続きです。
まず、この摂津有岡城の平面図を見て真っ先に気づくのが、何と言っても、城の中核と言うべき、本丸部分が城域の東端にあることでしょう。
まあ、大体、どこの城も本丸は城域の中では多少は偏った所にはあるんですよ。
これは築城上の土地の起伏の問題などもあるのでしょうが、一つには、敢えて重心を作っておく・・・ということだったのだろうと思います。
ただ、それにしても、この有岡城のそれはあまりにも大胆であり、城将・荒木村重の気魄が感じられるようで、織田信長を散々に手こずらせた難攻不落の名城の最大の特徴は城将の気魄だったのかも知れません。
では、その本丸部分の東側はどうなっていたかというと、これは高い断崖になっていたそうで、その向こうは川が何本も流れ、天然の堀の役目を担っていた・・・と。
で、断崖という点では以前、平太郎独白録 : 古の九州探題は何処にありや!を推理する その3で紹介したような、九州探題が籠もったと言われる探題城のような取り付くことさえ出来ないような断崖・・・を想像していたのですが、実際に見てみた限りでは少し物足りないものを感じました。

(↑これが東側城外より城の本丸部分を見た風景です。中央の樹木が生い茂っている部分から左が本丸跡です。ちなみに、左端が
JR伊丹駅です。)

もっとも、手前の方は国鉄開通時に削り取られており、往事の面影をみることはできませんが、それにしても大したこと無いな・・・と。
ただ、眼下の川は深く、往事は水量もそれなりに確保されていたのだろうと思います。
(←かつての堀の一部で、現在、道路になっている部分も、しっかりと一部は暗渠として水路が流れており、生活排水もあるのかもしれませんが、それにしても、なかなかに水量が豊富でした。)
往事は周辺人口も少なかったでしょうし、上流にダムなどもなかったでしょうから、水量の心配はいらなかったと思われ・・・。
であれば、敵兵はこの地面の下、川底の高さから本丸を見上げたわけでしょうから、もう少し、高かっただろうとは思います。
明日に続く・・・と思う。
平太独白
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