親愛なるアッティクスへ
以前から度々、申し上げておりましたことですが、私は昔から、「6」という年齢差、つまり、「半回り」を意識しておりまして、有名人でも、私の6歳上が島田紳助、明石家さんま、江川 卓に掛布雅之、千代の富士、桑田佳祐・・・等々で、そのまた6歳上、つまり、一回り上になるのが村田兆治、矢沢永吉に、故松田優作という人たちでして・・・。
(逆に半回り下が大鶴義丹、織田裕二、桑田真澄、清原和博、一回り下が安住紳一郎、イチロー、松中信彦・・・etc。)
つまり、これは、有名人に限らず、身近な人たちでもそうなのですが、半回り上までは、「年長の兄貴」として足元を照らす灯りがぎりぎり届く存在なのですが、一回り上になると、ちと、上すぎて、灯りは見えるものの足元を照らすには少し遠い・・・、現実感が希薄な世代になるんですよ。
具体的に言えば、矢沢永吉さんや松田優作さんは私が学生時代には
カリスマ的な人気を博していた人たちですが、でも、それはやはり
偶像としてのそれであって、現実感としては、少し
遠い背中であり、現に、矢沢さんが今、「俺、今年、
60歳になるんだよ」と言われてますが、それを聞いて、おそらく12年後に「ああ、あのとき、矢沢さんが言ってたよな」と思うことであって、今の私には
実感としてはわからないんですよ。
それが半回り上の人たちが言うことだったら、ぼちぼち、
「実感」としてわかるところに入ってきているわけで、従って、半回り上の人たち・・・、特に司会者として、そういうことを発信する機会が多い
島田紳助さんの発言には結構、実感できる部分があるわけです。
で、以前、たまたま、テレビを見ていたら、その、紳助さんが「最近、
精神安定剤が無いと眠れないんですわ。俺、人にはぼろくそ言うけど、自分が言われるのはホンマは
苦手なんですわぁ」などと言って、笑いを誘っておられたのを見て、思わず、「え?!あの、紳助さんでもそうなんだ・・・」と少し驚きました。
思えば、マンガの神様・
手塚治虫翁も、「手塚の作品はくだらなさすぎる!」「
荒唐無稽だ!」と言って教育評論家のような人から激しい非難を受けたと言いますし、
「世界のクロサワ」として知られる巨匠・
黒澤 明監督も、
「椿三十郎」などの娯楽時代劇を作った際には「
低俗!」「ばかげている!」と映画批評家のような人から激しく批判されたと聞いてましたので、まあ、あり得ない世界だ・・・とは思いませんでしたが、手塚さんや黒澤さんのように自分の父親よりも年長の人たちが言うのと違い、「半回り上」の紳助さんの口から聞くと、もの凄く、
近いところの人が言ったような気がして、「皆、多かれ少なかれ、そういうことを経てきているんだな」・・・と。
ただただ、我が身の
不明が恥ずかしい限り・・・です。
もっとも、誤解のないように申し上げておきますと、私は決して
「ご機嫌取り以外お断り」と言っているわけではありません。
「批判」は良いんですが、
「非難」が困るんですよ。
「ここは違うのでは?」ということに対しては、正誤のほどはともかくとしても、自分なりの考えは言えるのですが、ただ、感情的になるばかりで聞く耳を持たない人に対しては対処のしようがありませんから・・・。
平太独白