親愛なるアッティクスへ
昨年から、折に触れて申し上げていたことですが、竹下景子さんが最近、お婆ちゃん役をやり出して、しかもまた、それが似合っていることに、内心、複雑なものがある・・・と。
まあ、それは彼女のプロ意識の高さを見るような思いがあるのですが、それでも、「綺麗なお姉さん」的存在がお婆ちゃんになっちゃうと、否応なく、自分の年齢と重ね合わせるわけで・・・(笑)。
ただ、以前からそういう役が多かった人ならともかく、かつて、美人女優と言われた人が老け役に挑む・・・という部分にはプロ意識以外の何ものでもなく、大いに敬意を表しますよ。
そもそも、私に言わせれば日本の女優というのはプロではない・・・人が大半で、もっと極論したならば、少数を除いて、日本には女優というものは存在しないとさえ思います。
そういうと、少し語弊があるかと思いますが、私が言いたいのは日本には「プロの女優」はいるが、「女優のプロ」というのはいない・・・ということです。
この点は、特にかつての
大河ドラマなどがそうだったのですが、女優さんが誰かの一生を演じてくると、決まって、最後の方では、「おまえ、一体、いくつだ?」みたいな、妙に綺麗なお婆ちゃんになっちゃうんですよ。
今の時代なら、美顔だ、皺取りだ・・・で、きれいなお婆さんは有りなんでしょうが、少なくとも歴史上の人物などを演じるときは、あり得ないでしょ。
おなた、プロなんだったら晩年はお婆さんになりきりなさいよ・・・と。
最近は随分、マシになってきたように思いますが、この点で、殆ど例外的な「プロ」の女優・・・、ならぬ、「女優のプロ」といえるのが
田中絹代という人です。
この人の凄いと思うところは、役作りのために
奥歯を抜いたことで、「奥歯を抜く」・・・ということ自体は必ずしも珍しい話ではなく、男性の俳優さんでは、
松田優作さんなどを始め、たまにそういう話を聞きますよね。
でも、女優さんでそれをやったのは、あまり多くないですよね。
あるいは、他にもいらっしゃるのかもしれませんが、少なくとも田中絹代という人は
明治42年(1909年)生まれですから、それをやったのは確か、
昭和28年(1953年)の
雨月物語の中でのことだったと記憶しておりますので、逆算すれば、当時、彼女はまだ
44歳・・・。
人間の老化が早かった当時の44歳を今の44歳と同じに考えることは出来ないでしょうものの、それでも、かつて美人女優として一世を風靡した人であれば、まだ、
「美」を捨てることに抵抗がある年齢だったのではないでしょうか。
誰からかやれと言われたわけでもないのに、自ら考えて、それをやったということが如何に彼女のプロ意識が高かった・・・かと思うわけです。
(少なくとも彼女以前に、「女優」でこういうことをやった人はいなかったでしょう。)
ちなみに、「歯を抜いた」という点で役者度を表すのも如何なものかと思いますが、敢えて、その論で言うならば、もっと凄い人がいます。
二代目博多淡海という人です。
おそらく、その名前をご記憶の人はそれほど多くはないかと思いますが、昔、
藤山寛美と一緒にテレビの舞台喜劇に出ていた
博多弁をしゃべるお婆さん役の男性・・・といえば、あるいはご記憶の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
明日に続く。
平太独白