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プロ野球、予告先発回避って興行主側の都合でしょ・・・の巻
親愛なるアッティクスへ

今日から、福岡県地方は明らかに「春」になりましたね。
空気が春の匂いがしてますよ。
これまでは、気温だけは高くてもまだ「晩冬」でしたが、今日からは春到来・・・ってことでしょうか。
春一番はまだふいてませんが(笑)。

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で、本日の本題です。
プロ野球の開幕も近づいてきたみたいですが、今年から、セ・リーグ予告先発を導入するそうですね。
一部には慎重な意見もあったと聞いておりますが、私は予告先発導入は「当然」のことだと思いますよ。
昔、何の話だったか忘れましたが、長嶋茂雄さんの現役時代、長嶋ファンの少年が長嶋を見たくてかなり遠方から、やっとの思いで球場に足を運んだところ、その日に限って長嶋が試合を欠場しており、少年はとても落胆した・・・というような話を聞いたことがあります。
つまり、少年は、巨人戦が見たかったわけではなく、長嶋が見たかったわけですね。

この点は、昭和60年(1985年)、肘の怪我から復帰したロッテの村田兆治投手が日曜日ごとに登板して「サンデー兆治」と呼ばれ、話題となっていた時、滅多に客が入らないロッテの試合にも関わらず、村田を見に客が球場に足を運ぶようになったのに対し、あるとき、日曜に村田投手が登板しなかったことがあり、客の一人が、「村田が投げると思って見に来たのに・・・」と残念な顔をしていたことを思い出します。
この時の観衆の多くは、ロッテ戦を見に行ったわけではなく、怪我から復帰して、黙々と投げる村田投手の姿を見に行っていたわけで、これは怪我の具合もあり、やむを得ないことだったとはいえ、やはり、客からすれば「金返せ!」と言いたくなるのも仕方ないことだったでしょう。

新聞には、「人気がない外人投手なんかが投げたときの集客が課題」などという意見が載っておりましたが、それはまったくの興行主側の都合であって、消費者がつき合わされる筋合いのものではないと思います。
たとえて言うならば、月見バーガーを食べたいと言っている人に「バーガーだけの注文しか受け付けません。中身は何になるかわかりません。嫌いな物が入っていても我慢して食べてください」と言っているようなものであり、通常の商感覚では有り得ない話でしょう。
消費者は「人気がない外人投手」の分まで購入しなければならない義理はないわけで、それが嫌なら、「最初から、人気がある商品(選手)ばかりを揃えろよ」・・・となるわけで。
その意味では、こんな当然の話が話題になること自体、これまで、それでやってこられた日本プロ野球というもののぬるま湯体質、平たく言えば、巨人戦頼みに胡坐をかいてきたということの裏返しのように思えてなりません。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-03-28 20:35 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

地上波がなかった中日対ロッテの昭和49年以来の怨念
親愛なるアッティクスへ

目下、今週のうちに片づけてしまわなければならない仕事がありまして・・・、かなり、一杯一杯です。
実務云々以前に、とにかく、気が急いて気が急いて、なかなか、ゆっくりとパソコンに向かう気になれません。
今も時計とにらめっこしながらのこれです。

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(↑たまには、こういう雰囲気に身を浸したいと思います。「そちもウイやつよのう」・・・などと言いながら(笑)。)

ところで、中ロ戦・・・と言っても、中国ロシアではありませんで、千葉ロッテマリーンズ中日ドラゴンズの日本シリーズですが(ちなみに、日ソ戦日本ソ連ではなく、日ハムソフトバンクです(笑)。)、ようやく、今日から開幕・・・ではなく、テレビの地上波で日本シリーズの中継がなかっただけで、すでに1.2戦を終えているんですよね。
でも、何も、相撲賭博していたわけでもないのに、この扱いは少し、可愛そうなんじゃないの・・・という気もします。
福岡では、「福岡ソフトバンクホークスが出ていたら・・・」という声もありますが、でも、巨人と阪神が絡まない限り、どこが出ても一緒だったんじゃないですか。
私は、この点は、「原則無視のプレーオフ制度」を優先してきた「目先優先」の弊害が出ていると思っています。

で、中日対ロッテといえば、どうしても、盛り上がりに欠けるカードなんですよね(笑)。
この顔合わせは、確か、昭和49年(1974年)以来だと記憶しておりますが、この年のこのカードは、史上最多の400勝を達成し、その天衣無縫の言動で人気があった金田正一監督(ちょうど、今の清原和博氏を見ているような観があります。)の初優勝で上がってきたロッテと、巨人10連覇を阻むという歴史的な偉業を達成して勝ち名乗りを挙げてきた中日の日本シリーズの年・・・ではなく、完璧に長嶋茂雄引退の年なんですよね。
(百歩譲って、それだけではなかった・・・としても、次は王 貞治選手の史上初の二年連続三冠王の年・・・でしょう(笑)。)
金田監督が、放っておけばそっちに流れがちな世の雰囲気を、一生懸命、こっちに持ってこようとしていたような印象がありますが、如何せん・・・。
どうにも、腑の悪い巡り合わせというか何というか・・・。

ちなみに、ロッテは一昨日、中日に敗れるまで日本シリーズ8連勝だったんだそうですね。
で、5年前の阪神との日本シリーズ4連勝は記憶に新しいところですが、その前はもしかしたら・・・と思ったら、やはり、昭和49年のこの日本シリーズなんですね。
つまり、8連勝と言っても、何と、足かけ36年に渡って築いてきた記録だったのだとか。
道理で影が薄い・・・、あ、いえ、何でも有馬温泉・・・じゃなかったありません(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-11-02 08:02 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

選手層の薄さを補う指標の一つとして参考までに安打死球率
親愛なるアッティクスへ

最近の福岡ソフトバンクホークスについて目につくのは、毎度、お決まりの後半での救援投手陣崩壊で敗北・・・というパターン。
こういう試合が続くと、「またかよ」となり、球場に足を運ぶのが億劫になる・・・という、まさしく、かつてのクラウンライターライオンズ状態・・・ですが、こと、ホークスの構造的欠陥としては、以前から申し上げた来たように、「選手層の薄さ」にあると思うのですが、この点で、打者にとって、長期離脱になりかねない死球というものを避けるという意味で、その選手が、どれだけ死球をかいくぐりながら安打を打ったか・・・という安打死球率というのを出してみました。
これを過去の名選手たちに当てはめてみると、まず、長距離砲ほど率は高くなるという傾向があるようで、これは、投手から見れば強打者を封じる為にはやむを得ない戦法だとも言え、逆に言えば、強打者と死球は避けて通れない関係であるとも言えるでしょうか。

で、本塁打と言えば、世界の本塁打王・王 貞治氏ですが、この人は、114死球/2786安打で4.0%、同じく、野村克也氏が122/2901の4.2%ですから、ほぼ、この辺が本塁打打者の数字ではないかと。
となれば、私が子供の頃の本塁打打者でとにかく死球の印象がある田淵幸一氏・・・は、やはり8.3%で、最近で目立っていた清原和博選手は何と9.2%でした。
特に、田淵氏は、死球によって、結構、生死の境をさまよったり、シーズンを棒に振ったりしてましたので、もう少し、避ける技術を磨くべきだったのではないか・・・と。

逆に、塁に出したくない俊足の選手は低くなる傾向があるようで、世界の盗塁王・福本 豊氏は1.7%、その他、広瀬淑功氏は1.8%、柴田 勲氏は2.3%・・・。
この点では、強打者でありながら、2%台をキープしている落合博満、張本勲、山本浩二氏などは死球を避けるのが上手かったと言えるのでしょうが、張本氏や山本氏などは俊足でもあったことから、強打者ではあるけれど、塁に出したくない選手でもあったわけで、この辺は、死球封じの参考になるのかもしれません。
意外だったのが、連続試合出場の衣笠祥雄氏の6.3%という高率・・・。
この人の場合、すべての死球を避けようとするのではなく、当たる角度を出来るだけ鋭角にして致命傷を避けることに意を注いだ結果とも言え、誰にでも出来るものではないものの、最悪を回避するという意味ではこれも一つの方法だと言えるでしょう。

で、この数字で特筆すべきは、何と言っても、長嶋茂雄氏の1.7%・・・。
この人の場合、「動物的直感」で避けるのも上手かったのでしょうが、最後の方になると、殆どの日本人選手にとっては「憧れの長嶋選手」だった・・・ということもあるのでしょうね(笑)。
もっとも、長嶋さんと同世代の中西 太氏は巨体に似合わず1.3%、豊田泰光氏は1.1%、川上哲治・大下弘という戦中派は共に1.9%でしたから、昔は全体に低かったのかもしれませんし、投手が打席に立たないパ・リーグと打席に立つセ・リーグとではまた、違った結果が出るのでしょう。
参考までに、的が小さいという点で言えば小柄な若松 勉氏は2.9%、でもって、現役のイチローはと言うと・・・、意外に3.1%(昨年時点)でした。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-04-23 17:21 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

WBCキューバに快勝としがらみ無き韓国野球に嘆息の理
親愛なるアッティクスへ

ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)はどうやら、またもや、日本キューバ快勝したみたいですね。
キューバも二回続けて負けるわけにはいかないでしょうから、それなりに嫌な感じではあったんですが、正直、完勝でホッとしました。
ただ、この先、また韓国と順位決定戦を戦わねばならないのでしょうが、これまでと同じことをやっていたのでは韓国には勝てませんよ。

私は昨日の韓国戦は殆ど見なかったのですが、夜の特番で、清原和博氏が韓国の野球事情を視察している映像は見ました。
それを見ると、韓国の高校野球の選手たちの練習環境の素晴らしさもながら、韓国では「プロが高校生を指導できる」ということを聞いて、清原氏が「日本は遅れている」と嘆息していましたが、確か、日本でプロとアマが面倒くさいことになったのは昭和36年(1961年)の柳川事件からだったと記憶しております。
これは日本の野球の長い歴史の中での試行錯誤の一部分とも言えるのでしょうが、逆に言えば、歴史が浅い韓国野球は日本と違って、妙なしがらみがないんですね。
この点で思い出したのが、長嶋茂雄氏が第一期巨人監督を解任されたときだったか、誰か評論家の人が、「長嶋に本当に向いているのは、一軍監督ではなく、二軍監督なんだ」と言っていたことです。
おそらく、「長嶋が指導者として秀でているのは、選手を率いての用兵の妙ではなく、選手の実力を見極め、それを育てる能力にある」ということだったのではないかと思うのですが、この点は、当時、名監督として一世を風靡していた広岡達郎氏も、「私が本当にやりたいのは一軍監督ではなく、二軍監督だ」というようなことを言われてました。
そう考えると、長嶋さんや広岡さんのような一流の指導者がアマチュアの指導に当たれる韓国の強さはアマチュアの段階から裏打ちされたもので、すなわち、日本同様の素地があるということを肝に銘じるべきでしょう。

その上で、次の対戦を考えるなら、前回のWBCの時の多村 仁選手のような、チームの嫌なムードを大きく変えるようなプレーが出来る選手を起用するべきで、その意味では、今年のチームを見たところ、そういう存在に一番近いのが川崎宗則選手でしょうか。
それは、彼が好調を維持していると言うこともながら、何とかして塁に出ようという姿勢、それに、たとえ自分がアウトになっても次の打者に繋がるように何とかして揺さぶろうとか、球数を投げさせようとか、ああいう姿勢は他の日本代表の選手にはあまりないように思えるんですよね。
イチローにしても、青木にしても、岩村にしても、皆、好打者なんですが、同時に、ただそれだけなんですよ。
つまり、バットを振る以上のことでやってくるとしたら、精々、セーフティバントくらいでホームランがあるわけでなし、であれば、一人一人を確実に打ち取ることに集中していけば良いわけで、その意味では、少なくとも相手投手がの時は、もっと、川崎選手を使ってもいいと思うんですけどね。

ちなみに、この後、アメリカと当たるのは韓国とは違う意味でイヤですね。
地元だし、何より、審判ズルしますから(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-03-19 17:56 | スポーツ | Trackback | Comments(8)

WBC日本代表がキューバに快勝に理屈抜きに歓喜の理
親愛なるアッティクスへ

いやいや、やってくれましたね。
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)第2ラウンド初戦、日本代表が、それまで圧倒的な強さで第1ラウンドを勝ち進んできたキューバを6-0で下し、快勝!ですよ。
やはり、世界が舞台の場で日本代表が勝つと理屈抜き感動しますね。

でも、喜んでばかりはいられないでしょう。
今日の試合は、私もすべて見たわけではないのですが、やはり、日本の、「投手陣を中心とする守りの野球」から大量点をとる・・・ということが如何に至難の業であるかを、改めて示した形になったわけで、つまり、日本に勝つためにはキューバ型強力打線で敵を粉砕する野球ではなく、韓国型の1-0で勝つ試合を心がけなければならない・・・ということを顕していると思います。
これは、改めて、日本と韓国という、アジア野球のレベルの高さを世界に突きつけた格好になったわけでしょうが、ただ、韓国とメキシコの試合がどうなるかはわかりませんが、もし、「アジア野球のレベルの高さ」という私の推測が当たっていれば、おそらく韓国が上がってくるでしょうから、その意味では、この後、下手すれば3回も戦わなければならないことになる韓国に対しては、今日のような野球をやっていたのでは、相当、苦戦することが予想されるのではないでしょうか。
実際、今日の試合では、初回の2点は韓国相手だったら獲れてないんじゃないですか?
まあ、その辺は選手もよくわかってるでしょうけどね。

ともあれ、あの長い腕をバネのようにしならせて投げるキューバの投手を打ち崩した日本代表を見て、昔、何のオリンピックのときだったか、女子バレーのキューバの選手が全身をバネのように反らしてアタックを打つ姿を見て、思わず、「これはアジア人が勝つのは無理」と思っていたら、あれよあれよと思っているうちに中国代表が勝ってしまったのを思いだしてしまいました。
別にキューバの選手ほどには体が反らなくても、バネが無くても、つまり、アジア人でも勝てるんだ・・・と結構、目から鱗でしたね(笑)。

ちなみに、今日はあまり良いところがなかったイチロー選手ですが、やはり、その存在感は凄いみたいですね。
近所のオバサンたちが集まっても、「イチロー」「イチロー」言っていたそうですから。
イチロー抜きで戦った北京オリンピックと、結果が出なくてもイチローがいる今年のWBC・・・、何をか言わんやでしょうね。
ここまでの存在感、ファン選手球場さえも巻き込んでしまうほどの圧倒的な・・・、磁力とも言えるほどの求心力は、おそらく、長嶋茂雄さん以来じゃないですか?
そう考えると、あまりにもイチローの存在が大きすぎて、「次」が見あたらないことが課題ではなく、いずれ、問題になってくるでしょうね。
一瞬、本当にアメリカまで観に行こうかと思いましたが、さきほど、改めて、現下の経済情勢がそれを許さないことを思い知らされました・・・(涙!)。
嗚呼、本当に、日本戦でなくても良いからWBC観たい!行きたい行きたい!
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-03-16 08:46 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(8)

花山大吉にみる近衛十四郎という役者とその時代 その1
親愛なるアッティクスへ

「素浪人 花山大吉」という番組をご存じでしょうか?
昭和44年(1969年)1月4日~昭和45年(1970年)12月26日まで放送されたテレビ時代劇ですが、当時は大人気で、我が家では放送時には祖父母から孫まで家族揃って見てた人気番組でしたよ。
e0027240_1673512.jpg(←特に関係ないけど、ま、時代劇の雰囲気が出るかな・・・と(笑)。日本三景・天橋立の傍らにあるお寺の三重の塔です。)

内容はというと、剣の達人にして、並はずれた洞察力と胆力を備え持ちながらも、一方で、驚くとしゃっくりが止まらなくなるわ、好物のオカラを目にすると見境無くしてしまうわ・・・という愛すべきキャラの花山大吉という素浪人が、蜘蛛が嫌いで少しオッチョコチョイなところがある焼津の半次という渡世人の相棒とともに難事件、怪事件を快刀乱麻に片づけていく・・・というものですが、特に、「花山のダンナ」と「焼津の兄さん」のコミカルなやりとりがとても面白く、大人気でしたよ。

「やい!このダンナ野郎!」と半次が食ってかかると、「まあ、兄さん、そう言うな」とか言っていたのが、突然、まったくの自分の都合で、「この、バカタレが!」と逆ギレしたり・・・(笑)。

で、この花山大吉を演じていたのが近衛十四郎さんで、当時は有名な役者さんでしたが、今となってはむしろ、あの、松方弘樹、目黒祐樹兄弟の父・・・と言った方が通りが良いでしょうか。
大正3年(1914年)4月10日日生まれといいますから、この花山大吉を演じているとき、ちょうど、55歳・・・。
調べてみると、戦前、剣劇スターとして人気を博しながらも、昭和17年(1942年)、戦時映画社統合によって多くの俳優が仕事を失うと一座を結成して国内各地を巡業して回るが、今度は徴兵により、そのままシベリア抑留・・・、昭和21年(1946年)、復員し、昭和28年(1953年)、映画界に復帰・・・という苦労人だったんですね。

特に殺陣には定評があり、彼が斬り終えたときのカットなどは、私には当時全盛だったV9巨人長嶋茂雄選手が振り終えたときのスイングと重なって見えます。
さらに、迫力を出すために、通常より長い刀を使用したそうですが、確かに、今見てみると、随分、長いですよね。
それも、刃先の部分が長いのはともかく、よく見たら、柄(握り)の部分も相当長く、腰に差したときには握りの先端があごの辺りまで来てますから、考えてみると確かに異様ですよ。

次回に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-03-12 08:48 | 文学芸術 | Trackback | Comments(0)

長嶋茂雄、その大いなる幻影・・・。
親愛なるアッティクスへ

私と同年の友人たちに「長嶋茂雄さんの現役バリバリの時代を覚えているか?」と問うと、まず、10人中10人が皆、「覚えている」と答えます。
でも、ご承知の通り、長嶋さんは昭和49年(1974年)に引退したのですが、私の記憶ではその前、昭和45年大スランプに陥り、「長嶋引退か!?」と騒がれ、翌昭和46年には何とかそれを跳ね返して、MVPを獲得し復活したものの、それ以降はもう成績は下降一途を辿り、引退に至ったと。
であれば、長嶋さんが現役バリバリ・・・でやっていたとなると、それ以前の昭和44年以前ということになるわけですが、昭和44年というと私はまだ小学校2年生・・・
当時、さすがに王・長嶋という名前は知っていたものの、野球のルールやセ・パの違いなどはよくわかっておらず、となれば、同年の人たちの多くが、「長嶋の現役時代のプレーに憧れた」と言うはどうしても私には腑に落ちない話であり、実際は、「長嶋茂雄」という、あまりにも大きすぎる巨星の幻影を見ていたのではないか・・・と思うのです。

実際、長嶋さんの現役時代の数字を拾ってみますと、昭和33年(1958年)の巨人入団から昭和39年までの7年間に爆発的な好成績が集中しているのがわかります。
中でも、特に昭和38年までの6年間は最多安打6回、首位打者4回、最多塁打5回、最多敬遠5回、最高長打率5回とタイトルに顕れる以上の数字を独占しており、如何に球界に置ける長嶋さんの存在が大きかったかがわかるかと思います。
ところが、昭和40年、打率こそ辛うじて3割(5位)を打ったものの、本塁打は17本と低迷しており、ここで、思い出すのが、この年から巨人に移籍してきた大投手・金田正一氏の「長嶋の体は俺が巨人に入団したときにはもう、崩壊しかけていた。俺が巨人に入って立て直した」というコメントです。
当時、長嶋さんはまだ29歳ですから、インタビューした記者氏も「まさか」と言ってましたが、でも、長嶋さんと並ぶ天才、中西 太さんの選手寿命は実質25歳までだったことを考えれば、あながち、有り得ない話でもなかったでしょうか。

事実、昭和40年以降はそれ以前のような集中豪雨的な活躍ではなく、昭和41年は首位打者を獲得してMVPに輝いたものの、昭和42年は.283と低迷。
翌、昭和43年は自己最多となる39本塁打、125打点で打点王と(打率も2位)MVP、昭和44年32本塁打、115打点で打点王(打率3位)を獲得、そして、長嶋限界説が唱えられ始めた昭和45年を迎えるわけですが、それでもこの年、打率こそ.269(10位)と低迷したものの、105打点で打点王に輝いており、翌、昭和46年は34本塁打を放ち首位打者とMVPのタイトルを獲得し、復活を遂げたと言われるも、その陰で看板の打点は86と低迷しており、そして、翌年から、打率は.266(21位)→.269(13位)→.244(24位)と低迷、本塁打は27本塁打→20本塁打→15本塁打下降を続け、ついに引退に至ったわけで、その意味でも、長嶋さんの全盛期は昭和30年代まで・・・、現役バリバリといえるのも昭和44年以前まで、長嶋らしい輝きを放っていたといえるのは打点92を記録した昭和47年まで・・・といえるのでしょうか。

ただ、この人の記録を見ていてむしろ痛感するのは、王 貞治氏などもそうですが、その出場試合数の多さ・・・です。
入団以来、実働17年で出場試合数が一番少なかったのは昭和42年の122試合であり、引退の年でさえ128試合に出場していたというのは、現在のプロ野球から考えれば「異常」なことでしょう。
この点は、伝説の骨接ぎ師の方の存在もあったように聞いておりますが、やはり、ある意味、巨人と言えども実態は王・長嶋一座だったということの裏返しだったのかもしれませねんね。
                                   平太独白
by heitaroh | 2008-12-17 18:21 | スポーツ | Trackback | Comments(6)

その時歴史が動いた「神様、仏様、稲尾様」補足編 その2
親愛なるアッティクスへ

先般、NHKの歴史番組、「その時歴史が動いた」の中で、元西鉄ライオンズの大投手、稲尾和久氏の奮闘ぶりが採り上げられてましたが、その件で、今更ながらの続きです。
番組は、昭和33年日本シリーズで、西鉄が稲尾投手の連投に次ぐ連投で、常勝巨人を「3連敗の後の4連勝」という奇跡の逆転で破って、三年連続日本一になる・・・という部分を中心に構成してありましたが、このとき、実は、相手方である巨人の藤田元司投手も、稲尾投手と同じ7試合中6試合に登板しているんですね。
まさしく、エース意地だったんでしょう。

また、もうひとり、稲尾投手の前に立ち塞がった、巨人の新人、長嶋茂雄選手との攻防についても述べてありましたが、実は、稲尾対長嶋はこのシリーズの前にも一度、対戦したことがあったのだそうです。
それがその年のオールスターで、ところが、そのときの捕手が、稲尾さんの宿敵、野村克也現楽天監督だったそうで、稲尾さんは対戦相手の長嶋さんよりも、女房役である野村さんに球質を盗まれないことに神経を使っていたそうで、従って、長嶋さんとの対決についてはまったく覚えていなかったのだとか(笑)。

それにしても、この番組中で言っていた、「長嶋茂雄という打者は打つ瞬間にしか気配を感じさせない特異な打者であった」という表現を聞いて、改めて、今のイチローや、少し前の落合博満さんなどよりも、あるいは前の時代の大下 弘氏などの誰よりも「天才」という表現が相応しい人物だったろうと思いましたね。
おそらく、西部のガンマン同士の決闘の場にいれば、無敵だったのではないでしょうか。
それを可能にしたのは、長嶋選手が極めて、特殊な「来た球を打てる」という能力を持っていたからでしょう。
この点は、稲尾投手の高校と西鉄の先輩である河村英文投手が、後に広島にトレードされた際に長嶋選手と対戦し、ツーストライクと追い込んでから、打たれるはずがない決め球のシュートを投げたら、見事に打たれたので、どうして打たれたかわからない河村投手は、本人に聞いたところ、「いやぁ、気が付いたら打ってたんです」と答えた・・・という話があります。
このとき、稲尾さんもこれまでの打者とは違う、長嶋分析に頭を悩まし、徹夜で考えて、ようやく、朝が白んできた頃に、「もしかして、深く考えずに感性で打つタイプなのでは」ということに気づいた・・・と、生前、言っておられました。

で、その長嶋さんも、昭和49年10月「巨人軍は永遠に不滅です!」の名文句と共に引退したわけですが、先日も、10月だったからか、二度ほどBSで特集されていました。
ちなみに、昭和49年といえば、当時、中学一年生だった私にとっても、やっぱり長嶋が引退した年なんですよね。
しかも、東京ならまだしも、まだ、周囲には西鉄ライオンズ余韻が強烈に残っていた時代の福岡の子供ですから、それほど、長嶋ファンでもなかった私なのですが、とにかく、それでも、この長嶋引退というのは結構、強烈な印象として残っています。
なぜか・・・、それは長嶋引退試合が、行われたのは10月だったでしょうが、その余波はもの凄い物があり、2ヶ月後の翌昭和50年の正月のテレビは長嶋引退特番ばかりだったからでした・・・(笑)。

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by heitaroh | 2008-11-27 18:08 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

巨人と玩具・・・メディアの肥大化に見る昭和33年
親愛なるアッティクスへ

先日、たまたま、ケーブルテレビで、『巨人と玩具』という映画をやっていたので、見るとも為しに見ていたのですが、この中の一場面に、思わず、「ほー」と唸る場面がありました。
(あらすじを簡単に言うと、製菓会社の社員が、イケイケの課長の下で、たまたま見つけた無名の少女マスコットガールに仕立てて売り出したところ、みるみるうちに売れっ子になってしまい、そうなると、本人たちの思惑とは裏腹に巨大な消費社会の都合に弄ばれるようになってしまう新城を描いた・・・と。)

e0027240_11325680.jpgで、この映画は、元々、開高 健の小説を昭和33年(1958年)に映画化したものだそうですが、私が注目した部分は、その中の高松英郎さん扮する宣伝課長が言うセリフです。

(←思わず、「ALWAYS 三丁目の夕日」を思い起こさせるような・・・。)

曰く、「この狭い日本が活字でぎゅうぎゅうひしめいている。しかも、編集者プロデューサーは常に紙を活字で汚し、電波を空中へ流さなければならない。それでなければ、彼らは飯の食い上げになってしまう」

・・・・昭和33年ですよ。
この当時から、既に今、聞いても違和感がないような事を言ってるのに、新鮮な驚きを得ました。
だって、昭和33年と言えば、私が生まれる前で、長嶋茂雄がデビューして、西鉄ライオンズが奇跡の逆転日本一を成し遂げた年ですよ。
メディアの数が溢れている・・・と言ったって、私が物心付いた頃の福岡県地方のテレビは民放3社NHK2局程度、ラジオもまだ、FMなんてなかったように記憶しております。
それが、今や、テレビだけでも地上波はおろか(現在、福岡市では民放5社、NHK2局の計7チャンネルが視聴可。他にも、たまにショッピング専用チャンネルが映ったりしますが。)そこにさらに、BSケーブルテレビまで入れたら、もの凄い数の放送が流れているわけで、となれば、他の媒体も、ラジオ、雑誌、そして何より、インターネットを含めれば、膨大な数になってしまうと思われ・・・。
そう考えれば、今や、「狭い日本にぎゅうぎゅうひしめいている」どころの話ではないですよね。

「マスコミは現代の独裁者、帝王です」とは、確か、元サントリーの宣伝部員であった、原作者の開高 健さんの言葉だったかと記憶しておりますが、今や、帝王は少し、肥満化しすぎて、自らの健康を害しておられるようにも感じますが・・・。

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by heitaroh | 2008-06-27 08:43 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)

昭和33年の熱球!
親愛なるアッティクスへ

先日、野田双人という人の「熱球 昭和33年番記者が見たプロ野球の青春」という本を読み終わりました。
同書は、副題の通り、昭和33年プロ野球を、当時の若手スポーツ新聞の記者の目を通して語ったもので、リアルタイムならではの臨場感があって、しかも、なかなか読みやすく、久々に楽しんで読めた逸品でしたね。
もっとも、以前、平太郎独白録 : 残滓か鎮魂か・・・。昭和36年の「革命」でご紹介した名著「革命」同様、なぜか、博多弁の使い方がでたらめなんですよ。
(意味を理解しないまま使っているので、わかる人間が読むと、もの凄く混乱するという・・・。)
戦争が終わって13年・・・。
私は生まれる前・・・どころか、両親も知り合ってもいなかった頃だったでしょうが、皆、敢えて、前だけを向いて生きていたような、後ろを振り返りたくない・・・、そんな時代だったような気がします。

で、この、昭和33年という年のプロ野球界の最大の出来事は何かといえば、何と言っても、「長嶋茂雄のプロ野球デビュー」でしょう。
(私的には、西鉄ライオンズ「3連敗から4連勝で奇跡の日本一!」なのですが(笑)。)
で、その長嶋選手は、開幕戦でデビューしたものの、国鉄(現ヤクルト)の金田正一投手の前に、4打席連続三振でのスタートとなったことはよく知られています。
(実は、翌日、金田にはもうひとつ、三振を喫しており、5連続三振だったことは意外に知られていません(笑)。)
が、実は、このとき、巨人は試合自体も金田投手の前に完封負けしており、そのショックからか、そのまま、国鉄との開幕三連戦に三連敗し、さらに、次の大洋戦にも負けて、球団史上初開幕4連敗からのスタートだったそうです。
そのため、なかなか、波に乗れない巨人は4月28日時点で、10勝12敗で勝率5割を切っており、代わって、好調だったのが14勝7敗で首位の阪神・・・。
で、この時点での順位を言えば、阪神・中日・国鉄・巨人・大洋・広島の順だったそうですが・・・・・・・って、これって、よく考えたら今年と同じじゃないですか!
(まあ、五位と六位が入れ替わってますが、それを除けば、実に面白い符合だな・・・と。)
さらに言えば、今年、巨人は開幕5連敗からのスタートだったことは記憶に新しいところですが、そのきっかけをつくった開幕三連戦で三連敗したのは国鉄の後身であるヤクルトスワローズなわけで・・・。

この年、結局、セ・リーグを制覇したのは巨人でしたが、ただ、日本シリーズでは、3年連続で、宿敵、西鉄ライオンズとの顔合わせになったものの「神様仏様稲尾様」の前に、球史に残る大逆転負けを喫し、西鉄の三連覇を許しておりますから、この辺は、リーグ優勝しながらも、日本シリーズに進めなかった去年と、また、だぶりそうな気もしますね・・・。
縁起でもない?(笑)。

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by heitaroh | 2008-04-28 08:40 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(2)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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