親愛なるアッティクスへ
日露戦争時の帝国海軍の名参謀にして、天才と謳われた人物に司馬遼太郎さんの著作、「坂の上の雲」で有名な秋山真之という人物が居ます。
この人が書いた文章で、名文として有名なのが、日本海海戦の折に大本営に向けて打った「天気晴朗なれど波高し」の一文です。
これは、司馬さんによると、たまたま航海日誌の最初のページに書いてあったことなのだそうで、秋山参謀としては他意はなかったのかもしれませんが、戦後、彼はこの一文を巡って激しく非難されたとか。
つまり、
「名文すぎる」と・・・。
作戦報告に、名文は一切必要なく、名文が一度、まかり通るようになると、作戦の失敗などの都合の悪い事実を、名文で固塗するようになるということだったとか・・・。
なるほど・・・と。
参考までに、こういう場合に好まれる文章とは以下のような物でしょうか・・・。
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」
〈出征中の
徳川家康の家臣、
本田作左衛門が嫁に宛てた手紙〉
つまり、
火の用心と
子供の面倒と仕事の道具である
馬をよろしく・・・と。
「三島の胴体と首の距離 1メートル」
〈作家、
三島由紀夫の割腹自殺の際の警視庁入電〉
当時、警察には色々な情報が飛び込んできて、生死がよくわからなかったのだとか。
首と胴体が1m離れていれば間違いなく死んでるわな・・・と。
「ダンナハイケナイ、ワタシハテキズ」
〈
西南戦争前夜、熊本鎮台司令長官
種田政明少将が愛妾と同衾中に不平士族に襲われたときの、状況を知らせる愛妾からの電報〉
司令官は助かりそうもないけど私は無事だから電報を打っている・・・と。
すべて、短文ながら、状況がよくわかりますよね。
用件を
手短に、それでいて、
的確に相手に知らせなければならないビジネス文書などには必要な心得のひとつでしょうし、ついでに言えば人の話を最後まで聞かないお年寄
り対策にもなります(笑)。
ワタシも苦労させられましたから・・・。
だって、話聞かないんだもん・・・。
平太独白