昨日の続きです。
その、星新一著「明治の人物誌」ですが、手にとってすぐに思ったのが、まず、「何でこの顔ぶれなの?」ということです。
この辺は、末尾に書評を寄せた城山三郎氏も同様のことを思ったようで、曰く、「本書を手にしてまず感じるのは、とり上げられている人々についての不統一というか、多様さである。野口英世、伊藤博文など高名な人もあれば、一般的には無名に近い人もある。私のような仕事をしている者でも、その姓名(後藤猛太郎)だけでは、すぐに思い当たらぬ人もある。職業も学者、政治家、実業家、政治浪人などさまざまであり、そこにエジソンまで加わることで、この人たちを集めた意図がいよいよ読めなくなる」・・・と。
で、読み始めてしばらくしてやっとわかったのですが、そこに採り上げられている、中村正直/野口英世/岩下清周/伊藤博文/新渡戸稲造/エジソン/後藤猛太郎/花井卓蔵/後藤新平/杉山茂丸という人たちは、著者である星氏の実父、星 一氏と皆、何らかの形で関わりがあった人だということで、つまり、この明治の人物誌というのは形を変えた父への追悼文だったわけです。
星 一という人については、新一氏がその著書、
「人民は弱し 官吏は強し」で述べているように「有能な経営者でありながらも、政府の干渉と圧迫によって経営する
星製薬を頓挫させられた悲劇の人で、新一氏も
東大を卒業してすぐに亡父の跡を継いで社長になったものの未熟さは誰の目にも明らかであり、ついに事業は破綻し、氏も随分と辛酸をなめた」・・・という程度のことは私も知ってましたが、残念ながら、同書はまだ読んだことがなくそれ以上は知りませんでした。
(それでなくても、うちの本棚は、まだ、積ん読状態の物が100冊くらいあり・・・。家人からは、「今、読む物だけを図書館から借りてこい!」と・・・叱責されている始末でして(涙z)。)
で、改めて、そういう目で見ると、この本はちょっと驚きでしたね。
なぜなら、これらの顔ぶれのうち、新一氏の実父が面識がないのは著書を通して影響を受けた中村正直だけであり、後はすべて実際の面識がある人ばかりなんですよ。
伊藤博文とも、エジソンとも、野口英世とも・・・、無論、親密の度に差はあるにしても、皆、それなりに親交があった・・・ということでしょ。
これって凄くないですか?
自分の父親が、生前、
吉田 茂や
アインシュタインや
湯川秀樹なんかと親交があったようなもんですよ。
これが、「
長州閥の人たちとの付き合いの中で伊藤博文とも面識があった・・・」とか言うんなら、まだ、わかるんですよ。
でも、伊藤博文とエジソンと野口英世は少なくとも彼ら自身には、あまり接点があったようには思えませんからね。
まあ、その辺は当時としては貴種と言っても良い、「海外留学」を経験しているということが大きかったのでしょうが・・・、ともあれ、週明けよりは、もう少しその辺を突っ込んで採り上げてみたいと思います。
ということで、次回に続く。
平太独白