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やったことは同じでも結果に差有り・・・、土佐藩と福岡藩
親愛なるアッティクスへ

幕末土佐藩の実権者として、武市半平太率いる土佐勤皇党を弾圧する山内容堂・・・ですが、ドラマや小説などでは、「生まれながらの殿様として、郷士には生理的なまでの嫌悪感を抱く人物」として描かれることが多いようですが、でも、彼の母は郷士の出で、分家の殿様との間にもうけた子が容堂なわけですから、つまり、彼自身は郷士とのハーフであり、かてて加えて分家の出・・・なんですよね。
まあ、それゆえに敢えて郷士らを忌み嫌わねばならなかったという見方も成り立つのでしょうが、しかし、彼が抜擢した吉田東洋などは事実上、郷士と言っていいような家格であり、そう考えれば、必要以上に郷士を蔑視する考えがあったようにも思えません。
そもそも、武市一派の台頭自体、容堂の謹慎中に彼が藩政改革を託していた吉田東洋を暗殺することで始まったわけで、容堂からすれば自らの謹慎が解かれたならば排除に乗り出すことには何の違和感もなかったでしょう。
それに、こういう跳ねっ返りの藩士を弾圧するということは土佐藩に限ったことではなく、薩摩藩でも伏見寺田屋で薩摩人同士が相打つ惨劇を繰り広げておりますし、筑前福岡藩でも同様のことが起こっております。

福岡藩のこの時点での実権者は黒田長溥という人物ですが、この人物も極めて容堂と共通点が多く、まず、容堂が分家の出であったのに対し、こちらは薩摩藩からの養子だったということ、それから、容堂が四賢侯の一人に数えられるほどの英邁さを持ち合わせていたように、長溥も勝 海舟をして「一番出来の殿様」と言わしめたほどの開明派君主で、決して暗愚ではなかったということ・・・。
となれば、こういう、英邁な君主は自分を頼むことが強い反面、「養子」ということで、家中統率に置いては必要以上に強硬な対応に出る傾向があったのか、土佐藩が武市の息の根を止めようとしていたまさにそのとき、福岡藩でも「乙丑の変」と呼ばれる勤皇派弾圧事件が勃発します。
このとき、土佐に置ける武市の立場に立たされていたのが福岡藩家老・加藤司書という人物で、容堂が「酔えば勤王、覚めれば佐幕」と揶揄されたように、長溥の方は「尊王佐幕」を掲げていたことから、司書を中心とする倒幕急進派と激しく対立・・・。
そこへ、長州征伐に乗り出すことを表明した幕府より旗幟鮮明を求められたことから、長溥はついに、司書以下7名を切腹、14名を斬首、15名が流罪、逮捕者140名・・・という大弾圧事件へと踏み出します。

ただ、土佐藩が、下士への抑圧が激しかった結果、郷士らが大量に脱藩し、薩長と行動を共にしていたことからおり、幕末の最終局面に置いてはこれを利用することで辛うじて討幕派の一端を担うことに成功したのに対し、福岡藩は明治維新が勃発すると慌てて佐幕派の首を切って差し出すも、相次いだ粛正により著しく人材が枯渇する結果を招き、戊辰戦争に置いては諸藩の嘲笑を受け、ついには廃藩置県前にお取り潰しに相当する処分を受け、その終焉を迎える・・・と。
見限られたのが幸いした土佐藩と、見限られなかったことが災いした福岡藩・・・、やったことは同じなのに何とも皮肉なものです。
                                        平太独白
by heitaroh | 2010-05-08 17:32 | 歴史 | Trackback(7) | Comments(6)
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Tracked from 真田のよもやま話 at 2010-05-10 14:43
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Tracked from 一言居士!スペードのAの.. at 2010-05-10 15:16
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Tracked from センゴク雑記 at 2010-05-10 20:23
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大河ドラマ「龍馬伝」。第19回、攘夷決行。 ついに、武市半平太の活動の成果がわかる時がきた。 天皇の勅命により、幕府が決めた攘夷決行日は5月10日! ... more
Tracked from ◆◇黒衣の貴婦人の徒然日.. at 2010-05-11 12:29
タイトル : 大河ドラマ「龍馬伝」第19話「攘夷実行」
みんなどこじゃ----------------?ついに武市はひとりぼっち。攘夷実行は5月10日に------------!!時代は動く!!海軍塾では、土佐勤王党からやってきた亀弥太、高松、寅之助は武市の元...... more
Commented by 南の国の会社社長 at 2010-05-08 23:32 x
福岡藩の黒田長溥さんというのは、黒田長政さんの御子孫ですね?土佐の山内一豊さんと同じように、徳川家康の天下取りに一番貢献した人物ですね。幕末の長溥さんも、容堂さんも、徳川恩顧ということが足かせとなるんですね。しかし幕末の福岡藩がそんなことになっていたとは知りませんでした。これは是非次の小説のテーマにいかがですか?でもあまり盛り上がらない?(笑)
Commented by heitaroh at 2010-05-09 12:57
>南の国の会社社長さん

長溥という人は黒田家の当主ですが、長政の子孫ではありません。
長政の血筋は6代藩主で途絶えており、後は、ずっと幕末まで他家からの養子で、その養子らも、子が出来なくて、物切れ状態・・・。
ちなみに、この、長溥は薩摩藩からの養子と申し上げましたが、この人も実子に恵まれず、伊勢藤堂家から養子を迎えております。
従って、今の黒田家当主は藤堂高虎の血筋です。

まあ、殿様なんてものはその時代の受益者の最たるものなんでしょうから、安易に体制を変えたくない・・・というのが本音なんでしょうね。

ちなみに、黒田長溥は書いてませんが、黒田長政は書きました。
ま、金があったら、来年辺り本にしようかな・・・と(笑)。
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-05-09 16:09
山内容堂が弾圧した土佐勤王党はほとんどが下士で構成された集団で(一部下級上士もいましたが)、容堂の側近の中にも乾退助をはじめとする尊王倒幕の考えを持つ人物もいましたが、彼らの過激な言動に眉をひそめてはいたでしょうけど、なんのお咎めも加えることなく泳がせていました。
土佐勤王党の弾圧は、その思想の弾圧というよりも、単に下士の徒党を嫌ったものだったように思います。(そのあたりが「酔えば勤王、覚めれば佐幕」と揶揄された所以でしょう。)
一方で、黒田長溥の行った勤王党弾圧で処刑された人物たちは、家老の加藤司書を始め藩重役の者が多く、明らかに藩論を統一するための思想の弾圧なんですね。
両者の違いはそのあたりにあるように思います。

後年、加藤と一緒に処刑された月形洗蔵と、土佐勤王党の武市半平太の二人をモデルにして作られたのが「月形半平太」だそうですね。
同じ時代に同じような殿さまの手によって処刑された2人が、思わぬところで手を結ぶことになるとは、当の本人たちは努々思っていなかったでしょうね。
Commented by mimishimizu3 at 2010-05-10 10:16
昨年の秋、「中央区ぶらぶら歩き」をしました。
有名になった「フクロウの森」あたりを歩いたのですが、そのとき「加藤司書」邸あと、というのを見ました。
そのとき加藤司書って誰のころかまったく知らなかったのですが、ここで、その名前に出くわし、びっくりしました。
Commented by heitaroh at 2010-05-10 10:59
< sakanoueno-kumoさん

土佐勤皇党の弾圧というのは、私は政治的な思想闘争というよりも、やはり、「自分が抜擢した吉田東洋を排除して、自分が承認したわけでもない連中が政権を掌握した」という権力者側の論理、感情論と言っても良いのかも知れませんが、それが大きかったように思います。
その意味では、武市の判断はやはり、余りにも近視眼的だったということは否定できないでしょう。

ただ、長溥の行った勤王党弾圧も、内実は似たり寄ったりで、家臣側に殿様の感情を逆撫でするような行為が多々あったようです。
やはり、他家から養子に入った殿様というのは色々と難しい物があったようです。
特に黒田家の場合、藩祖長政の血筋は6代継高で途絶えており、その後は維新までの100年を徳川家やら、京極家やら、島津家やら、藤堂家などなどから、入れ替わり立ち替わり養子を迎えていたわけで、家臣の側にも殿様を軽んじる気持ちはあったと思いますよ。
Commented by heitaroh at 2010-05-10 11:02
< mimishimizu3さん

「フクロウの森」ってどこですか?
有名なんですか。
すみません、まったく知りません(笑)。

加藤司書というのは福岡藩の家老でして、上述のように非業の死を遂げた人物なのですが、切腹した寺は大博通り沿い、博多駅に向かって右側の通りにあります。

ご興味をお持ち頂いたのであれば、一度、この人のことも採り上げましょうかね。
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国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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