親愛なるアッティクスへ
先日、平太郎独白録 「三洋電機に見る『裸の王様』現象」の中で、三洋電機の創業者である故井植歳男氏について述べましたが、改めて、リーダーとは如何にあるべきかということについて考えさせられました。
ソフトバンクの
孫氏や
楽天の
三木谷氏などのように、きらめくばかりの才智をお持ちの人はいいとしても、私のような愚鈍な人間は、そういう立場に置かれたならばどうするか・・・。
何もリーダーというものは、起業や企業に限ったことではありません。
非常時の消防団や、地域の自治会長などもまた、然り。
いつ、そういう物が廻ってこないとも限らないのではないでしょうか?
となれば、いざ、そういう立場に立たされた時、私同様のお考えの方は、あるいは、少なくはないようにも思えます。
では、自ら、機転が利いた才智タイプではない・・・という人は、どうすればいいのか?
その道標の一つとなるのではないか・・・と思わせられるのが、
「クォ・ワディス!」です。
これは、20年以上前、学生時代の私がむさぼるように読んだ、
大橋武夫という人の本の中に書いてあったことなのですが、「クォ・ワディス!」とは、「神よ!どちらへ行かれるか?」という意味だそうで、大旨、以下の通りだったと思います。
【紀元六四年、ローマでは
皇帝ネロ(37~68年)がキリスト教徒の大虐殺を行おうとしたとき、辛うじて収容所を脱出した数人の教徒が、必死の逃避行を続け、走りに走り、もう大丈夫!というところまで来たとき、難民の流れにさからって、こちらへ急ぐ人影が見えた。見れば
キリストである。
教徒のうちのリーダーが、
「クォ・ワディス(神よ!どちらへ行かれるか)?」と、不思議そうに尋ねたら、
「ロ-マへ!」と答えて、さっさ!と行ってしまわれた。
リーダーの耳には、「お前こそどこに行こうとしているのか?」と聞こえた。つまり、
「自分だけ逃げるのか」と。
それに気づいた彼は、直ちにローマに引き返すと、進んで収容所に入り、多くの仲間と運命をともにして殉教した。その教徒の名こそ、
使徒ペテロであった】だそうです。
おそらく、
聖書か何かに載っていることであって、史実ではないと思いますし、ここだけ読むと、イマイチ、ピンと来ない話ですが、この後に続けて、同書にはこの好事例の出来事が書かれていました。
それが、帝国陸軍の陸軍大将であった
今村 均という人物についてでした。
明日に続く。
平太独白
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