親愛なるアッティクスへ
またまた、今更・・・の観があるのですが、先日、敬宮愛子さまが学習院初等科でいじめられて、不登校になっている・・・というニュースがありましたよね。
まあ、私も小学校の頃は、良く女の子をいじめて泣かせたクチですので、それ自体は何ら驚くところではないのですが、驚いたのは今上天皇が「皇族に対するイジメは昔からあった」とコメントされた・・・ことです。
今ならともかく、戦前なんて、「天皇は神様」だったわけでしょ?
それをいじめたりしたら、それこそ、「不敬罪」なわけで・・・。
まあ、この辺は以前、チェ・ゲバラの稿で言った「預言者は己が里にて喜ばれず」・・・で、やはり、「神様」というのは神棚の奥にあるから有り難いわけで、それが、自分と同じ服着て、同じように大小便してる姿を目の当たりにしていると、どうしても、生身の「人間」という意識が頭をもたげてきてしまうものなのでしょうか。
で、愛子さまのいじめの問題ですが、人間という罪深い生き物は、絶えず、他者よりも己が
優位性を示そうとし、一旦、優位に立つや、弱者に対しては己が優位性を見せつけようとする、その行動原理は人間の原型である
猿でも見られるわけで、これが「いじめ」の原型なのだろうと思います。
(それが、さらに救いようのないものになると、
「身分」「奴隷」「階層」というワードに繋がってくる・・・わけで。)
ついでに言うと、
平太郎独白録 : マルクスの過ちがもたらした20世紀の動乱と菊千代の指摘でも申し上げたことですが、とかく、
「弱者は善」であると
錯覚しやすいんですよね。
「弱者」に権力を預ければ、きっと、良い世の中になる・・・と。
しかし、弱者が一旦、強者になったときにはそれ以上に酷いことをするものなんですよ。
話を元に戻すと、まあ、「いじめ」という問題そのものについては、以前、これも、
平太郎独白録 : カムイの五ツに常識の陥穽といじめ問題の原点を見る・後編で申し上げたとおりで、一番効果的なのは、「いじめる側」に「いじめることの
デメリット」を教えることだと思いますが、この点、どうしても、今の日本の教育は「いじめはいけません」という善悪、すなわち、
モラルで矯正しようとしているようで・・・。
ただ、いじめの問題そのものはともかく、学習院はこれで良いんですか?
だって、学習院というのは、言うならば、
「堀越学園」と一緒で、
「お近づきになれる」ことが売りなわけじゃないですか。
それが、
秋篠宮家は学習院には行かせないし、愛子さまはいじめられている・・・となれば、根幹を揺るがすゆゆしき事態のように感じるんですが。
通り一遍の
「いじめはなかったと認識している」なんてコメント出している場合じゃないのでは・・・と。
ちなみに、かつて、ドラマ
「おしん」を見て、私の祖父は、母や祖母に向かい、「昔の女はこれほどに苦労したんだぞ。おまえたちは苦労が足りん!」と宣いましたが、今、私も、妻や妹に対し、「いいか、おまえら、
皇太子妃の苦労をよく見ておけ!今の時代に、明治の苦労をしておられる」と・・・言いたいけど言ってません(笑)。
平太独白