親愛なるアッティクスへ
昨日、テレビで映画「ALWAYS三丁目の夕日」をやってましたよね。
うちの、お馬鹿なガキども熱中して見ているので、「わかってるのか?」と思い、「明治時代?」と聞くと、「昭和?」と少し頼りなげな返事・・・。
「昭和って知ってるのか?」と言うと、「水不足の頃?」・・・と。
確かに、博多では、昭和53年だったかに大渇水で給水制限になったことがあり・・・(笑)。
私にとっては、ALWAYSの頃は私が生まれる前であり、大渇水の頃は高校二年でしたから、白黒とカラーくらいに全然、違うイメージだったんですが・・・。
で、ガキに、「この映画の時代は水不足の頃より20年も前なんだぞ」というと、少し驚いた様子でしたが、一方で、自分でも、「考えてみれば、たった20年しか違わないんだ」・・・と。
だって、今から20年前って言ったら、平成2年でしょ。
さすがに「最近」とは思いませんけど、まだ、それほど「昔」でもないですよ(笑)。
(↑ レトロでしょ(笑)。)
で、以前、昨年の今頃だったか、前年の
リーマンショック以降、結構な
経済的苦境に陥ったこともあって、私的にはリーマン以上の
衝撃波であったと思える
オイルショックの頃の経済界のことについて書かれた物を読み始めた・・・と申し上げましたよね。
(当時、私は
小学校6年生でしたので、実際に、この衝撃に相対した当時の大人たちは、この経済危機に対し、どう感じ、どう行動したのか・・・、そして、それを知ることは今後の
混迷の時代に何かの
道標となるのではないか・・・と思ったわけです。)
で、取り寄せたのが、私が20代の頃、結構、愛読していた
三鬼陽之助という今は亡き老経済記者の手による
昭和49年(1974年)発刊の
「社長の受難時代 この危機を乗り切る経営者の条件」という本でして・・・。
この人については、以前からたびたび触れてきた通りなのですが、今回、取り寄せるに当たって、著作一覧を見て、改めてびっくり。
最初の著作は、
投資経済社というところから発行された
「会社と経営者」という本で、何と、
戦前の
昭和11年(1936年)の物なんですね。
となれば、当然、この
明治40年生まれの方から見れば、オイルショックと戦後が一本の線で繋がってしまうわけで・・・。
で、恥ずかしながら、今頃、ようやく、読み終えたたのですが、その中の一節に、『
大洋ホエールズが、野球に優勝した時、社長の
中部謙吉が「こんなにテレビ、ラジオ、新聞が無料で我が社の名前を宣伝してくれたのだから、前年に比較、我が社の製品は最低一割五分は余計に売れるだろう…・」と狂喜、皮算用した。ところが、結果は逆で、それからの同社の業績は下火となったということである』という部分が出てきました。
大洋ホエールズが優勝したというのは、私が生まれる前年の
昭和35年で、私にとっては、オイルショックと大洋ホエールズ優勝は同じく、まさしく、カラーと白黒ほどに違うまったく別次元の出来事だったのですが、当時の大人たちにとっては、一本の線に繋がる、「つい、最近のこと」だったんだな・・・と。
平太独白