここからも買えます。どうぞ、宜しくお願い致します(笑)。)で描いた筑前福岡藩初代藩主・黒田長政の墓が東京にもあると聞き、一応、行ってきました。
それが、渋谷区広尾5丁目の祥雲寺(↓)です。

ここはどなたの設計になるのか存じませんが、山門をくぐった瞬間が一番、絵になるように設計されているようですね。
この向かって左の方に墓地があるのですが、少しそちらへ歩みを移すと、もう、さして美しくないんですよ。
私は広尾という所は初めて行きましたが、聞いていたとおり、賑やかな所でそれは参道沿いも例外ではなかったのですが、この参道の突き当たり、山門をくぐると拡がる周囲の喧噪とはほど遠い、静かな美に感心しました。
設計された方は、なかなかの手練れだと拝察致しましたよ。

で、こちらがその黒田長政の墓(←)ですが、私が思うに、ここに
遺骨は無いんじゃないかと・・・。
長政は
京都で死んで、遺体は福岡に運ばれ、
箱崎(現福岡市東区)で荼毘に付され、
崇福寺(現福岡市博多区)に埋葬されましたから・・・。
ただ、没時には嫡男で二代藩主となった
忠之は京都から福岡まで一緒に着いてきていたのですが、長政の
妻は
江戸にいたでしょうから、分骨を望んだという可能性もないわけではないでしょうが・・・。
で、祥雲寺で、その辺の説明を知りたかったのですが、ただ、「ここの和尚さんと懇意だったから・・・」ということしか書いておらず、その辺の説明が無いところを見るとあるいは遺髪も無いんじゃないのかな・・・と。
つまり、遺族にとっての故人を偲ぶための仏壇状態だったのではないか・・・と思うのですが、如何でしょうか。
週明けに続く・・・と思うが予定は未定・・・(笑)。
平太独白
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