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地上波がなかった中日対ロッテの昭和49年以来の怨念
親愛なるアッティクスへ

目下、今週のうちに片づけてしまわなければならない仕事がありまして・・・、かなり、一杯一杯です。
実務云々以前に、とにかく、気が急いて気が急いて、なかなか、ゆっくりとパソコンに向かう気になれません。
今も時計とにらめっこしながらのこれです。

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(↑たまには、こういう雰囲気に身を浸したいと思います。「そちもウイやつよのう」・・・などと言いながら(笑)。)

ところで、中ロ戦・・・と言っても、中国ロシアではありませんで、千葉ロッテマリーンズ中日ドラゴンズの日本シリーズですが(ちなみに、日ソ戦日本ソ連ではなく、日ハムソフトバンクです(笑)。)、ようやく、今日から開幕・・・ではなく、テレビの地上波で日本シリーズの中継がなかっただけで、すでに1.2戦を終えているんですよね。
でも、何も、相撲賭博していたわけでもないのに、この扱いは少し、可愛そうなんじゃないの・・・という気もします。
福岡では、「福岡ソフトバンクホークスが出ていたら・・・」という声もありますが、でも、巨人と阪神が絡まない限り、どこが出ても一緒だったんじゃないですか。
私は、この点は、「原則無視のプレーオフ制度」を優先してきた「目先優先」の弊害が出ていると思っています。

で、中日対ロッテといえば、どうしても、盛り上がりに欠けるカードなんですよね(笑)。
この顔合わせは、確か、昭和49年(1974年)以来だと記憶しておりますが、この年のこのカードは、史上最多の400勝を達成し、その天衣無縫の言動で人気があった金田正一監督(ちょうど、今の清原和博氏を見ているような観があります。)の初優勝で上がってきたロッテと、巨人10連覇を阻むという歴史的な偉業を達成して勝ち名乗りを挙げてきた中日の日本シリーズの年・・・ではなく、完璧に長嶋茂雄引退の年なんですよね。
(百歩譲って、それだけではなかった・・・としても、次は王 貞治選手の史上初の二年連続三冠王の年・・・でしょう(笑)。)
金田監督が、放っておけばそっちに流れがちな世の雰囲気を、一生懸命、こっちに持ってこようとしていたような印象がありますが、如何せん・・・。
どうにも、腑の悪い巡り合わせというか何というか・・・。

ちなみに、ロッテは一昨日、中日に敗れるまで日本シリーズ8連勝だったんだそうですね。
で、5年前の阪神との日本シリーズ4連勝は記憶に新しいところですが、その前はもしかしたら・・・と思ったら、やはり、昭和49年のこの日本シリーズなんですね。
つまり、8連勝と言っても、何と、足かけ36年に渡って築いてきた記録だったのだとか。
道理で影が薄い・・・、あ、いえ、何でも有馬温泉・・・じゃなかったありません(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-11-02 08:02 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

野村監督退任にみる日本野球史相関性 前編
親愛なるアッティクスへ

楽天の名伯楽・野村克也監督・・・・、ついに退任されましたね。
本人はまだ、現場の執着があったみたいですが、何せ高齢という表向きの事情と、1億5千万円という高額の年俸という本音の部分で、どうやら、事実上の現場からの完全引退・・・という雰囲気になってますよね。
もし、これで完全にノムさんの現場人生が終わったと仮定したとして・・・ですが、もし、そうならば、野村克也という人の偉大なる野球人生についても総括しておくべきではないかと思い立ちました。
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(↑ノムさんの故郷、丹後の日本海もこんな感じだったのでしょうか・・・。)

まず、ノムさんが南海ホークステスト生として入団したのが、2リーグ分裂から5年目の昭和29年(1954年)のこと・・・。
この年のプロ野球勢力地図を見てみると、日本一になったのは中日ドラゴンズで、対して、ノムさんが在籍したパ・リーグを制したのは、プロ野球選手第一号にして、巨人監督として実績を残しながらも「石を持て追われ」た智将・三原 脩に率いられて4年目で初優勝に輝いた新興球団・西鉄ライオンズ・・・。
川上哲治藤村富美男と言った戦前からのスター選手はまだまだ現役バリバリである一方、広岡達郎、吉田義男、豊田泰光、中西 太、山内和弘という若い力が台頭してきた時代でもあった・・・と。
この年のMVPは、セは「魔球フォークボール」セ・リーグを席巻した中日のエース・杉下 茂、パは三原 脩をして「ただひとりの天才」と謳わしめた青バットの大打者・西鉄の大下 弘
(ちなみに、この年、入団5年目の金田正一投手はすでに100勝(94敗)を挙げており、大投手への道を一直線に突き進んでおりました。)

その後、「松坂世代」ならぬ「野村世代」とも言うべき、長嶋茂雄、杉浦忠、仰木彬、近藤和彦同級生進学組が入団してきたとき、ノムさんはすでに前年に本塁打王を獲得しており、押しも押されぬパの看板打者のひとりとなっていた・・・と。
その後のノムさんの活躍は改めて言うまでもないことで、MVP5回、三冠王1回、8年連続本塁打王9回などなど、パを代表する強打者にして名捕手であり、さらに、監督としては日本一3回を含む優勝5回という名監督であったわけで・・・。
つまり、何が言いたいかというと、それら、長くプロ野球の中枢に居続けてきたことで、今や、誰かを語るときには必ず、何らかの形でこの人が出てくる・・・ということになっているということです。
言うならば、ノムさんの野球人生は日本戦後プロ野球史と大きく重なっており、ある意味、歴史そのものと言っても過言ではない・・・と。

明日・・・になるかどうかわかりませんが、とにかく、次回に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-10-27 18:03 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

山内一弘ではない山内和弘氏の逝去に哀悼・・・。
親愛なるアッティクスへ

昨日の朝刊に元プロ野球選手「シュート打ちの名人」と呼ばれた大打者にして、コーチ・監督などを歴任した山内一弘氏の訃報が載ってましたね。
この人は昭和45年(1970年)まで現役だったようですが、私はまったく覚えておりませんで、やはり、掛布雅之選手を始め、幾多の優秀な選手を育て上げた指導者としての印象が強いです。
ただ、この人については私には別の意味で幾つか、印象に残ることがあります。

まず、最初はこの人の名前についてです。
私がこの人の名前を初めて知ったのは、昭和47年、小学校5年生の時に、たまたま持っていた何かの雑誌の最後の方に「歴代プロ野球タイトルホルダー」という欄が出ており、その中で、長嶋茂雄、野村克也・・・などという名前と並んで、「山内和弘」という名前が出ていたときでした。
当時は「一弘」ではなく、「和弘」という名前だったのですが、私はこの「一弘」ではない、「和弘」の方の名前を見たとき、少し表現しにくいのですが、とにかく、その名前の「良さ」に惚れ惚れとしました。
「山内和弘」などという名前自体は、「王貞治」「中西太」などと違い、それほど、特徴がある名前でもないし、「山内」だけ、あるいは「和弘」だけ・・・であれば、はっきり言って、どこにでもある名前で、特にそれほど感じるものはなかったのですが、それが「山内和弘」となったときに、「ああ、この人はきっと強打者だったんだろうな」と思わせる物があったわけです。
この辺は、私独自の極めて感覚的なもので、なぜ、そう思ったのかは今でも説明が付きませんが・・・。

次が、この人の生まれ年についてです。
この人は、昭和7年(1932年)生まれなのですが、このことは、実は大きな意味を持ってきます。
今、一流プロ野球選手の代名詞となっている「名球会」というものがありますが、あれは、ただ、「名球会」ではなく、発足当時は(今も?)「昭和名球会」で、わざわざ昭和を付けたところがミソだ・・・と言われていました。
なぜなら、同会は天皇と言われた四百勝投手・金田正一氏の肝いりで発足した会で、カネヤンは自分が会長になるために、自分より年上の「大正生まれ」の先輩方を排除することを目論み、敢えて、「昭和生まれ」で構成する会とした・・・という見方もありました。
(特にV9巨人監督にして、カネヤンが引退したときの監督であった川上哲治氏にだけは、さすがの天皇も煙たかったようで・・・。)
ただ、その場合でも、カネヤンは昭和8年生まれですから、何人か上に来そうなのが居そうな気もするのですが、どういうわけか、その年代はあまりいなくて・・・、そう、お察しの通り、体育会系縦社会の野球界で、唯一、「おい、金田」と呼べるのが、カネヤンより1歳年上の山内氏だったわけです。
だから、その山内氏が、「俺が」と言えば、おそらく、名球会は成立しなかっただろうな・・・と(笑)。
結構、この辺の名球会内での山内さんの微妙な立場は、何となく、雰囲気に顕れている気がしましたよ。

いずれにしても、氏のご冥福をお祈り致します。 合掌・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-02-07 17:39 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

長嶋茂雄、その大いなる幻影・・・。
親愛なるアッティクスへ

私と同年の友人たちに「長嶋茂雄さんの現役バリバリの時代を覚えているか?」と問うと、まず、10人中10人が皆、「覚えている」と答えます。
でも、ご承知の通り、長嶋さんは昭和49年(1974年)に引退したのですが、私の記憶ではその前、昭和45年大スランプに陥り、「長嶋引退か!?」と騒がれ、翌昭和46年には何とかそれを跳ね返して、MVPを獲得し復活したものの、それ以降はもう成績は下降一途を辿り、引退に至ったと。
であれば、長嶋さんが現役バリバリ・・・でやっていたとなると、それ以前の昭和44年以前ということになるわけですが、昭和44年というと私はまだ小学校2年生・・・
当時、さすがに王・長嶋という名前は知っていたものの、野球のルールやセ・パの違いなどはよくわかっておらず、となれば、同年の人たちの多くが、「長嶋の現役時代のプレーに憧れた」と言うはどうしても私には腑に落ちない話であり、実際は、「長嶋茂雄」という、あまりにも大きすぎる巨星の幻影を見ていたのではないか・・・と思うのです。

実際、長嶋さんの現役時代の数字を拾ってみますと、昭和33年(1958年)の巨人入団から昭和39年までの7年間に爆発的な好成績が集中しているのがわかります。
中でも、特に昭和38年までの6年間は最多安打6回、首位打者4回、最多塁打5回、最多敬遠5回、最高長打率5回とタイトルに顕れる以上の数字を独占しており、如何に球界に置ける長嶋さんの存在が大きかったかがわかるかと思います。
ところが、昭和40年、打率こそ辛うじて3割(5位)を打ったものの、本塁打は17本と低迷しており、ここで、思い出すのが、この年から巨人に移籍してきた大投手・金田正一氏の「長嶋の体は俺が巨人に入団したときにはもう、崩壊しかけていた。俺が巨人に入って立て直した」というコメントです。
当時、長嶋さんはまだ29歳ですから、インタビューした記者氏も「まさか」と言ってましたが、でも、長嶋さんと並ぶ天才、中西 太さんの選手寿命は実質25歳までだったことを考えれば、あながち、有り得ない話でもなかったでしょうか。

事実、昭和40年以降はそれ以前のような集中豪雨的な活躍ではなく、昭和41年は首位打者を獲得してMVPに輝いたものの、昭和42年は.283と低迷。
翌、昭和43年は自己最多となる39本塁打、125打点で打点王と(打率も2位)MVP、昭和44年32本塁打、115打点で打点王(打率3位)を獲得、そして、長嶋限界説が唱えられ始めた昭和45年を迎えるわけですが、それでもこの年、打率こそ.269(10位)と低迷したものの、105打点で打点王に輝いており、翌、昭和46年は34本塁打を放ち首位打者とMVPのタイトルを獲得し、復活を遂げたと言われるも、その陰で看板の打点は86と低迷しており、そして、翌年から、打率は.266(21位)→.269(13位)→.244(24位)と低迷、本塁打は27本塁打→20本塁打→15本塁打下降を続け、ついに引退に至ったわけで、その意味でも、長嶋さんの全盛期は昭和30年代まで・・・、現役バリバリといえるのも昭和44年以前まで、長嶋らしい輝きを放っていたといえるのは打点92を記録した昭和47年まで・・・といえるのでしょうか。

ただ、この人の記録を見ていてむしろ痛感するのは、王 貞治氏などもそうですが、その出場試合数の多さ・・・です。
入団以来、実働17年で出場試合数が一番少なかったのは昭和42年の122試合であり、引退の年でさえ128試合に出場していたというのは、現在のプロ野球から考えれば「異常」なことでしょう。
この点は、伝説の骨接ぎ師の方の存在もあったように聞いておりますが、やはり、ある意味、巨人と言えども実態は王・長嶋一座だったということの裏返しだったのかもしれませねんね。
                                   平太独白
by heitaroh | 2008-12-17 18:21 | スポーツ | Trackback | Comments(6)

同年代、オバマと牛島と「スコアボードに神がいる」論
親愛なるアッティクスへ

e0027240_10595814.jpg昨夜はここで呑んでいたみたいです。
どうしても思い出せないんですが・・・(笑)。
で、過ぎたことは及ばざること・・・で、気持ちを切り替えて、本日のお題です。

バラク・オバマ候補の勝利宣言ですが、ちなみに、彼は、「初の黒人大統領候補」・・・というよりも、私にとっては、「初の同い年の大統領候補」でもあります。

で、同年と言うことで、どこかで意識している有名人となると、私の昭和36年生まれというのは、どうにも地味な世代のようで、あまり、パーッとしたのがいないんですよね・・・。
まあ、海外では、何と言っても、「ダイアナ妃」なのですが、そもそも、あまりにも、あらゆる意味で遠すぎて、何だかとても意識する対象ではないですし、国内では・・・というと、芸能界では何と言っても松田聖子ちゃんですが、女性はあまり、同年意識の対象にはならないんですよ。

で、男性となると、中井貴一渡辺 徹「とんねるず」くらいで、イマイチ、光りが乏しい・・・
プロ野球では、今の松坂世代のように、自分たちの世代を代表する選手というと・・・、巨人・岡崎、広島・長冨、ヤクルト・高野・・・とやはり、パッとせず・・・。
(6歳上が江川世代、6歳下が桑田・清原世代・・・で、まさしく、中ダレ状態。)
そういう意味では、「ドカベン香川」甲子園でバッテリーを組み、中日ドラフト一位で入団した、前横浜ベイスターズ監督牛島和彦君(?(笑)。)でしょうか。
甲子園のスターとして女性についても、華やかな噂を多々、耳にしましたが、彼については野球人として興味深いエピソードを聞いたことがあります。

度々、取り上げさせて頂いております西鉄ライオンズの伝説の名投手・稲尾和久氏が、中日投手コーチをやっていた時代、若手投手を集めて、「0-0の同点で九回裏2死満塁、カウント2-3。さあ、お前なら何を投げるか?」と質問したことがあったそうです。
すると、皆、それぞれに、「ど真ん中のストレート」とか、「落ちる球」などと言っている中、ただひとり、牛島だけが、「すいません。2-3になった経過はどうなんですか?」と聞いてきたとか・・・。
確かに、そういう前提がはっきりしていないことには、どういう球を投げるかということは決められませんよね。
それどころか、実際には、その時の、グランドの状態、三塁ランナーの、自軍の守備力、守備陣の陣形・・・言い出したらきりがないくらいに計算しなければならない要素があるわけで、それを聞かずして、「何を投げますか?」などと聞ける方がおかしいんですよ。

この点では、かつて、大投手、金田正一氏は、現役時代、スコアボードを指さして、「あそこに、わしの神様がおる」と言っていたといいます。
確かに、スコアボードというのは、考えようによっては、もの凄い、情報量が詰まった、ある意味、「神様」なんですよね。
果たして、それを使いこなせているかどうかが、一流になれるかどうかの「差」となって顕れているのかも知れません・・・。

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by heitaroh | 2008-06-06 08:54 | スポーツ | Trackback | Comments(6)

昭和33年の熱球!
親愛なるアッティクスへ

先日、野田双人という人の「熱球 昭和33年番記者が見たプロ野球の青春」という本を読み終わりました。
同書は、副題の通り、昭和33年プロ野球を、当時の若手スポーツ新聞の記者の目を通して語ったもので、リアルタイムならではの臨場感があって、しかも、なかなか読みやすく、久々に楽しんで読めた逸品でしたね。
もっとも、以前、平太郎独白録 : 残滓か鎮魂か・・・。昭和36年の「革命」でご紹介した名著「革命」同様、なぜか、博多弁の使い方がでたらめなんですよ。
(意味を理解しないまま使っているので、わかる人間が読むと、もの凄く混乱するという・・・。)
戦争が終わって13年・・・。
私は生まれる前・・・どころか、両親も知り合ってもいなかった頃だったでしょうが、皆、敢えて、前だけを向いて生きていたような、後ろを振り返りたくない・・・、そんな時代だったような気がします。

で、この、昭和33年という年のプロ野球界の最大の出来事は何かといえば、何と言っても、「長嶋茂雄のプロ野球デビュー」でしょう。
(私的には、西鉄ライオンズ「3連敗から4連勝で奇跡の日本一!」なのですが(笑)。)
で、その長嶋選手は、開幕戦でデビューしたものの、国鉄(現ヤクルト)の金田正一投手の前に、4打席連続三振でのスタートとなったことはよく知られています。
(実は、翌日、金田にはもうひとつ、三振を喫しており、5連続三振だったことは意外に知られていません(笑)。)
が、実は、このとき、巨人は試合自体も金田投手の前に完封負けしており、そのショックからか、そのまま、国鉄との開幕三連戦に三連敗し、さらに、次の大洋戦にも負けて、球団史上初開幕4連敗からのスタートだったそうです。
そのため、なかなか、波に乗れない巨人は4月28日時点で、10勝12敗で勝率5割を切っており、代わって、好調だったのが14勝7敗で首位の阪神・・・。
で、この時点での順位を言えば、阪神・中日・国鉄・巨人・大洋・広島の順だったそうですが・・・・・・・って、これって、よく考えたら今年と同じじゃないですか!
(まあ、五位と六位が入れ替わってますが、それを除けば、実に面白い符合だな・・・と。)
さらに言えば、今年、巨人は開幕5連敗からのスタートだったことは記憶に新しいところですが、そのきっかけをつくった開幕三連戦で三連敗したのは国鉄の後身であるヤクルトスワローズなわけで・・・。

この年、結局、セ・リーグを制覇したのは巨人でしたが、ただ、日本シリーズでは、3年連続で、宿敵、西鉄ライオンズとの顔合わせになったものの「神様仏様稲尾様」の前に、球史に残る大逆転負けを喫し、西鉄の三連覇を許しておりますから、この辺は、リーグ優勝しながらも、日本シリーズに進めなかった去年と、また、だぶりそうな気もしますね・・・。
縁起でもない?(笑)。

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by heitaroh | 2008-04-28 08:40 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(2)

元祖堀内伝説・4
親愛なるアッティクスへ

前回の続きです。

e0027240_1636247.jpg前回、堀内伝説といいながら、カネやんに触れましたので、今回も、少し、堀内恒夫氏と金田正一翁とのことについて、触れておきたいと思います。
堀内さんが新人として巨人に入団した年、巨人には400勝を目前にした大投手、金田正一氏が在籍していたそうです。

で、堀内投手の初登板は、いきなり、先発登板だったとか。
当時の、川上哲治監督から、いきなり、初登板初先発を言い渡された堀内少年が、独り、ロッカーで着替えていたところ、当時は、試合前のロッカーに、普通に、新聞記者が入れたのだそうで、入ってきた新聞記者が、緊張している堀内少年を見つけ、「もしや、新人の初先発登板か!?」と早速、かぎつけてきたそうです。
色々と、執拗な質問を受け、言葉に詰まると、さらに、「これは怪しい・・・」と、ますます、記者に囲まれようとする堀内少年・・・。

すると、その背後から、「おい!今日は、新人君の初先発の日なんや。そっとしといてやってくれんか」という野太い声・・・。
振り向けば、そこには、大投手・金田正一御大の姿・・・。
「その代わり、わしが、おもろいネタ、たくさん話したるさかい。これで、勘弁したってや」と言い、カネやんは新聞記者をすべて連れて、ロッカーを出て行ったそうです。
堀内投手は、この試合で初勝利を挙げ、以後、開幕13連勝を含む、16勝2敗で、防御率、勝率のタイトルとともに、新人王から沢村賞まで獲得することになったのは周知の話ですね。

ただ、当時、金田投手は、前人未到の400勝投手に挑戦していたものの、すでに選手としては晩年であったことで、なかなか勝てずにいたとか。
その姿を見て、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いで怖いものなしの強心臓、堀内投手は、「あんた、今まで、三百何十勝もしてきた投手なんでしょ?何で、今更、たった何勝くらいに、そんな青い顔しているの?」と聞いたそうです。
時は移って、V9巨人黄金時代を支えた堀内投手も選手としての晩年を迎えた頃、200勝目前まで行って、なかなか、あと少しが勝てない・・・ということがあったとか。
そのとき、解説者として、グランドに来ていたカネやんから、「おい堀内、どうした。青い顔して」と言われたとか。
本人は、「別に青い顔をしているつもりはなかったけど、俺も周囲から見たらそう見えたのかな・・・」と仰ってましたが、青い顔とはいかないまでも、テレビで見ていた私にも、しっかり青息吐息だったようには見えましたよ・・・(笑)。

ほりうち・・・じゃなかった、そのうち、続きます。
                             平太独白
by heitaroh | 2007-06-13 17:32 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

元祖堀内伝説・3
親愛なるアッティクスへ

休日は、それまでの不摂生が祟ったのか、ついに熱を出して寝込んでました。
思えば、私はGW前後は毎年、熱を出して寝込んでいるようです。

e0027240_14194747.jpg昔、「鉄腕」と呼ばれた西鉄ライオンズの大投手、稲尾和久氏は、現役時代、シーズン中の酷使からか、シーズンオフになると、毎年、高熱を出して寝込んでいた・・・という話を思い出してしまいました(笑)。

関係ないですね、はい。

で、二年もブログを続けていると、いい加減飽きてきたようで、最近、何だかなーって感じです。
病み上がりだし、もーいっかなーと。
で、手抜きで、このシリーズの続きです。
ちなみに、このシリーズ、前回の話、どうでしたか?
結構、いい話だったでしょう!
私は自分で書きながら、目頭が熱くなってましたよ。

堀内さんも、巨人の監督やってから、色々と大変だったようですが、まあ、何はともあれ、頑張って欲しいものです。
ちなみに、昭和48年日本シリーズ終了から3ヶ月後、堀内さんのお父さんは亡くなったそうです。

で、これと同じような話は、あの金田正一投手にも聞いたことがあります。
金田投手と言えば、度々触れておりますように前人未踏の400勝が有名ですが、それ以上に有名なのが、昭和33年、あの!長嶋茂雄選手をデビュー戦で4打席連続三振に打ち取ったことでしょう。
長島デビューの時点で、金田投手はすでに200勝を挙げていたらしく、言うならば、すでに大投手であり、それに対して、マスコミはゴールデンルーキーとの対決を煽ったと言いますが、カネヤンにしてみれば、「同列に扱われること自体、不愉快!」だったと言います。

実は、このとき、カネヤンのお父さんも、かなり、体が悪かったらしく(確か、末期ガンだったかと)、カネヤンも、父に見せてやれる最後の晴れ姿として、開幕戦に招待していたとか。
このとき、普段、野球のことについて何も言わないお父さんが、一言だけ、「学生さんに負けちゃあいかんぞ」と言ったと言います。
カネヤンは、言われんでもわかっとったから、頷いただけだったと言いますが・・・。

この開幕戦で、ゴールデンルーキー長島と相対した金田投手は、長島を四打席連続三振に打ち取り、プロの意地を見せつけましたが、この、息子の晴れ舞台をスタンドで見守っていた父は、同行したカネヤンの末弟の金田留広(後のプロ野球投手)氏によれば、「父は、兄の投球を見ても何も言わなかったけど、ただ、もの凄い量のたばこをすった」そうです。
ゴールデンルーキー長嶋茂雄がデビュー戦で相対したのは、プロの意地と、そして、父の想いだったのでしょうか・・・。
                              平太独白
by heitaroh | 2007-05-08 17:02 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

オールスター初出場でのノムさんの賭けと覚悟と自信と涙。
親愛なるアッティクスへ

15年くらい前でしょうか、私は草野球に引っ張り出されたことがあります。
すでに、その段階で、もう、10年くらい、まったく野球をやってませんでしたから、久々、打席に立ったところで、当然、打てるはずもなく、3打席ノーヒットで、最後の4打席目を迎えました。
で、それなりに考えました。
まず、変化球には、まるで、目が付いていけないから、打てるとすれば直球だけだなと。
であれば、ストレートだけに的を絞ろう・・・と。
それで、カーブ三球続けられたら、一球も振らずにごめんなさいで帰ろうと・・・。

このとき、私の考えの根拠となったのが、まだ、売り出し中だった頃の野村克也氏が、初めてオールスターに出たときの話でした。
同点で、9回裏走者3塁となった場面でノムさんに打席が回ってきたところ、ここでセ・リーグは、当時、全盛だった、国鉄金田正一投手をマウンドに上げたそうですが、ノムさんがベンチでその投球練習を見ていると、当時のカネやんの直球は、もの凄く速く、うなりを上げてミットに突き刺さっていたとか。
ノムさんは、これを見て、「これは、とても打てそうにないな・・・」と思ったそうです。
で、「ストレートはとても打てない。もし、打てるとすればカーブだけだな」と思い、カーブだけに狙いを定めて、打席に立ったとか。
もし、ストレートが3球来たら、「ごめんなさい、失礼しました」と言って、さっさと帰るつもりだったと。
すると、初球、カーブが来たそうで、「これしかない!」と思って、思い切り振ったら、三遊間を破りサヨナラ打になったとか。

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試合後、カネヤンもカッカきていたようで、「ノムのやつは、よう、わしのカーブを打ちよった」と放言したそうですが、逆に、ノムさんは、これを聞き、「もの凄い、自信になった」と言ってました。
まあ、それほど、当時のカネやんの実力はぬきんでていたと言うことなのでしょうが、逆に言えば、「自分には、これしかカードがない」という場合、そのカードを使うしかないわけで、となれば、相手に、そのカードを切らせる駆け引き上の工夫などは必要でしょうが、やはり、基本的には「それだけを狙い」、それが来なかったら、あるいは、それさえも通らなかったら、潔く、「ごめんなさい、失礼しました」で帰ってくる・・・、もっと言えば、「腹を切る」という「覚悟」が必要なのではないかということです。

ちなみに、私のその最後の打席は、それほど甘くはなく、ストレートを2球ほど打ち損じた後、ようやく、四球を一つ選んだだけでした(涙)。
                              平太独白
by heitaroh | 2007-02-20 08:03 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

400勝投手金田正一の偉業達成に見る時代背景
親愛なるアッティクスへ

e0027240_17235527.jpgこれが、昨日の昼食です。
最近、こういう精が付く物ばかり食べてるんですけど、一体、何するつもりなんでしょうか、ワタシ・・・。

ところで、元プロ野球投手で、金田正一という人物をご存じでしょうか?
金田一ではありません(笑)。)

以前、平太郎独白録 「藤田元司氏の逝去に想うチェンジアップの人間心理。」の中でもご紹介した通り、通算400勝、14年連続20勝、通算4490奪三振、通算365完投、最多奪三振王10回・・・等々、今でも、抜かれることのない数々の記録を打ち立てた、まさに、「球史に残る大投手」です。
名球会の会長で、ロッテの監督なども務められてましたので、少し下の世代までは当然のようにご存じかと思いますが確か、今上天皇陛下も同じ年のはずですから、今の若い方はあるいはご存じないかも知れません。
(昔の引退する頃の映像なんかを見ると、ちょうど、今の清原のような感じですよ。)

この方の数々の大記録の中でも、やはり、燦然と輝くのは前人未踏の通算400勝とい大記録でしょう。
しかも、金田投手の現役時代というのは、まだ、ドラフト制の施行前ですから、彼がその大半の勝ち星を稼ぎ出した時代に在籍していた国鉄スワローズ(現東京ヤクルトスワローズ)は毎年、最下位争いを繰り広げていたチームで、従って、400勝に対する一方の負け数、298敗というところにこそ、彼のこの数字の本当の凄さが顕れていると言われています。
ただ、この400勝ですが、国鉄スワローズが弱小であったがゆえに、逆に言えば、金田氏のワンマンチームであり、後に、西鉄ライオンズから移籍してきた豊田泰光氏によると、「勝ち星が付きそうだな・・・」というときになると、いきなり金田氏がスタスタとマウンドに出て行き、慌てて監督が投手交代を告げに走る・・・という光景に驚いたと。
「あ、これは被害者もたくさんいるな・・・」と思ったそうで、当然、恨んでいる人間も少なくなかったとか。
つまり、だからこそ出来た前人未踏だった・・・と。

ただ、金田氏の場合は、酷いと言えば酷い話なのでしょうが、当時はまだ、日本全体が貧しく、自分と家族が生きていく為には、他人のことを顧る余裕はなかった時代だった・・・という、その辺の事情は考慮しなければならないでしょう。
金田氏のところも、妻子はもとより、両親、多くの弟妹、すべての家計が文字通り、彼の肩にかかっていたわけで・・・。
当時の選手は、多かれ少なかれ、似たようなことがあったそうで、同様のことは、あの、「打撃の神様」と言われV9巨人の監督でもあった川上哲治氏にも見ることが出来るようです。
(彼は、チームの打撃練習時間の大半を平然と一人で使ったと言います。)
彼もまた、「家族を養っていくのに必死だった・・・」と、後年、述懐しておられました。
そういう時代だったのであり、この点は、現代人(?)がとかく、いうべきものではないのでしょうね。
                               平太独白
by heitaroh | 2006-08-17 08:27 | スポーツ | Trackback | Comments(36)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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