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再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 番街編
実はこの鉢の底川シリーズを始めるに当たって、話を上流から始めるべきか、下流から遡っていくべきか・・・で結構、迷いました。
順序良く上流から始める上で問題となってきたのが川の起点となる源流のすぐ近くで合流しているこの川(↓)の存在です。

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地図(↑)でもおわかりのように、南から別の川が合流してきてますよね。
途中、ぶつ切りのようになってますが、おそらく、点線で補足したように暗渠となって繋がっていると思われ・・・。

e0027240_16534493.jpgつまり、これをして、ここが鉢の底川の源流だと決めつけて良いのか・・・と。
おそらく、この一帯は那珂川の水かさが増えた時には水が溢れて合一となり、水かさが減った時には合流できなかった水が別れて分流となるということを繰り返してきた地域だと思うんですよ。
で、当然、この、合流している川も調べて来ましたが、こちらの源流まで遡ると本題から大きく外れるわけで、こちらは、後日、このシリーズが完結した後で、番外編として補足しようということにした次第です。

e0027240_17251227.jpgで、結論から言えば、この川は鉢の底川ではなく、今も地名として残る五十川で、拙い線書きで恐縮ですが、ほぼ、右の図のとおり(←)に今も流れが確認できるようです。
ただ、これも、流れを地図の上でですが、詳細に見た限りでは、現福岡市南区老司にある井堰に注いでいるそれを源流として良いのではないか・・・と思ったのですが、ただ、その五十川もこの付近に来ると白水川などとさらに合流分散を繰り返しており、果たして、それだけでここを源流と決めつけて良いのか・・・と。

e0027240_17213260.jpg正直、「困惑」という表現がもっとも相応しい心境だったのですが、そのことはこちら(←)があっさりと解決してくれました。
五十川神社にある碑ですね。
これによると、五十川は「那珂川老司井堰から取水する」と書いてありましたので、ほぼ、これで間違いないだろうと・・・。

ついでに言うと、五十川は古書には「五十構村」、「牛持(時)構村」、「午時講村」とあるそうで、おそらく、「ごじっか」に「五十川」という字が当てられたのでしょう。

ちなみに、五十川は「ごじゅっかわ」ではありませんで、「ごじっかわ」です。
見事に「ごじゅっかわ」では変換しません。

e0027240_17401782.jpg

で、その五十川の源流ですが、一応、ここ(↓)でした。

e0027240_17421240.jpg

鉢の底川と同じく、かつては農業用水として堰の上流で取水していた物に替わって、堰をまたいで下流でも接続している・・・と。

ということで、駆け足でしたが、大団円~と。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-08-23 18:10 | 地域 | Trackback | Comments(3)

再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その24
昨日の続きです。

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上の画像(↑)はキャナルシティの中ほどまで進んで振り返った、つまり、鉢の底川の上流側を見たものです。
つまり、昨日までの地点を振り返って見た物ですね。

で、川はこの道に沿って・・・というよりも、道がこの川に沿って蛇行しながら進むわけですが、もう少し進んで振り返った物がこちら(↓)・・・です。

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明らかに蛇行しているのがおわかり戴けると思います。

ちなみに、我が家が博多駅前三丁目ではなく、下人参町であった時代、この辺は瓦町と呼ばれ、旧国鉄博多駅からの旅行者が泊まる為の旅館街(ビジネスホテルなどではなく、旅館です。)でした。
さすがにこの一帯にはもう見ることは出来ませんが、少し先には今もまだ、往時を忍ばせる旅館を見ることができます。
昭和30年代はまだ、飛行機など一般的ではありませんし、新幹線も博多までは開通しておりませんでしたので、東京などからだと寝台車の車中泊で24時間くらいかかって到着するわけで、旅館について荷解き(まさしく、この表現がぴったりかと。)した時には、皆、ホッとしたでしょうね。
もう、さすがに今は無くなってしまったと思いますが、少し前までは「ビジネスホテルよりも馴染みの旅館が良い」と言って利用しているおじさんがいたようで、何か理屈抜きに「良いなあ」と思いましたね。

で、この画像(↓)は上の画像の撮影地点から180°反転した物。

e0027240_16302060.jpg

矢印の方向に川は流れておりました。

e0027240_16342785.jpg

で、となると、当然、ここ(↑)に突き当たるわけですね。
この建物が何かというと、ポンプ場でして、裏から見るとこう(↓)なっています。

e0027240_16352749.jpg

以前、拙ブログ、博多駅前史の中でも書きましたが、ここが出来たのは昭和20年台後半。
終戦からいくらも経っていない時代に良くぞこんな物作ったよなあ・・・と。
つまり、一帯は元々、陸地よりも水面の方が高いような所でしたので、一旦、ポンプで汲み上げて那珂川に排水しているわけですね。

e0027240_16414763.jpg

これ(↑)が排水口、つまり、鉢の底川のなれの果て・・・です。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-08-22 18:26 | 地域 | Trackback | Comments(0)

再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その23
昨日の続きです。

e0027240_1592644.jpg←この道路がかつての国鉄線路です。
この奥の方を鉢の底川は横切っていたわけです。
ちなみに、少し微妙に右カーブしているのがわかると思いますが、これは、当時は、右側に旧博多駅があったからで、この先で大きく90°曲がっている為、少しでも急角度を緩和させようという意図があったのでしょう。
(野球の走塁で、勢いを落とさないままでベースを周る時など、一旦、外に大きく膨らんで次の塁を目指しますよね。あれをイメージしてもらえれば良いでしょうか。)

従って、当時は良く、スピードを落としきらないままにコーナーに突っ込んで脱線・・・というのがあったとか。

e0027240_1531554.jpgまあ、後に博多駅が現在地に移転する理由の一つにもなったそうですが。

で、話を元に戻しますと、現在、ビルが建っている区画の下を通りぬけ、キャナルシティ近くに姿を現した鉢の底川はこちら(←)の矢印の付近で、道なりにこの国鉄線路跡と交わり、そのまま、ご覧のとおりに左へとカーブして方向に流れておりました。
(昔、良く数学で使っていたエックスの筆記体「)(」の形が一番適切なのですがもう変換も出ないんですね。)

つまり、現在ここに写っている大通りはかつての国鉄線路でして、今では左側に緩やかに直進しているように見えますが、当時は右折しており、逆に、左にカーブしながら直進している現在の道が鉢の底川の名残なんです。
で、この画像の矢印の先端部分から90°右を向いた画像がこちら(↓)。

e0027240_15564224.jpg

つまり、国鉄の線路が続いていた方向で、従って、この先が旧博多駅です。
(青い矢印がかつて鉢の底川が流れていた部分。)

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で、視線を再び、正面に戻したところがこちら(↑)。
右の緑が第二キャナル、道路を挟んで左奥に見えているのが第一キャナルですね。
・・・ですねと言いながら、実は私、第二キャナルは出来てから2回くらいしか行ったことがありません。
だって、おっさんには用がないんだもん・・・。

で、たぶん、次回最終回大団円へと続く・・・たぶん。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-08-21 16:11 | 地域 | Trackback | Comments(0)

再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その22
このシリーズ、最後の最後まで来て、すっかりご無沙汰になってしまいました。
ていうか、ここ数ヶ月、色々あって本当に更新サボりすぎました。
ということで、前回の続きです。

いよいよ、佳境(?)です。

e0027240_19274193.jpg

蛇行しながら鉢の底川と共に進んできた、かつての旧道・往還通り(現人参通り)ですが、この画像(↑)の先で、一応、川とは別れを告げます。

e0027240_19281016.jpg

一応・・・というところがミソなのですが、この画像(↑)でおわかりの通り、直進する道と右折する道に分かれてますよね。
正確には、五叉路なのですが、他は置くとして、今では直進が付け足しで、通り自体は右にカーブしている・・・と思われるでしょう。
が、実は直進しているのがかつての鉢の底川を伴った往還通りで、右カーブしているのは昭和40年前後の博多駅地区土地区画整理によって後から作られた道なんです。

ただ、当時はクリークの名残なのでしょう、以前も申しましたように一帯にはドブ川があちらこちらに走っており、この右カーブしている現在の道の方向にもドブ川が流れておりました。
おそらく、現在の博多駅前二丁目方向からの生活排水を鉢の底川に注ぎ込む為の物だったと思いますが、この辺はとにかく、区画整理によって根こそぎ変わってしまいましたから、もう、窺い知る痕跡は何もありません。

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で、この現在の人参通りに別れを告げ、直進して旧往還通りを進みますと(↑)、やがて、ビルに突き当たってしまいます。
つまり、鉢の底川はかつて、このビルが建つ前は、この部分を真っ直ぐに流れていた・・・と。

e0027240_19285690.jpg

で、こちら(↑)の矢印方向、つまり、この区画の向こう、現在のキャナルシティへと至る道に抜けていたということですね。
ちなみに、この道はかつての国鉄鹿児島本線・筑肥線ですので、川は国鉄の線路の下を潜っていたということになります。

次回に続く。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-08-20 19:10 | 地域 | Trackback | Comments(0)

再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その21
昨日の続きです。

まず、こちらの地図(↓)をご覧ください。

e0027240_14262851.jpg

右下の上流から下ってきた鉢の底川はすぐに大通りを横切ることになっているのがお分かり戴けると思います。
この大通りを挟んで南が上人参町、北が中人参町だったわけですね。
で、昨日も申しました通り、上人参町を過ぎ、いよいよ、私のホームグラウンド博多駅前三丁目地区に入ります。

e0027240_14314247.jpg

まず、大通りを過ぎてすぐ、この両側(↑)がかつての中人参町です。
ちなみに、この辺りの電柱には未だに「人参」と書いてあります。
また、人参駐車場、人参公園、人参ビル・・・などというのが散見されますが、実はすべてうちの物・・・・・・・ではありません(笑)。
残念ではありますがw

e0027240_14335751.jpg

で、右の塀は福岡藩三代藩主黒田光之の家老にして、茶道・南坊流を確立した立花実山の創建になる東林寺で、ここまでが中人参町、その先からいよいよ、我が、クラウンランド・下人参町に入ります。

e0027240_14471117.jpgと言っても、ここら辺はすべて、昭和40年以降の博多駅地区土地区画整理によってすべて区画が変わっており、当然、この先の四つ角もありませんでした。
当時はこの道までが東林寺の境内で、その向こうにあるビルのさらにその向こうが道で、つまり、道はこの家1軒分向こうに存在したわけで、それが我が家の前の道でした。
つまり、我が家の前の道を西に向かうと、鉢の底川があり、その橋を越え、往還通りを越え、ここ(←)に繋がっておりました。

e0027240_14515271.jpg今ではコインパーキングですが、昔はここにはアーケード付きの「榮市場」と呼ばれる、ちょっとした市場がありました。

ちなみに、下人参町だけは正式町名に申請しておらず、従って、上人参町、中人参町は正式町名として記録に残っておりますが、下人参町だけは通称でしかなく、正式には「大字春吉」となっており、往還通りを挟んで右が字馬場添、左が字なみ松(なみは変換出来ません。当初、読み方もわかりませんでしたが、古老に教えてもらいました。)

そのまま、川は流れ続け、下人参町を出ますが、続きは次回ということで。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-07-05 07:47 | 地域 | Trackback | Comments(0)

再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その20
で、昨日の続きです。

e0027240_1323385.jpg昨日も申しましたように、鉢の底川はこの、かつて、往還通りと呼ばれた旧道の右側、この部分(←)を走っておりました。
幅的にはちょうど、この白いラインより少し広いくらいだったでしょうか。
狭いながらも、車が離合(福岡人は皆、これを標準語だと思っております(笑)。)できておりましたので。
ちなみに、この右手、横切っている道路を挟んで手前がキョウカイ住宅(我々は子供心に「教会住宅」だと思っておりましたが、協会ですよね?)、奥が県営東領住宅・・・でした。

e0027240_13153371.jpg住宅・・・と言っても、団地で、とはいえ、私が子供の頃はこちとらは大正時代竣工の隙間風ビュービューのぼろ家に住んでる身ですから、輝いてましたよ。
今は共に解体されて、もう、往時の面影はありません。
同級生もたくさん住んでたんですけどねぇ。
昔は、町内対抗のソフトボールの試合などで、この両団地と当たると、「あーあ、もう負けた」というくらい、人が一杯だったんですが。
で、その県営住宅を過ぎ(←)、もう少し先で東領は終わり、やがて上人参町に入ります。

ちなみに、県営住宅の方は最近、建て替えられ、協会住宅の方は、今、マンション工事中ですが。

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(↑東領と上人参町の境界がどっか、この辺です(笑)。)

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ここら辺が上人参町(↑)です。
この先の、バスが止まっている道が住吉通りで、ここから向こうが中人参町となっておりました(↓)。

e0027240_134554100.jpg

(↑ここから先が中人参町、そして、我がクラウンランド・下人参町へと続いていきます。)

当時は、なぜ、下人参町と中人参町がこの大通りのこちら側にあるのに、上人参町だけが向こう側なんだろうといつも疑問に思ってましたが、町が先で、後から博多駅の移転に伴い、町を切り裂いT住吉通りが走ったんですね。
私はもう、まったく覚えておりません。
ちなみに、今では、この住吉通りが博多駅前三丁目同四丁目を分ける境界となっております。

ということで、いよいよ、私のクラウンランド、博多駅前三丁目に入りますが、もっとも、この先までは中人参町ですので、正確には属州の境界を超えた・・・みたいなものでしょうか(笑)。

ということで、また、次回に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-07-04 07:00 | 地域 | Trackback | Comments(0)

再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その19
昨日の続きです。

まず、前博多駅移転に伴い、線路も移動したわけですが、その際、それ以前が踏切事故が多かったからか、博多駅に近い辺りは高架とされましたので、当然、高架下には幾つか、トンネルが設けられました。
で、昨日申し上げた、国鉄線路移動後、数年間だけ、流れを変えられて存続していた鉢の底川は、このトンネル(↓)の付近を通って、向こうへ抜けていました。

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具体的に、どこをどう抜けていたかは定かではないのですが、このトンネル、明らかに少しおかしいんですよ。
他のトンネルは皆、十分に車が片側一車線ですれ違える広さなのですが、ここだけはかなりギリギリでして・・・。

e0027240_91834100.jpg

子供の頃から、何かしら違和感を感じてましたが、もしや、これは元々、歩道と水路の幅だけだったのではないか・・・と。
ただ、私も、子供心にも、ここに水路が走っていた記憶はありません。
昔は、この付近には友達がたくさん居たので、機会があれば聞いてみたいと思いますが、とりあえずは宿題です。

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で、トンネルを抜けた先は、ここ(↑)へ流れていました。
この道が、当時は誰言うとも無く呼ばれていた「往還通り」です。
鉢の底川は、この通りの右側に沿って流れていました。

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従って、右側にあった家々は、皆、鉢の底川の上に橋を渡して、出入りしてました。

e0027240_9295031.jpgこの付近は今は博多駅前四丁目という味も素っ気もない地名ですが、当時は「東領」という地名で呼ばれていまして、この、東領という名も、どういう謂れからだったのか興味が有るところですが、まあ、私にとって、地元ではあるもののクラウンランドというわけでもありませんので、こちらはそのうち、またいずれ・・・ということで(笑)。
とはいえ、「東の領土」ですから、ここの西には住吉神社があることを思えば、あるいは、同社の「東側社領」ということだったのかもしれませんが。

ちなみに、以前、住吉神社さんに聞いた時には「さっぱり、わからない」と言われました。
残念ながら、「実に面白い」とは言われませんでしたが(笑)。

続きは明日のココロだ~の巻。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-07-03 06:53 | 地域 | Trackback | Comments(2)

再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その18
先日からの続きです。

e0027240_10432258.jpg立体交差「宮島跨道橋」の設置で完全に流れを断ち切られた鉢の底川ですが、ここから先は、再び、地図をごらんください。
くどいようですが、右下が上流、左上が下流です。

右下から少しの所で流れてきた川は黄色い線で示された跨道橋を横切り、直進しているのがわかると思います。
これは、昭和37年(1962年)の地図を見るとこうなっているのですが、この、昭和37年という年はまだ、前博多駅の移転開業の前年でして・・・。

e0027240_111142.jpgつまり、国鉄の線路はここを横切っておらず、川と平行に流れていたわけで、つまり、川の流れを変える必要はなかったということですね。
(しかも、開業は12月で、地図の調査は発行より前ということを考えれば丸2年くらい前だったのではないでしょうか。無論、工事は進んでいたでしょうが、それを考慮しても・・・と。)

従って、川はこの方向(←)に直進し、ちょうど矢印の方向に、斜めに道路を横切り、新幹線の橋脚の下を貫いていたわけです。

e0027240_11153223.jpg


e0027240_11163699.jpgで、その先は、この部分(↑)に出るわけですが、そこに行く前に、冒頭の地図の中で私が赤い線で点線を引いている部分をご覧ください。

これは、その少し後の地図、確か昭和42年頃の物だったと思うのですが、それによると、当時、川は国鉄の線路と交差しながらも、まだ、宮島跨道橋が出来てなかったようで、流れを変えられて、しっかり存続していました。
その流れが点線部分で、現在のこの部分(←)を手前から奥に向かって流れていたようです。

ここを川が流れていた期間は、おそらく、前博多駅開業の昭和38年頃から拙宅が区画整理にかかった昭和43年頃までの、たぶん、5~6年だと思うのですが、ここから先は話はいよいよ、私の地元、博多駅前地区に入ります。

ということで、続きはまた、次回ということで、バイなら。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-07-02 06:36 | 地域 | Trackback | Comments(0)

再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その17
昨日の続きです。

突然ですが、鉢の底川はここ(↓)で途切れます。

e0027240_17211989.jpg

この先はどうなっているのかはまったくわかりません。
左へ曲がって、マンホールに流れ込んで那珂川に注いでいるのか、あるいは右へ曲がって御笠川に注いでいるのか。
距離的には那珂川の方が近いのですが、そちらには間に新幹線JRなどが走っており、さらに、その先にも水路らしきものは見られません。
対して、御笠川の方は距離は遠いものの、途中、遮るような物はなく、少し先から水路が顔を出しています。

ともあれ、現在、どちらの方へ排水されているかを確かめるのは本来の目的ではありませんので、それは捨ておき、かつて、流れていた方向(↓)へ足を進めてみることにしました。

e0027240_17281592.jpg

すると、その先はまだ、しっかり蛇行しながら、これ(↓)に出ます。

e0027240_17302220.jpg

もちろん、私は子供の頃からよく知っている美野島宮島の交差点を結ぶ立体交差、宮島跨道橋です。

e0027240_17313127.jpgで、改めて考えてみると、これは国鉄博多駅が現在地に移転したことに伴い、国鉄線路を道路が交わす目的で出来たはずで、だとすれば、博多駅が移転したのが昭和38年・・・。
私の記憶では、確か、小学校に上がった頃にあったはずだぞ・・・と。

で、そこまで考えて、思わず、「あ、これを作ったから、鉢の底川はここから先を潰したのか・・・」と。
つまり、これを作ったからここまで暗渠で来た川を、東か西に逃さなければならなかったわけで・・・。

逆に下流は、上流からもう、水が流れてこない以上、もう、暗渠にする必要もなかった・・・というわけですね。
まあ、確かにそう言われてみれば・・・と。

次回に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-06-29 18:20 | 地域 | Trackback | Comments(4)

再びの自己満足シリーズ 那の名流・鉢の底川 その16
昨日の続きです。

e0027240_1956111.jpg

(↑先の道路で突然、暗渠が途切れているのがお分かり戴けると思います。)

e0027240_18322191.jpgここで再び、地図です。
もう、ここら辺からはもう、中流域と言ってもいいでしょうね。
(何度も申しますが、右下が上流、左上が下流です。)
右下から暗渠となって続いてきた鉢の底川も、立体交差下で綺麗に途切れます。
それが地図右下にある大通り部分です。

地図で見ると、すぐに右方向に続いていることがわかりそうに思えるのですが、現地ではこの時、「もはや、これまでか!」と思いましたよ。

e0027240_18315829.jpgで、立体交差の向こう側に出てみると、しっかり蛇行している道(←)があるじゃないですか。
しかも、よく見れば右にはしっかり暗渠の跡も繋がっているし・・・。
(すぐに気付けよ・・・と言われそうですが、これも現地では、よく見たら気づいた・・・って感じでして。嗚呼、我が身の愚鈍が嘆かわしい(涙!)。)
で、立体交差の下で、一旦、右45°に進路を変えた鉢の底川はここからは再び、地図で見るとほぼ直線に見えるものの、実際には蛇行(↓)しながらの直進を続けます。

e0027240_1904286.jpg


e0027240_194181.jpgで、当初の私の思惑を超えて、川(←)は意外にも私の中学校校区にまで入りました。

私の地元、博多駅前地区は、早くからオフィス街化に伴うドーナツ化現象により、過疎化が進んでいたのですが、ここ、博多駅南地区は昔はまだ、結構人が住んでおり、特に、この辺は我々、博多駅前地区の人間から見れば、人がたくさん住んでいた・・・という印象でした。
でも、今ではそれが往時の活気は見る影もないほど、すっかり寂れた街になってしまいました。

(昔はこの辺は、夕方になると、通りに「バンコ」と呼ばれる材木を適当に打ち付けただけの簡易な長椅子を出して、ステテコ姿のおじさんたちが夕涼みをする・・・といった、古き良き光景がまだ見られたのですけどねぇ。)

ということで、この後、衝撃の展開は次回に続く・・・のココロだぁ。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-06-28 19:17 | 地域 | Trackback | Comments(2)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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