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博多駅前史異聞 その4 字馬場
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。
珍しく、熱心に続けて書いております(笑)。

その上で、探題舘博多市中に存在した鎌倉時代、後に博多の南にに開削されることになる房州堀はまだ無く、代わって天然の堀の役目を果たしていたのが流れを変えられる前の比恵川(現御笠川)だったと考えられます。
(房州堀というのは、戦国時代に大友宗麟の家臣・臼杵安房守鎮続により掘られた堀だと言われていますが、研究者の間では江戸初期の掘削という説もあるようで、まあ、いずれにしても鎌倉時代はなかったわけです。)

現在の御笠川は博多の東を通り、そのまま、博多湾にそそいでいますが、本来は、現在の流れから突然、西に流れを変えて、今のキャナルシティの脇の低地へ注いでいたそうで、となれば、河口には現在同様、那珂川も存在していることから、一帯は大雨が降るたびに洪水に見舞われていたそうです。
これにより、中世に大規模な治水土木工事がおこなわれ、川の流れは現在のように変えられたそうで、その名残が私が子供の頃まで存在していた鉢の底川であると。
(ちなみに、キャナルシティ一帯は現在も排水の上では低地であり、今も傍にあるポンプ場からポンプで水をくみ上げて那珂川に排出しております。博多駅前史参照。)

博多駅前史異聞 その4 字馬場_e0027240_1132026.jpgただ、房州堀は比恵川の残存物とは角度的にも考えにくく、そう考えれば、比恵川の本来の流れは、房州堀よりはもう少し上流の地点、少なくとも現在の博多駅付近から流れを変えていたと考えるのが自然であり、つまり、こう(←)なっていたのではないか・・・と。

また、鉢の底川ですが、こちらも本来はもっとも無理のない形で延長したならば、それこそ、うちの馬場添の方向に流れることになり、事実、私が子供の頃はそこを流れていました。
(キャナルシティ脇の川の形は変わっていないと考えて良いと思います。)
これは那珂川の支流だったのですが、おそらく、農業用水として、クリークを引いたということはあったでしょうから、それを拡幅延伸して作ったということは考えられるでしょうね。
(実際、私が子供の頃には鉢の底川と平行して、幾筋もどぶ川が流れていました。もっとも、おかげで、大雨が降れば、すぐに床下浸水でしたけどね(笑)。)

結論を言えば、当時、字馬場は比恵川の北、つまり、博多市中の内側にあったことになり、となれば、ここは博多の南端にぷくっと膨らんだような場所で、城で言えばいわゆる出丸のような所でありながら、洪水が多いことから砦のような防御施設を構築することも出来ない場所だった・・・と。
その一方で、探題舘からここまでは何ら遮られる物なく行くことが出来たことを考えれば、平時は馬場にしておいて、有事の際にはすぐに駆け付け、比恵川を防衛線として戦うという戦略を採った・・・と。
すなわち、こここそが鎮西探題舘の馬場であった・・・と。
でもって、馬場はわかったのですが、ところで肝心の馬場添って何だったんですかね?
                                平太独白
by heitaroh | 2010-05-25 08:21 | 地域 | Trackback | Comments(20)
Commented by heitaroh at 2010-05-26 09:13
<非公開コメントさん

有り難うございます。
実は私の手元にもあまり無いのですが、せっかくご興味を持って頂いたのであれば、送らせて頂こうと思います。
送付先を教えてください。
Commented by heitaroh at 2010-05-27 10:06
<非公開コメントさん

了解しました。
委細は別途。
Commented by kikan at 2010-07-13 20:29 x
へいたろう氏、お久しぶりです!
随分研究が進みましたね!
『博多を掘る』や前挙しました『房州堀は戦国期の産物か』などを見ておりますと、
この旧比恵川と房州堀の関係がますますわからなくなってくるのです。
ただ発掘調査から見ると房州堀は掘削されたようで、旧比恵川の砂層
が交差している箇所がある。
やはり旧比恵川の一部を「利用」した、と見るのが穏当なのでしょうか。
鉢の底川が旧比恵川の痕跡であることはほぼ間違いありませんね。
Commented by kikan at 2010-07-13 20:35 x
石城志所載の古図に見える比恵川の途中から南に伸びる川こそ馬場添を
流れていた旧鉢の底川なのかもしれません。
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/kochizu/kinsei/H04.htm
Commented by heitaroh at 2010-07-14 10:44
<kikanさん

おお!先輩、お久しぶりです。

この記事を先輩に見てもらおうと思っていたんですよ。
しかし、連絡先がわからず・・・。
ご存命で何よりです(笑)。

旧比恵川の痕跡がそこにあり、一帯に防衛設備を設けようとするときにこれを利用しないと考える方が不自然ではないでしょうか。
あるいは、先に、房州堀の整備があったのかもしれませんが、房州堀自体は「安房守」と関係なく、どうやら、江戸初期から、せいぜい、遡っても戦国後期程度にしか遡らないという学者の論文がありましたので、だったら時代があわないかな・・・と思った次第でした。
Commented by heitaroh at 2010-07-14 10:51
< kikan さん

私もこの説に賛成です。
鉢の底川自体はもっと、早くからあったと思いますよ。
上の図に表しているように、那珂川から分岐して、簑島方面からキャナル方向へ馬場添の傍らを流れていたもので、下流の方で旧比恵川と合流していたのでしょう。
Commented by kikan at 2010-07-15 03:12 x
>旧比恵川の痕跡がそこにあり、一帯に防衛設備を設けようとするとき
>にこれを利用しないと考える方が不自然ではないでしょうか。

同意です。
この比恵川北流掘削工事のあと、旧比恵川の窪地は残っていて、
その一部を新たに堀化したと考えるのが自然ですね。
というかそもそもこの房州堀なる遺物が史書通り比恵川北流掘削工事と同時に
構築された、とすると真に妙な感じになります。
いっそ旧比恵川痕跡をそのまま堀にすればいいものを、敢えて
枯河川の一部だけを利用して(それも不自然な形で)堀構築したのは何故か。
博多部町割りに沿った理由によるものなのか、さっぱり解らないのです。
比恵川掘削工事より随分後に堀を構築した、ということなら
枯河川の窪地を利用したという自然な整合性を感じます。

なんとも解せないのは鉢の底川那珂川合流部が旧比恵川と重なっている(つまり鉢の底川河口部は旧比恵川の痕跡である)、
という前提に立ってのことですが、何故房州堀は鉢の底川に依拠
(鉢の底川にぶつかるような施工を)したのか。
房州堀は江戸期の地図をみても鉢の底川にぶつかる構造をしているのがわかります。
Commented by kikan at 2010-07-15 03:13 x
ほぼ明確であると思われることは

1:鉢の底川の房州堀交差部以下は旧比恵川であること。

2:房州堀が構築されたとき、馬場添方面から流れる鉢の底川が生きた河川であったこと。
(旧比恵川痕跡に留まらず現役バリバリの河川だったこと)

3:仮に比恵川北流掘削工事と房州堀構築に時間的なスパンがないのなら、
(つまり両方とも臼杵鎮続の仕事なら)
しかも旧比恵川を利用する形で堀を構築したのなら、房州堀は果たしてこのような
鉢の底川に依拠する位置関係を取るだろうか。

このあたりがごちゃごちゃ状態なんです。
やはり房州堀は戦国期の遺物ではなく江戸期のものなのかもしれません。
Commented by kikan at 2010-07-15 04:41 x
明治23年の福岡市街地図に堅粕村あたりから来る流れが見えます。
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/kochizu/kindai/chizu01a.jpg

この位置関係は現在の石堂川から那珂川へ向かう無理のない
ベクトルです。
(当然現在の石堂川は当時のそれと形を変えている可能性は大きいです)
これが旧比恵川流域の痕跡であるとすれば房州堀と比恵川は随分乖離していたとも考えられます。
Commented by heitaroh at 2010-07-15 17:47
<kikanさん

房州堀なる遺物が史書通り比恵川北流掘削工事と同時に構築されたということは無いのではないでしょうか。
こういうことは発掘調査を待たねば何ともいえないのでしょうが、確かに旧比恵川痕跡をそのまま堀にすればいいように思います。
おそらく、比恵川の流れを変えても、そこに何らかの堀は必要だったはずで、房州堀の原型のようなものは存在していたのではないでしょうか。
ただ、それは自然に出来上がったものですから、防衛設備としてのそれとしては何かと使い勝手が悪かったということがあり、そこで、戦乱が収まった後で再整備したのが房州堀であった・・・と。
Commented by heitaroh at 2010-07-15 17:53
<kikanさん

明治23年の福岡市街地図の川の流れは大変、興味深いものですね。
ただ、これには東領から人參畑(馬場添)を経てキャナル付近に注いでいた、いわゆる、鉢の底川の流れが見あたりませんね。

ちなみに、この地図には字人參畑とありますが、私も以前、これは随分考えました。
まず、明治15年の小字調べには人參畑という字はなく、さらにこの位置は国鉄の向こうであり、今の住吉神社境内になり、私が知る人参町とあいません。

それと、先輩、教えてください。
馬場添とはどういう意図で使われる地名なのですか?
馬場の付属地?
Commented by kikan at 2010-07-15 21:07 x
へいたろう氏:

>ただ、これには東領から人參畑(馬場添)を経てキャナル付近に注い>でいた、いわゆる、鉢の底川の流れが見あたりませんね。

この後の時代の地図にはありますのでたまたま省かれたのでしょう。
この東領、馬場添を流れていた鉢の底川はかなり流路総延長の長い
ものだったのかもしれません。

ひとつお聞きしたいのですが、東領、馬場添を流れていた鉢の底川は
どんな水質だったのでしょう?
悪臭を放つくらい汚染されていましたか?
これにより管絃橋以下の鉢の底川の汚染の原因がわかりそうです。
Commented by kikan at 2010-07-15 21:09 x
>馬場添とはどういう意図で使われる地名なのですか?

調べたところ、馬場添は全国的な人名地名に見えますが、
意味までは解りませんねぇ。
すみません。
Commented by kikan at 2010-07-15 21:25 x
>勝手が悪かったということがあり、そこで、戦乱が収まった後で再整備したのが房州堀であった・・・と。

その推理に同意です。
おそらく比恵川自体、度重なる氾濫で川幅や流れを変えており、
博多部房州堀付近にはこの氾濫窪地があったと推測します。
それを後に掘削し房州堀を構築した、と考えるのが自然でしょうね。
一言で比恵川といっても古代はおそらく大きな入り江状を呈していた可能性が高く、
『博多を掘る』P46に見えるように第112次調査地点(博多警察署付近)でさえ下層部は比恵川のかなり大きな粒子の砂層が堆積しており、
その上から甕棺が出土したというあたり、その流状変化を目の当たりにするものです。
ともあれあのあたりの発掘調査資料をもっと見たいですね。
Commented by heitaroh at 2010-07-16 12:02
<kikanさん

そうですね。
川幅自体は決して、大きな川ではありませんでしたから。
ただ、おそらく、御存知の、現在、区画整理で唯一遺された博多駅前の旧道ですが、おそらく、この道幅がすべて川幅だったのではないかと思いますが。
微妙に蛇行してますすしね。

>馬場添を流れていた鉢の底川はどんな水質だったのでしょう?
>悪臭を放つくらい汚染されていましたか?
>これにより管絃橋以下の鉢の底川の汚染の原因がわかりそうです。

ああ、これは私にはわかりますよ。
私が子供の頃、鉢の底川は単なるどぶ川でしたが、これは近隣の生活排水ということもながら、戦前に今の九州松下電器のところに地下足袋工場が出来て、その廃液が流れてきて以来、小柳通りにあった川などもすべてどぶ川になったと住吉神社の宮司さんが言ってましたから。
Commented by heitaroh at 2010-07-17 17:14
<kikanさん

すいません。
今、多忙にしておりまして、これ以上、コメントを書くことが出来ませんでした。
遅くなりましたが、続けます。

馬場添に関しては、私も調べて、各地方にあるということは把握していたのですが、全国的にあるということは、何らかの「設備」「機能」に基づいた地名ということですよね?
私の調査力ではこれが限界です。
貴台様の豊富な人脈で聞いてみてください。
Commented by kikan at 2010-07-19 01:28 x
へいたろう氏:

馬場添(○○添)の地名の由来について詳しそうな人間に聞いてみますね。

>戦前に今の九州松下電器のところに地下足袋工場が出来て

なるほど。
ということは少なくとも九松まであの川は遡行できるわけですね。
相当はっきりした川です。
これで那珂川と比恵川(御笠川)の間にもう一本、鉢の底川本流が流れていた、
と言えます。
Commented by heitaroh at 2010-07-19 09:20
<kikan さん

あれ?
鉢の底川が那珂川から枝分かれした場所については言いませんでしたっけ?
調べればわかりますけど、確か、清水か美野島かどこかその辺ですよ。

>これで那珂川と比恵川(御笠川)の間にもう一本、鉢の底川本流が流れていた、と言えます。

この川が人工的に掘られた物か、自然にできた物かはわかりませんが、事実、私が子供の頃には間違いなく存在してました。
他にもたくさん、どぶ川がありましたが、それらはおそらく、農業用水として鉢の底川から引かれたのではないかと思いますので、それらの川に名前すら残っておらず、鉢の底川だけ早くから資料に存在が明記されていることを思えば、上代よりあったものではないかと思われます。

ちなみに、お友達の郷土史家の方は昭和42年に暗渠になったと言ってありましたが、こちらの馬場添の脇を流れていた方は暗渠にはなっておりません。
完全に潰されております。
一昨年だったか、道路工事の際に確認しております。
旧比恵川の名残の方はどうなったかわかりませんが、こちらは区画整理でよその敷地の下になっている可能性が高く、
Commented by kikan at 2010-07-20 02:19 x
え?那珂川からの分岐だったのですか?
ということは竹下あたり、かな。

中世、那珂川分岐が比恵川に通っていた、と見ていいのでしょうか。
Commented by heitaroh at 2010-07-20 10:44
< kikanさん

先輩!
言いましたよ(笑)。

地図も見せて、ここから枝分かれしている・・・と(笑)。

> 中世、那珂川分岐が比恵川に通っていた、と見ていいのでしょうか。

というより、那珂川も鉢の底川も比恵川もすべてキャナル付近が低地となっていたため、そこへ注いでおり、位置的に鉢の底川は那珂川に合流する前に比恵川にぶち当たっていた・・・ということでしょう。

ちなみに、この稿はコメント欄が長く成りすぎましたので、次回よりはこのシリーズの次項にコメントください(笑)。
<< 自社の社史を通読せずして入社するの愚 博多駅前史異聞 その3 馬場新町 >>


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。

by 池田平太郎
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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