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打撃の神様でV9巨人の監督・川上哲治氏の逝去を悼む!
「巨人大鵬卵焼き」・・・、当時の子供が大好きな物と言われてますが、一面、その言葉の裏には、「誰がどう立ち向かっても、倒すことが出来ない圧倒的な強さ」という含みがあったように記憶しております。
当時、相撲界に無敵の強さで君臨していた横綱大鵬と並んで、9年連続日本一という盤石の強さを発揮していたのがV9巨人軍
巨人オーナーの正力松太郎のことを「勝利決まったろう」などと呼ぶほどの無類の強さは、徒花として、「アンチ巨人ファン」なる存在を生み出したほど。

で、当時、その巨人を率いていたのが川上哲治監督。
私が生まれる前は「打撃の神様」「赤バットの川上」「弾丸ライナー」・・・などの称号で知られた球界を代表する大打者で、私が知る限り、本人主演の映画が作られたのは川上氏と長嶋茂雄、稲尾和久の3人のみ。
(マンガ巨人の星で「主人公の家の壁の穴から飛び出してくるボールを木切れでその穴に打ち返してたのが印象深いですね。今考えれば、ありえねーって話でしょうが、当時は「これが達人か!」って思いましたよ(笑)。)

e0027240_1694551.jpgで、その川上氏が、去る28日、遂に逝去されたか。
御年93歳、老衰だったとか。
(←熊本県出身だったからか、福岡の地元紙には1面トップで出てました。)

いつかこの日が来るんだろうなとは思ってましたが、日本のプロ野球史はこの人と野村克也氏で9割語れるんですよ。
つまり、ノムさんが語れない沢村栄治などプロ野球草創期の部分を、同じグラウンドの上に居た者としての目線で語れる最後の生き証人だったわけです。
(ノムさんって、凄いんですよね。選手として日本のプロ野球選手第一号の三原脩翁の謦咳に接し、監督としては今をときめく、田中マーくんから、マンガのあぶさんまでが教え子なんですよね。)
チームの打撃練習時間30分のうち20分を一人で使ったというエゴイスト。
ゴルフでも、いくら後ろの組が詰まっていても、平然とラフの中の自分の球が見つかるまで探したとか。
サッカーの三浦知良選手は「99回外しても、平然と100回目を蹴る。そういう精神構造でないとやっていけない」と言ったそうですが、おそらく、川上さんも平然と100回目を蹴ったでしょうね。
酷いといわれる方もあるかもしれませんが、これがプロのあるべき姿なんでしょう。合掌。
                                     平太独白
by heitaroh | 2013-10-31 18:04 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(2)

占いと迷信の本末転倒と論理的思考に理解不能の星占い
親愛なるアッティクスへ

私は占い迷信などという物は体質的に受容し難い人間なのですが、かといって頭から全否定したりもしません。
自分なりに検証し、その上で、明らかにおかしい物、もしくは時代に適合していないと思える物については顧みる必要はないと思っているのですが、たとえば、昔から、「箸と箸で直接、食物の受け渡しをするのは死人が出たとき」などというのは「そういう不確実な形での食卓での受け渡しを戒めたもの」であり、「夜に笛を吹くと蛇が来る」などというのは、昔は今と違って日が暮れると寝るのが当たり前でしたから、笛なんか吹くとやたら響いて隣近所に迷惑になるということだったのではないかと。
(鼓なんかは当初から論外だったでしょうが、笛くらいなら・・・という微妙なところがあったのかもしれません。建物の遮音性も低かったでしょうしね。)

その意味では、占いもまた然り。
占いの多くは、要は「その傾向がある」ということではないかと思います。
たとえば、血液型にしても、以前、元プロ野球監督の野村克也氏は「名球会は不思議とO型B型ばかり」と言ってましたが、O型はともかく、人口比では日本人の2割しかいないはずのB型が多く輩出しているというのは、やはり、そこには何らかの「傾向」があるのかもしれません。
ただ、これも行きすぎるとおかしなことになるようで、昔聞いた話で、ある会社では社長が常々、「O型以外の社員はダメだ」と言っていたことから、その会社の管理職は全員O型だったそうですが、会社が吸収合併されて社長が変わったら、なぜか、昨日までO型だった人たちの殆どが別の血液型になっていたとか(笑)。

同様の本末転倒の話は、手相にもあるようで、韓国では手相の良否も重要視されるらしく、手相の整形も流行っているそうですね。
でも、手相などというものは私的には、人間の生活の少なからぬ部分を占める手のひらの動きという物に着目した「傾向判断」であり、つまり、「力強く、積極的に掴んでいる人は成功しやすい」とか、「繊細なタッチでゆっくりとした動きをしている人は好かれやすい」・・・などという類のことなのだろうと思っております。
(「手相は左手で見る」などというのは、右手は利き腕であることが多く、その意味では左手は手相が変化しにくい、つまり、その人の本来の気性が残っていることが多いということで、従って、右手は後天的、左手は先天的といえるでしょうか。)
だから、手相を整形すれば開運、ひいては成功できるということではなく、日頃からそういう手のひらの動きをするように心がければ良いんですよ。

この点では、以前、あるアメリカ人の専門家が血液型について聞かれ、「ばかげている」と言ってましたが、続けて、「でも、アメリカ人も人のことは言えない。アメリカ人は血液型は信じないけど星占いを妄信している」と言い、その筆頭が当時、退任して間もなかった「レーガン大統領夫妻だ」と。
ちなみに、私がどうにも、まったく理解できないのがその星占いでして・・・。
だって、何千光年離れた天体がピンポイントで一定の人の運命に関係性を持つ・・・というのはどう説明されても理解できませんからね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-10-12 18:59 | 社会全般 | Trackback | Comments(4)

野村監督退任にみる日本野球史相関性 後編
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

大選手として、また、名監督として、長く球界の中枢にいた野村克也氏は、それだけに、球史の多くに何らかの形で関与しており、曰く、西鉄黄金時代と鉄腕・稲尾和久投手を語るときはその好敵手として。
杉浦 忠投手の昭和34年の伝説を語るときには、その女房役として。
ミスタープロ野球・長嶋茂雄を語る上では、「長嶋が大輪のヒマワリなら俺は日本海に咲く月見草」という名文句で知られるように、たえず、意識してきた人として。
世界の本塁打王・王 貞治本塁打記録が語られるときには、記録の殆どを塗り替えられた前記録保持者として。

日本のプロ野球選手第一号三原 脩とはライバルチームの監督と選手として相対し、さらに昭和35年大洋ホエールズの優勝の折には、日本シリーズ対戦前に三原から直々に尋ねられ、川上哲治監督に率いられた巨人の9連覇を語る上では、対戦相手のパのチームの戦力分析を巨人の森 昌彦捕手に伝授した・・・etc。
また、野村再生工場の異名で知られるように、江本孟紀、江夏 豊から遠山奬志、山崎武司・・・まで、さらに、新人時代からさんの薫陶を受けたという点では古田敦也、田中将大・・・、更に言えば、スコアラーの祖・尾張久次氏を創設間もない西武ライオンズに紹介したのもノムさん・・・、果ては、「あぶさん」がプロ入りしたときの監督もノムさん・・・。

言えば、きりがないので、この辺で辞めますが、その監督としての経歴を見てみると、改めて、三原 脩という人と似てますよね。
ノムさんは初めて監督をやったのが昭和45年(1970年)の南海でのプレーイング・マネージャーのときでこのとき35歳
三原さんは、終戦間もない昭和22年(1947年)の巨人36歳
ともに、それぞれ、弱体球団を見事な手腕で優勝に導くも、球団との確執から「追放」され、三原さんは1年置いて、新興球団西鉄へと移り、ノムさんは13年の歳月を重ねた後、ヤクルトへ。
共にそこで4回の優勝3度の日本一に輝き、名将としての評価を確立する・・・と。

しかし、球団にとって、名監督というのは有り難い反面、持て余す存在でもあるようで、それほどの実績を積み重ねながらも引き留められることもなく、本当はその年限り・・・だったはずが、一転、二人とも日本一になったことから、慌てて球団に慰留され、もう1年やるも、結果は共に4位に終わり、晴れて退任・・・と。
でも、その名声を世間は放っておかず、ともに請われて、当時、お荷物球団といわれた阪神大洋へ。
ノムさんは阪神では結果を残せなかったのに対し、三原監督の方は1年目に大洋を前年の最下位から一転優勝に導き、「三原マジック」と賞賛されるもそこまでで、以後、二人とも優勝に輝くことはなかったものの、ノムさんは今年、お荷物球団・楽天を創設以来初の2位に押し上げ、三原さんもお荷物球団・近鉄を球団創設初の2位に押し上げた・・・と。
ノムさんが来期以降、楽天の名誉監督となるのに対し、三原さんはヤクルトの監督を最後に現場を退いて後は日本ハム球団社長として、初優勝を後方からサポートした・・・と。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-10-28 18:14 | スポーツ | Trackback(2) | Comments(2)

野村監督退任にみる日本野球史相関性 前編
親愛なるアッティクスへ

楽天の名伯楽・野村克也監督・・・・、ついに退任されましたね。
本人はまだ、現場の執着があったみたいですが、何せ高齢という表向きの事情と、1億5千万円という高額の年俸という本音の部分で、どうやら、事実上の現場からの完全引退・・・という雰囲気になってますよね。
もし、これで完全にノムさんの現場人生が終わったと仮定したとして・・・ですが、もし、そうならば、野村克也という人の偉大なる野球人生についても総括しておくべきではないかと思い立ちました。
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(↑ノムさんの故郷、丹後の日本海もこんな感じだったのでしょうか・・・。)

まず、ノムさんが南海ホークステスト生として入団したのが、2リーグ分裂から5年目の昭和29年(1954年)のこと・・・。
この年のプロ野球勢力地図を見てみると、日本一になったのは中日ドラゴンズで、対して、ノムさんが在籍したパ・リーグを制したのは、プロ野球選手第一号にして、巨人監督として実績を残しながらも「石を持て追われ」た智将・三原 脩に率いられて4年目で初優勝に輝いた新興球団・西鉄ライオンズ・・・。
川上哲治藤村富美男と言った戦前からのスター選手はまだまだ現役バリバリである一方、広岡達郎、吉田義男、豊田泰光、中西 太、山内和弘という若い力が台頭してきた時代でもあった・・・と。
この年のMVPは、セは「魔球フォークボール」セ・リーグを席巻した中日のエース・杉下 茂、パは三原 脩をして「ただひとりの天才」と謳わしめた青バットの大打者・西鉄の大下 弘
(ちなみに、この年、入団5年目の金田正一投手はすでに100勝(94敗)を挙げており、大投手への道を一直線に突き進んでおりました。)

その後、「松坂世代」ならぬ「野村世代」とも言うべき、長嶋茂雄、杉浦忠、仰木彬、近藤和彦同級生進学組が入団してきたとき、ノムさんはすでに前年に本塁打王を獲得しており、押しも押されぬパの看板打者のひとりとなっていた・・・と。
その後のノムさんの活躍は改めて言うまでもないことで、MVP5回、三冠王1回、8年連続本塁打王9回などなど、パを代表する強打者にして名捕手であり、さらに、監督としては日本一3回を含む優勝5回という名監督であったわけで・・・。
つまり、何が言いたいかというと、それら、長くプロ野球の中枢に居続けてきたことで、今や、誰かを語るときには必ず、何らかの形でこの人が出てくる・・・ということになっているということです。
言うならば、ノムさんの野球人生は日本戦後プロ野球史と大きく重なっており、ある意味、歴史そのものと言っても過言ではない・・・と。

明日・・・になるかどうかわかりませんが、とにかく、次回に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-10-27 18:03 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

プロ野球、初の2位同士の日本一決定戦なるか? 後編
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

今回の野村克也監督同様、飛び抜けた実績を積むごとに「優勝請負人」として引っ張りだこになった分、報酬の方も一般的な監督の報酬からすると高くなっていたことがネックになっていったかつての名監督・三原 脩翁ですが、三原翁はこれに対して、「監督の給料は安すぎる」と反論していたとか。
曰く、三原翁は「私は監督として、それに見合うだけの仕事をしている」と・・・。
確かに、「当て馬」「ワンポイント・リリーフ」など、現在のプロ野球で見られる戦術大半を作った人だけに、ファンとしても、「三原が今度は何をやるのか?!」という采配の妙は十分に楽しめたはずで、その主張には説得力があります。

この点は、チームが優勝したりすると好成績を残した選手へもベースアップを図らねばならない以上、球団としてもやむを得ないところではあるのでしょうが、特に、楽天という球団は、採算ということに関してはシビアな球団であり、今、野村監督の給料は1億5千万円くらいだそうですから、創設以来初のAクラス入りした選手たちへ払う財源を確保するという意味に置いては、確かに、一番、手っ取り早いコストカットの対象なのでしょう。
ただ、監督やコーチの給料が安く押さえられているということの一つには、なり手はいくらでもいる・・・という、買い手市場になりがちな需給関係があるわけで、ましてや、三原監督の頃と違い、現代ではアメリカから安いコストでいくらでも外国人監督を連れてこられるわけで、その意味では、今後も監督の給料は著しいデフレ傾向にあるでしょう。

で、その楽天ですが、あっさり、日ハムに押し切られそうな気配になってきましたね。
ノムさん退任で士気が上がるチームの雰囲気からは、もう少し、健闘するかな・・・と思っていたのですが。
ただ、この点で、私が思ったのが、楽天はソフトバンクとのファースト・ステージから、先発投手は岩隈→田中、そして永井・・・という順番できましたけど、これは岩隈→永井→田中、もしくは田中→永井→岩隈ではなかったかと思うんですよ。
まず、ファースト・ステージを確実に勝つ・・・というのはわかるんですけど、楽天はすでにシーズン2位を手中にしている以上、日本シリーズに進出しない限りは、ファースト・ステージで敗退してもセカンド・ステージで敗退しても大差ないんじゃないかと・・・。

数年前、当時の西武伊東監督はファースト・ステージで涌井を使わず、敢えて、セカンド・ステージでの初戦のために温存したことから、結果的に3位のソフトバンクにファースト・ステージで敗退した・・・ということがありましたが、私はこれで良いと思うんですよ。
目的はあくまで日本シリーズ進出であり、ファースト・ステージ突破ではなかったわけですから。
そう考えるならば、今シーズン、ソフトバンクに5勝1敗(?)で相性が良かった永井が第二戦でも十分に勝ち目があったはずで、仮に落としたとしても第三戦で田中(岩隈)で勝てば良かったわけで、うまく行けば、セカンド・ステージの初戦から田中(岩隈)で行けたでしょうし。
やはり、1勝アドバンテージを持っているチームと戦う以上、初戦の持つ意味は大きいですよ。
まあ、野村監督の退任問題が影を落としたことは容易に想像付きますけどね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-10-23 18:30 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

プロ野球、初の2位同士の日本一決定戦なるか? 中編
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

中日は強い・・・という点ですが、実は私、今年、セ・リーグの試合は殆ど見てないんです。
その私が中日は強い・・・と思う理由、それは、個人成績のある部分に注目したからです。
まず、打点部門ですが、1位が中日のブランコ選手(110打点)で、こちらは本塁打王も獲得してますから、「打点は本塁打の副産物」・・・といわれる視点に立てば、特に驚くには値しないでしょうが、私が注目したのは2位が1打点差で同じく中日の森野将彦選手だったことです。
(森野選手の本塁打は23本ですから、いかに好機に打っていたかということがわかると思います。さらに中日からは6位に87打点で和田一浩選手もランキングされており、この三人で中日の全打点の半分以上を叩き出している・・・と。)
同様に、防御率のタイトルを見てみると、1位が中日のチェン投手(1.54)で2位も同じく中日の吉見一起投手(2.00)・・・。

で、なぜ、この部門に注目したかというと、本塁打打率というのは、必ずしも、チームの成績に貢献しませんが打点は確実に貢献します。
また、投手の最大の勲章である最多勝利投手はチームの成績には貢献するものの、反面、チーム事情に左右されるところが大きく、必ずしも個人の実力を表しているとは思えないことから、その意味では、打者に置ける打点と投手に置ける防御率というのは完璧ではないまでも、一番、信頼できうるデータである・・・と。

もっとも、両部門共に3位は僅差で巨人の小笠原道大選手(107打点)、ゴンザレス投手(2.11)であり、さらに言えば、打点は4位にラミレス(103)も名を連ねており、決して、巨人が見劣りしているわけではありません。
その証拠に、打率・防御率ともに巨人からはベストテンに4人がランキングされているのに対し、中日は両部門ともに2人しかランキングされておらず、つまり、打撃成績、投手成績ともにチームとしては巨人の方が圧倒的に優れているということだと思います。
ただ、得てして、短期決戦ではこういう全般的に優れているチームよりも、どこかの部門にだけ戦力を傾斜したチームの方が強いことがままあるわけで・・・。
落合博満という人は、現役時代、「終わってみれば三冠王を獲っている」というスタンスから、「帳尻合わせ」と言われた人ですが、采配でも、どうやら、「帳尻合わせ」に向けて、しっかりとシーズン中を戦っていたように思えますが如何でしょうか。

次に、野村克也監督の退任問題ですが、表向きは「高齢」ということのようですが、実際には野村監督の「高すぎる給料」がネックになっているそうですね。
この点で、思い出すのが、拙稿でもたびたび採り上げております、「智将」と呼ばれた名監督・三原 脩翁のことです。
三原監督も、「三原マジック」と呼ばれるほどの采配の妙で、野村監督同様に、優勝請負人と言われた人ですが、監督時代の最後の頃はその高すぎる給料が色々と取り沙汰されていたように記憶しております。

少し長くなってしまいましたので、続きは明日のココロだ~。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-10-22 08:29 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

プロ野球、初の2位同士の日本一決定戦なるか? 前編
親愛なるアッティクスへ

「名にしほふ 杜の都の まぶしさよ 
    胸にしみいる 仙台のまつ」
    平太

秋ですね。
すっかり、いい風が吹いてます。
何年か前、仙台へ行った折り、青葉城跡から市内を眺めたときの句です。
ちょうどそのときも、何ともいい風が吹いてたことを思い出しました。
でも、どっかで聞いたような句のような気もしないでもないんですが・・・(笑)。

で、仙台といえば今日からいよいよ、球団創設初の日本シリーズ進出をかけて、野村克也監督率いる東北楽天クライマックスシリーズセカンド・ステージを戦うわけですが、実はここ最近、私、結構、忙しくしており、起稿をさぼってましたので、改めて、セ・パ共にファースト・ステージからの戦いも含めて触れてみたいと思います。

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(↑いつの間にやら今年の夏も終わりました。河畔に並べられた灯明です。)

で、まず、セ・リーグから言えば、ファースト・ステージ、私は、「ヤクルトでは巨人には勝てないが、中日は巨人に勝つかもしれない」と思ってました。
そして、おそらく、セカンド・ステージに進出するのは中日だろうと。
なぜなら、中日はおそらく強いですよ。

次に、パ・リーグですが、私は今の楽天の勢いからすると、十分に、楽天が勝ち上がる可能性はあると思っていますが、むしろファースト・ステージ前から興味深く見ていたのが、野村克也・老監督が今期限りでの退任を通告されたことの影響についてです。
私の感覚では、チームに貢献してきた監督が「今期限り」ということになったら、逆に、「よし、花道を飾らせてやろう」と思うような気がするのですが、実際には、やはり、「来年、居もしない監督」というのは見事に求心力を失うもののようで・・・。
実際、あれほど、選手からもファンからも人望を集めていたように見えたロッテのバレンタイン監督でも、今期、シーズン前に、「今期限り」と宣告されると、あっさりと成績低迷に終わったことには、私も、「やはり、バレンタインでも来期やらないとなると、これほど、求心力を失うものか・・・」という想いを強くさせられました。
さて、その点、野村監督はどうかな・・・と思っていたのですが、さすが、百戦錬磨のノムさん。
自らの退任をもって、選手に火を点けることに成功したわけで・・・。
まあ、この点は、長期戦と短期決戦の差や、他球団をお払い箱になった選手が多い、創立以来初の日本シリーズ進出を目前にした楽天という球団の特殊事情もあったと思いますけどね。

セ・パ共に考察の解説と続きは明日のココロだ~ということで、今日の試合結果は神のみぞ知る・・・(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-10-21 18:18 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

ドラマ「フルスイング」にみる夢が途切れたときの論理 後編
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

高畠氏は、番組の中でも少し言ってましたが、元々、高校時代、甲子園を目指しながらも甲子園には行けず、卒業後もどこからも指名はなく、それでもプロを目指し、大学やノンプロを経て、ようやく、南海ホークスドラフト5位で指名されたものの、今度は怪我に泣き、選手生活はわずか5年で終わった・・・と。
つまり、彼は甲子園という夢に向かい果たせず、プロ野球選手という夢に向かい、夢破れた・・・という経歴を持っていたわけですね。
しかし、彼は、引退後、当時の野村克也南海ホークス監督(現楽天監督)に認められ、29歳という若さで新たな打撃コーチという仕事に巡り会います。
当初は、年上で自分より実績がある選手もいたでしょうから、それなりに葛藤やジレンマなどもあったでしょう。
しかし、彼は、やがて、そこに新たな「夢」を見出します。
つまり、彼は同じ野球でありながらも、「自分でやる」ことから、「選手を育てる」ということに「夢」を見出した・・・、いや、夢を軌道修正して、また、夢を使えるようにしたといえるわけですね。
(この話は、何もプロ野球に限ったことではなく、要は、主体が「自分」から「他人」に変わっただけ・・・と。)

なぜなら、往々にして、夢というのは「自分の為」のものであり、元々、他人のために夢を描いている人というのは少ないように思うからです。
であれば、視点を転じ、自分を捨て、今度は他人のために何かが出来ないか・・・と。

平たく言うならば、まず、夢破れた時点での選択肢は3つある・・・と思います。
即ち、
1.まだ、燃え尽きていないとして、あくまで「夢」を追いかける。
2.もう、十分にやったとして過去の栄光を思い出として、または遺産として、別の道で生きていく。
3.あくまで何らかの形で夢に関わりながら生きていく。
・・・夢とは、無論、各人各様であり、最終的にどうするかは自分で決めなければならないことなのでしょうが、とかく、多くの人が「1」と「2」の二者択一を迫られているように思えます。
つまり、それと別に、第3の道もある・・・ということをこそ、「夢」を語る上では生徒に教えてあげるべきではなかったかと思うのです。
(第3の道を歩き、あるいは縁在って、また、元の夢追い道に戻る可能性もないとはいえないでしょう。)

つまり、フルスイング第1話での「夢」の話には、単に、「夢を無くしていけない!」で終わらせるべきではなく、むしろ、こう言うべきだったでしょう。
「夢というのは絶対に持つべきであり、目指すべきだ。しかし、すべての人がそれが実現できるとは限らない。夢破れたときに、どうするかこそが大事だ。そこでどうするかによって、そこから先のが随分違ってくる・・・。しかし、それは各人各様でもあり、従って、その結論は自分で出さなければならない。しかし、夢に携わって行きたいと思うのなら・・・、あくまで、夢から大きく外れたくないと思うのなら、そういうときは、夢への視点を『自分』から『他人』へと移してみることも考えてみるべきではないか・・・」と。
                                    平太独白
by heitaroh | 2008-02-29 08:50 | 思想哲学 | Trackback | Comments(4)

今年言い残したことを語る年末 その1 なぜ梨田・高田?
親愛なるアッティクスへ

今年もいよいよ、押し迫ってきましたね。
またひとつ、年を取るのか・・・と、何ら為し得ないまま、いたずらに馬齢を重ねていくことに、忸怩たる想いやまず、馬上少年今いずこ・・・・・って、ま、いっか(笑)。
ということで、今年の荷物を来年に持ち越してはいけないということで、書こうと思っていて、ついつい、書けなかったことを、この際・・・書いてしまおうと思い立ちました。

まず、プロ野球からです。
来年、ヤクルトに高田 繁、日ハムに梨田昌孝という新監督が誕生しますが、私としては、すでに、一旦、現場を卒業したような観がある人たちであり、「なぜ、高田・梨田なの?」という気がしております。
無論、単に年を取っているという点でいえば、ソフトバンクの王 貞治監督や楽天の野村克也監督などは、もっと、高齢なのでしょうが、あの人たちは何だかんだ言っても、ずっと、現役の監督だったわけで、何より、名声手腕という意味で、周りが放っておかない存在意義をしっかりと持っているわけですよ・・・。

その点では、梨田さんにしても、5年間の監督経験で優勝1回という程度の実績であり、楽天の野村監督のように、名監督としての図抜けた実績があったわけでもないわけで、であれば、古巣に復帰(?)するとか、地元・北海道出身・・・などというものがあるのならまだしも、なぜ、日ハム球団の監督なのか?と。
高田さんに至っては、監督としては4年間で勝率5割を突破したのが一度だけ・・・という程度の実績であり、現役時代は、V9巨人スター選手であったとしても、世界の王ほどには名声という点では高くないわけですよ。
(確かに、「高田の背番号も知らないくせに~♪」とさだまさしの歌にうたわれたほどの人ではありましたが、来年63才であり、すでに、球団フロント入りしていた人なわけですから・・・。
(昨年、オリックス球団の常務としてフロント入りしていた、元阪神監督の中村勝広氏が、11年ぶりに監督として現場復帰したということがありましたが、このときは、前年指揮を執っていた当時の仰木 彬監督が病状悪化の為に急遽、退任してしまった・・・という事情があり、この点では、一応、繋ぎとしての「必然性」はあったでしょうか。)

もっとも、「大した戦力もなく連覇してのけた後の日ハムの監督」や、「人気者・古田敦也前監督の後を引き継ぐことになるヤクルトの監督」などというものは、貧乏くじ的な面が強く、なかなか、監督の引き受け手がいなかった・・・という面はあったのかもしれませんが、それにしても「何でこの人たちなんだ」・・・と。
監督なんて、狭き門なわけですから、いくらなり手がないといっても、誰か居たでしょう・・・と。

まあ、御両所については、「恐竜次代の化石」とまではいいませんが、「旧石器時代の遺物」と言われても仕方がないような面があり、であれば、球団は、なぜ、この人なのか、この人のどこを評価して、どういうチーム作りの方向性を睨み、監督就任要請をしたのか・・・ということをもっとファンに説明するべきではないかと思うのですが、如何でしょうか・・・。

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by heitaroh | 2007-12-18 08:04 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(0)

元祖堀内伝説・2
親愛なるアッティクスへ

またまた、先日の続きです。
堀内恒夫氏の著書ですが、この本は、本当に面白かったです。
この堀内氏の本の中から、今でも記憶に残っている部分があるのですが・・・。
それは、先日も申しましたように、堀内恒夫という人はONをバックに擁しながら・・・、203勝も挙げながら・・・、王・長島の次、江夏と並ぶほどの知名度を誇りながら・・・も、当時の一流投手の条件であった20勝(今で言うなら、10勝経験というところでしょうか。)というものを1度しか経験してないんですね。
ただ、その年、昭和47年には、26勝を挙げ、最多勝はもとより、巨人の9連覇中、王と長島以外には誰も獲ったことがなかったMVPにも輝くほどの活躍を見せています。

この年は堀内にとって、どういう年だったか・・・。
それは、実父がガンで、余命幾ばくもない時期だったそうです。
そんなとき、堀内が勝利を挙げて、父が入院している6人部屋に見舞いに行くと、病室で拍手が湧き、そのたびに、父が泣いて喜ぶのだとか・・・。
天才・堀内恒夫が、初めて、本気を出した瞬間だったのでしょう。
ところが、その反動で、翌年は12勝17敗で全く振るわず、チームはリーグ優勝を果たした物の、日本シリーズが始まったときも、堀内は、まったく、主戦力に入れてもらえなかったとか。
その年、昭和48年の日本シリーズ、巨人の相手は、智将・野村克也プレーイング・マネージャー率いる南海ホークス
堀内の父の病状は、一層、悪化し、病院から「帰宅を許され」てしまったとか。
つまり、「もう長くはない」ということですね。
このシリーズ、シーズン中絶不調の堀内は、シリーズ全体でも登板がないことが自分でもわかったそうです。
以下、物語調に・・・。

そんな第二戦、寂しさを紛らわす為、言われたわけでもないのに、独り、ブルペンで投げていた堀内に、突然、登板命令が下る・・・。
先発投手が突然、崩れたのである。
慌てて、マウンドに上がった堀内が見た物は、7回裏、南海の攻撃で、1対0、巨人リードながら、無死満塁の光景・・・。
ここで、堀内の頭には、「長くはない」父の枕元に、日本シリーズMVPの賞品を持って帰ってやることがひらめく・・・。
「勝ちたい・・・。」
堀内の天才性に火がついた瞬間だった。

堀内は、この場面、犠牲フライで1点を失ったものの、次打者をあっさりと併殺に討ち取り、この場面を凌ぎきるや、延長戦で堀内自身が決勝タイムリーを放ち、巨人はこのシリーズ初勝利を挙げる。
そして、続く第三戦、堀内は先発し、完投勝利、そして、自ら2本ホームランを放ち、見事、シリーズMVPに輝いた・・・。

おっと、時間です(笑)。
また、いずれ・・・ね。
                                平太独白
by heitaroh | 2007-04-23 08:48 | スポーツ | Trackback(2) | Comments(4)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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