昨日の続きです。
土地の老人に別れ際に、逆に天王山へ登る道について尋ねた所、「あなたの足なら20分くらいで登れる」、「ヒールで登る女の子もいる」などと仰るので、そんなに楽勝なのか・・・と思って、登り始めたところ・・・、「どこが20分やねん」状態で、11:35に登り初めて、頂上に着いたのが12:35・・・。
丸々、1時間かかっとるやないかい・・・と(笑)。
(←登り初めてすぐにある、通称、寶寺境内の五重塔。一句詠みたい心境でしたが、この日は例の京都府京田辺市で39.9度を記録した日でして・・・。)
ちなみに、頂上(←)に着いたら、何かのサークルかと思われる、小学生くらいから大学生くらいまでの雑多な女の子の集団がいて、話を聞いていたら、その中の一人は、しっかり、ヒールで登ってきて、周囲からは「信じられなーい」って感じの笑い声が起きてましたので、老人の話も半分は正確だったようです(笑)。
で、この天王山という物について触れる前に、羽柴(豊臣)秀吉と明智光秀との間で戦われた山崎の戦いというものについて触れておきたいと思います。

この戦いは、
織田信長横死後の後継者争いで起きた戦いで、秀吉が勝利したことで、一気に飛躍のきっかけを掴んだ戦い・・・と言われており、一般には、対峙した両軍を見下ろすような位置にある天王山をいち早く獲った秀吉が、ここを軸点にしてブランコのように敵陣へ突入した名作戦と言われています。
しかし、秀吉軍は兵力でこそ上回っていたものの、中国地方から一気に
200kmもの距離を馳せ返ってきた軍隊であり、対して、光秀軍は信長を
本能寺に襲って以来、畿内にあって大きく疲労もしていないし、そもそも、ここを戦場に特定したのも光秀軍の方なんですよ。
つまり、光秀軍は兵力では劣っていたものの、自軍に有利な陣地で敵を迎え撃つべく、待ちかまえていた・・・というわけです。
明日に続く・・・。
平太独白
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