親愛なるアッティクスへ
連休中、当方は特にどこも出かけませんでしたが、一日だけ、ガキ連れて、福岡市近郊の山に登ってきました。
まあ、「登る」というよりも「散歩」という方が適切な程度の山でしたが、天気が良かったこともあって、それなりに眺めはよかったですねぇ。
ただ、駐車場がどこも
満車だったり、
一時間待ちだったり・・・というのには辟易しましたけどね。
で、この連休中、録りだめしていた
「ラスト・ハーレム」という映画を見ました。
題名の通り、
オスマン・トルコ帝国崩壊時の
スルタン(皇帝)の
ハーレムを描いた作品ですが、映画自体は、テレビ用に短く縮めてしまったのか、とにかく、
説明不足で展開がわかりにくい・・・ものの、日本の
徳川幕府崩壊時の
大奥との
対比という点では非常に興味深かったですね。
その上で、やはり、両者の一番の違いは、日本の大奥の場合は、皆、多かれ少なかれ、それなりの名門名家の出であったのに対し、ハーレムの場合は、そこにいる女性たちは皆、金で買われてきた
奴隷だったことでしょう。
(すなわち、歴代スルタンの
母親は、すべて、
ロシア人や
ギリシャ人などの奴隷出身だったわけで、私も、このことは知ってましたが、確かに羨ましいと言えば羨ましい・・・、いや、じゃなくて、血が偏らなくて良いと言えばいいのでしょうが、何とも大胆なシステムですよねぇ・・・。)
従って、オスマン・トルコが崩壊して、革命軍がハーレムの扉をこじ開け、「もう、おまえたちは
自由だ。どこへでも好きなところへ行くが良い」と言われても・・・。
皆、行く宛てがない人たちばかりであり、仕事もしたことがない、言うならば、自分で
餌をとったことがない
動物園の孔雀みたいなもので、身内が迎えに来てくれる人はまだしも、それが無い人たちは、結局、
飢えを凌ぐために
売春宿に行くか、スルタンのハーレムにいた女ということで
見せ物にでもなるしかなく・・・。
まあ、もちろん、この映画がどの程度
史実なのかはしりませんが、一応、その映画の中でも、去年の大河ドラマ
「篤姫」のように、主人公はリーダーシップをとろうとするものの、現実は厳しく・・・と。
この点、日本の場合は、特に、幕末時に置いて、
篤姫、和宮と二代続けて大奥のトップである将軍の正室は
革命勢力の頂点の人だったわけで、ちょうど、革命軍を率いて宮城に迫る立場にいたという意味では、
西郷隆盛に置ける篤姫のような人が
ムスタファ・ケマルにも居たならば、ハーレムの解放も、もう少し違う形で推移していたのかな・・・と思いますね。
平太独白