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祝!福岡ソフトバンクホークス日本一!
祝!福岡ソフトバンクホークス日本一!になりましたねえ。

私はクライマックスシリーズなる、原理原則から大きく逸脱した蛮習が出来て以来、すっかりプロ野球に対する興味を失っていたのですが、それでもやはりいざ日本一ってのは福岡人としては祝わなければならないわけで・・・。
おかげさまで本日、日本一の美酒からようやくの復(笑)。
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この日、たまたまの友人との飲み会だったのですが、おそらく今日優勝するのではないかという勘がピピピッとはたらき、「これは中洲に繰り出すことになるかもしれん」と一人、よそ行きの格好(笑)。
で、結果はその通りの展開に。
で、中洲に繰り出した・・・辺りまでの記憶はあるのですが・・・。

気がつけばベッドの上で二日酔い・・・でした(笑)。
ふらふらしながら、優勝セールの薬局に行ったら、肝心の福岡人愛用のインスタントラーメン「うまかっちゃん」だけが売り切れ。
そりゃないぜセニョリータ・・・って感じで夕暮れに沈む福岡ドームを横目に帰途に・・・。

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でも、ふと、亡父の独身時代、博多は西鉄ライオンズ全盛。
「勝てば勝ったで祝い酒、負けたら負けたで自棄酒」で毎晩出撃していたと言っていたのを思い出し、少しウルっときてしまいました。
年はとりたくないものですねえ。
でも・・・、日本一っていい。
                      平太独白


by heitaroh | 2014-11-01 15:07 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(2)

「エル・スール 我が心の博多」再見、そして西鉄ライオンズ!
親愛なるアッティクスへ

昨日は福岡に帰ってきて初めて、夜の風に吹かれてきました。
やっぱ、中洲は良かですねぇ・・・。

e0027240_19315588.jpgで、何しに行ったかと言いますと、こちら(←)です。

以前も、平太郎独白録 : 「エル・スール 我が心の博多そして西鉄ライオンズ」に号泣寸前で申し上げたことですが、私が大いに感涙にむせび、辛うじて嗚咽を漏らすのをこらえた、「エル・スール 我が心の博多そして西鉄ライオンズ」という舞台がまた、博多で再演されるという話を聞き、何としても、もう一度、行かねばならぬ・・・との思いから、同じく下町育ちの記憶を持つ先輩様にお付き合い戴き、行ってきた次第でした。

で、この舞台の舞台となったのが今の博多駅前地区・・・・でして、ここで生まれ育った私にとってはまさに、私の誕生前夜の博多がそこにありました。
(普通、昭和三十年代の博多が舞台になるときには、主に「山笠」などで知られる旧博多地区が舞台になるので、この現博多駅前地区が舞台になったのには本当に意外でしたが、やはり、プロデューサーの岡田潔という人が私の小学校の先輩でした。)
まあ、今回はさすがに嗚咽をかみ殺さなければならないような事態には至らなかったことだけはご報告申しあげておきます(笑)。

ただ、これも以前、続・「我が心の博多そして西鉄ライオンズ」と「恋文」比較で申し上げたことなのですが、「ALWAYS三丁目の夕日」などと違い、決して倫理的には褒められたものではない登場人物たちや、現代ではハラハラするような露骨な表現なども出てくるため、女性や、当時の時代背景、地域事情などを知らない人を誘うのはちと難しいかな・・・という気がしたのも事実でして、今回、この先輩に断られたらどうしよう・・・と思っていたのも事実でした。

ま、そんなこんなで会場となったアクロス福岡に行ってきたのですが、ただ、前回と違い、今回は二部構成で、第一部としてかつての西鉄ライオンズの名選手によるトークがあり、私の父をして、「今日も西鉄、明日も西鉄、勝てば勝ったで祝い酒、負けたら負けたでヤケ酒」と言わしめた伝説の名選手たちが舞台の上に出てこられたのですが・・・、まあ、皆さん、しっかりお年を召されたのは仕方ないのですが・・・、ただ、闘将としてならした豊田泰光翁の著しく衰えた姿にはとても驚きました。
私はかねて、この方の著書などには大いに啓発されるところが多く、機会があれば是非、一度お目にかかりたいと思っていただけに、初めて見た生豊田の姿に言葉を失いました。
また、是非、元気な姿を見せていただきたいと願ってやみません。 
                                        平太独白
by heitaroh | 2011-08-04 20:16 | 文学芸術 | Trackback | Comments(6)

宇都宮城で思う逆境で太った三原脩なう
親愛なるアッティクスへ

e0027240_19334517.jpg今、晩飯食いに行くついでに、ぶらりと宇都宮城址に来ています。
城はある程度、復元されているそうですが、下にはコンクリートで固められたゲートがあり、上にはコンクリートで作られたがあり、さらに、その先はこう(←)なっています。
味も素っ気もないですね(笑)。
で、もう少し先に行こうとしたら、ガードマンに止められました。

ちなみに、宇都宮に来て以来、毎日、ラーメン餃子ばかり食べています。
太ったと言われました。
かつて、讀賣巨人軍を石をもて逐われた三原脩翁は西鉄ライオンズ監督として福岡に下った折、「逆境にあって太った」と言われたとか。

・・・関係ないですね(笑)。
                         平太独白
by heitaroh | 2011-04-21 19:33 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

寂しい奴・・・
親愛なるアッティクスへ

e0027240_557446.jpg「旅館の寒灯 独り眠らず
 客心 何事ぞ 転た凄然
 故郷 今夜 千里を思う
 霜鬢 明朝 又一年」


唐代の詩人、高適「除夜の作」という七言絶句だったと記憶しておりますが、概意は、
「 旅館の寒々しい灯の下、独り眠れない。
 異郷に在って心はなぜかいよいよ物悲し。
 今夜は千里の彼方の故郷を思う。
 既に白髪を蓄えた身でありながら、明朝にはまた一つ年を取ってしまうとは」

といった、大晦日の夜に故郷から遠く離れた任地で独り年を越す寂しさを詠んだ詩です。
(昔は「数え年」ですから、正月で年をとるんですね。)

で、今夜、私はなぜか、この年末の押し迫った時期に独りで京都駅近くのビジネスホテルにいます。
明日が早朝から参加しなければならない予定があり、他の人達と違って、一人だけ遠方から来てる私のみは、今日のうちから独りで先に入ってないといけないんですよ。
「移動に時間がかかるので、他よりも二割増の戦力を持たなければ」と言ったのは、福岡のかつての球団・西鉄ライオンズを率いた三原 脩翁でしたが、まったくです。
(愛知県辺りからの人たちは、その日の朝で良いのでしょうが。)

ヒマだから、独り手酌でやって寝るとします・・・と言おうと思ったのですが、そうは言っても、飯は食わなければならず、ついつい、先斗町でがっつり飲んでしまいました(笑)。
おかげで、しっかり、二日酔いです・・・。
嗚呼、どうしませう。
                                        平太独白

by heitaroh | 2010-12-18 05:57 | その他 | Trackback | Comments(0)

西鉄ライオンズOB会2010忘年会行ってきましたの件
親愛なるアッティクスへ

e0027240_14115512.jpg昨晩も、ちらっと、現地からUPしましたが、昨日はここ(←)に行ってました。
読んで字の如し・・・で、「第4回 西鉄ライオンズOB忘年会」・・・ですね。

と言っても、無論、私が西鉄ライオンズのOBなどであるはずもなく、ていうか、西鉄ライオンズが身売りして、太平洋クラブライオンズになったのは私が小学校高学年の時ですからね・・・(笑)。
で、なぜ、私が参加したかというと、たまたま、ネットでこの催しの存在を知り、「一般も15名まで参加可」と書いてあったので、「申し込んで良いのかなー」と思いつつ、申し込んで、「行って良いのかなー」と思いつつ、行ってきた次第でした。

e0027240_14311592.jpg私は自分でも結構、不思議なのですが、性格的にはこういうものには到底、参加しそうにないのに、どういうわけか、こういうものには気軽に(軽率に?)ポンと参加したりします。

でも、さすがに、西鉄ライオンズOB会というのは、参加申し込みはしたものの、さすがに、「良いのかなー」という気は最後まで抜けませんでした。
だって、先述しましたとおり、西鉄ライオンズが無くなった昭和47年(1972年)には私は小学校5年ですよ。

e0027240_1456522.jpg(ある日突然、級友たちが、「太平洋クラブライオンズ・ファンクラブに入った」と言って、一斉に帽子を被って登校してきました。)

さらに、西鉄が最後に優勝した昭和38年(1963年)は私はまだ、2歳・・・。
となれば、西鉄が日本シリーズ巨人3連敗から4連勝して、奇跡の逆転優勝を飾った昭和33年(1958年)は、まだ、生まれてもないわけで・・・。
(←挨拶しているのが黄金時代の名一塁手でOB会会長河野昭修氏。)

e0027240_15152876.jpgつまり、私がここに顔を出すのは関係者でもない以上、何とも、場違いなんですよ。

(←福岡にも落語家っていたんですね。不覚にも初めて知りました。)

この点、西鉄に入れ込んでいたのは私ではなく、私の父でして、父も、当時はまだ独身時代ですから、連日連夜、平和台球場に日参し、「勝てば勝ったで祝い酒、負けたら負けたでやけ酒」で・・・。
まさしく、日本そのものが青春時代だったのでしょう。

e0027240_1534161.jpg(←こちらの方は、西鉄ライオンズ設立を仕切った方だそうで、西鉄ライオンズの球団歌を当時の人気作詞家・サトウハチロー氏が書いてくれたので、御礼として30万円包んで持っていったという話をされてました。当時の30万円ですから、今の400万円くらいになるのでしょうか?また、あの、白洲次郎と一緒にゴルフをしたことがあるそうで、白洲翁は、この方が小柄なのにゴルフが上手いのを皮肉って、「君は、我々よりも目がボールに近いからね」と言われたとか(笑)。)

他にも、実に興味深い話を多々、耳にすることが出来た夜でした。
ちなみに、私、前夜が不完全燃焼でしたので、この夜は、見事に完全燃焼するまで飲みました・・・。
おかげで、また、風呂で死にかけましたが、ここで悟りました。
「風呂で死にかけてこそ、イケダよ」・・・と(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-12-10 08:09 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

今宵はここに来ています。
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1262283.jpg私がいて良いのでしょうか・・・?

                                         平太独白
by heitaroh | 2010-12-09 18:39 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

福岡ソフトバンクホークス低迷は遠い昔にいつか来た道
親愛なるアッティクスへ

実は私、今、何とも頭が痛い問題を抱えておりまして、それで、本来は、昨今の政局のことなど、色々、書くことはあるのですが、どうにも、筆が進まず・・・。
(あんなに、ミニ新党ばかり作ってどうするんだと。ていうか与謝野さんは、小選挙区で落ちて比例代表復活当選した人でしょ。だったら、有権者は自民党という党を選んだわけだから、比例代表で通った人は党籍を失うときは議席も失うべきじゃないんですか?)
で、昨一昨日と、誰も興味を持たないようなことを書いて筆を濁している次第で、本日も、お茶を濁します(笑)。

今年の、我が、福岡ソフトバンクホークスですが、実は私、今、ひとつの異変を感じております。
昨年のホークスの福岡ドームでの観客動員数ですが、1試合平均31,194人となっており、これはパ・リーグではトップ・・・、プロ野球全体でも、阪神(41,765人)、巨人(40,755人)、中日(31,922人)に次ぎ第4位だったとか。
元々、福岡ドームは収容人員が、36,253人しかないことを考えれば、これは結構、良い数字で、事実、埋席率を算出してみると86.0%を計上しており、これは阪神の87.3%、巨人87%(推定)、中日83.0%と比べても、その健闘振りが見て取れるでしょう。

e0027240_1526286.jpgそれが、今年は私が見る限りでは、殆どの試合が3万人切ってるんですよ。
私が今年行った唯一の試合、ドーム開幕戦でも、さすがに3万人割れということはなかったようですが、結構、空席が目立っており、開幕戦でこの状態というのは、今まではちと考えられませんでしたよ。

まあ、昨日は、キャパが小さい、北九州市民球場で、それも雨の中での試合でしたから、少ないのはやむを得ないのでしょうが、調べてみたら、やはり、ここまで14 試合を終わって1試合平均25,150 人、埋席率は69.3%という、少し、恐いような数字が出ました。
で、なぜ、こうなったかを考えてみたのですが、不景気の影響・・・というのは、確かにあるのでしょうが、それは、ここ数年言われていたことですから、今年のからの突然の低迷の説明にはならないでしょう。
となれば、思いつくのは冴えない試合内容・・・で、考えてみれば、ホークスは2003年日本一になって以来、昨年まで丸6年、優勝していないんですよね。

e0027240_1401916.jpgこの6年という数字は、短いようで、とんでもなく長い数字ですよ。
おそらく、今の中学生以下の少年ファンの殆どは、ホークスの優勝を知らないんじゃないですか。

(←球場使用料何億円値上げされたのに、この減収・・・。本当の意味で、ホークスの選手は「今年はやらんといかんばい」・・・ですよ。)

これって、「成績低迷」→「入場料収入減少」→「球団経営悪化」→「選手年俸低迷」→「成績低迷」→「・・・という、あれ~♪これは~遠い昔に~いつか来た道~♪そう、あれは~♪西鉄ライオンズが~消滅した時の~負のスパイラル~♪・・・って、考えすぎですよね?

                                         平太独白
by heitaroh | 2010-04-22 18:01 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

昔、男在りけり・・・、桜吹雪の天才打者・大下弘 その2
親愛なるアッティクスへ

今更ながらに、昔、男在りけり・・・、桜吹雪の天才打者・大下弘 その1の続きです。

前回の末尾で述べた、「桜吹雪のホームラン~証言・天才打者 大下 弘~」という番組での無類の浪費家で人情に厚く感激家でナルシスト、そして大の遊び好きという大下評ですが、これなどは思わず、今の清原和博氏にも通じるところがあるようにも思えるんですよ。
ただ、こういうエピソードを残すのは実はそれほど難しいことではないんですよね。
それが出来る環境にいるだけの話で・・・。
実際、「闘将」と呼ばれた江藤慎一さんなどのように、他にもそういうエピソードを残した選手がいなかったわけでもありませんし、その意味では、清原氏には大下 弘という人の轍は踏んでもらいたくないというのが率直なところです。
大下氏も引退した直後は「あの、大下だ」ということで、下にも置かれない対応だったのでしょうが、ライバル・川上哲治氏とは対照的に、その天衣無縫な性格は監督としては不適格だったようで、時間と共に大下を知らない世代が増えてくると、球界に居場所は無く・・・。

で、この大下さんですが、アスリートには珍しく、健筆家で、毛筆俳句を詠み、確か、球道徒然草という句集をも出したようにも記憶しています。
また、女性からのモテ方も半端じゃなく、ある同僚選手が遠征先で遊郭に泊まったところ、部屋には筆で書いた見覚えのある色紙が・・・。
で、翌日、チームと合流して、仲間にその話をしたら、「俺もOOで見た」、「OOにも飾ってあった」などという話が次々に出てきたとか(笑)。
(普通、有名人が、そんなもん、こんな所で残すか・・・と(笑)。)

一方、西鉄ライオンズ時代の後輩、豊田泰光翁に言わせると、「戦争の臭いを引きずっている人だった」と言いますから、その意味では、「行き急いだ大正世代」の典型だったでしょうか。
(この辺は、私が子供の頃には、まだ、多少、世の中にそんな臭いがありましたから。)
従って、金の使い方も半端ではなく、西鉄に引き抜いた当時の三原 脩監督もこれには閉口したそうですが、これも遊びに使う金よりも、実際の所は麻薬中毒となっていた実母の薬代というのが主な出費元だったそうです。
(当時は、ヒロポンなどというのが普通に薬局に売っていたと言いますから・・・。)

それだけに少年ファンはとても可愛がったそうですね。
福岡の大下邸には、いつも近所の子供が誰彼構わず来宅しており、子供が入って気安いようにいつも玄関のドアは開けてあったといいます。
こんなの今の野球選手で誰か考えられますか?
王 貞治前福岡ソフトバンク監督も、「子供の頃、巨人の選手にサインをねだったら、誰もサインしてくれず、そのとき、唯一、サインしてくれたのが与那嶺 要氏だけだった。その記憶があるから、自分も少年ファンには丁寧にサインした」という話をされてましたが、それでもサイン止まりですからね。
まあ、時代が違うと言ってしまえばそれまででしょうが、私的には、今の野球選手も、客商売なんですから、もう少し、ファンに向けた伝説を作ることを心がけるべきではないかと思うんですけど・・・。
                                              平太独白
by heitaroh | 2010-02-25 18:15 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

豊田泰光のチェンジアップ人生論に思う道具のALWAYS
親愛なるアッティクスへ

先日からの「ALWAYS」シリーズの続きですが、私的には、大体、昭和45年(1970年)頃、大阪万博の辺りから世の中がカラーになってきたように記憶してますね。
当時、小学校3年に上がってすぐに、初めて、母から、Tシャツなるものを着せられて、そのあまりの肌触りの良さに驚嘆したのを覚えておりますが、要はそういう物が割合、安価にて、庶民の手にも入る時代がやってきたということだったのでしょう。

e0027240_2046651.jpg

それを裏付けるかのように、確か、昭和43年頃のことだと思いますが巨人の星という野球マンガの中で、主人公が父の現役時代のスパイクを履いて巨人の入団テストを受けに行ったとき、ライバルから、「この物資豊富な時代に、あんなボロボロのスパイクを履いているとは・・・」と嘲笑されるというシーンがありました。
でも、私には昭和44年(1969年)まで近所に住んでいた私の友人が、毎日、ボロボロのグローブを大事に大事に磨いていたことを思い出しますね。
おそらく、親からやっとの思いで買ってもらったグローブだったんでしょう。

でも、そういう我が家も、誰かがどこからか拾ってきたような、汚いグローブでしたよ。
もっとも、我が家は家にグローブがあっただけマシな方だったんでしょう。
(それに比べて、私の愛用のグローブは今からちょうど30年前に入手した物なのですが、長年使い込んでいるから使いやすいのに、子供たちに「これを使え」と言っても、「汚い」とか「ボロっちい」などと言って誰も、使いたがらないんです。)
でも、当時はそんなもんで、グローブといえば、以前も申し上げました話ですが、昭和48年のプロ野球では、巨人の捕手だって、ひとつのプロテクターを使い回しにしていたわけですし・・・。
今から考えれば、巨人の選手でもプロテクターを使い回しにしていた時代なのに、一方では、「物資豊富な時代」と言う・・・。
いかに、その前の時代が物がなかったかということなのでしょう。

この点で、以前もご紹介した元西鉄ライオンズの強打者で、球界のご意見番である豊田泰光氏がそのもっと前の時代である、氏の現役当時はプロといえども、満足な道具をふんだんに与えられるような環境にはなかったようで、それについてその著書の中で以下のように述べておられました。

『いまでは副業禁止などといってうるさいのだろうが、私は道具を得るため、オフに勝手に二軍選手を集めた「日本代表」を編成し、国際試合をしたこともあった。福岡市板付(現在の空港付近)に駐留している米軍の相手をするのだ。対戦の報酬はステーキのごちそうと、こっちが勝ったら基地内の用具室を開放してくれること。部屋にはソフトボールの道具が多かったが、たまにいいバットを調達できた。新しいグラブの感触を楽しむだけでもよかった。
 今、用具事情は一変した。メジャーでも日本製バットが目につくし、グラブの性能も米国をしのいだ。
 だが、それを使う側の力量はどうか。道具の進化で自分の技量を錯覚しないことだ。』

古き良き時代・・・でしょうが、それにしても、プロ野球選手が、勝手に国際試合とは・・・。
豊田さんというじーさんは長生きしそうですねぇ(笑)。
                                平太独白                        
by heitaroh | 2008-11-29 20:34 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

福岡三越の「よみがえる西鉄ライオンズ」展に行ってきました
親愛なるアッティクスへ

e0027240_14444848.jpg今、福岡三越でやっている「よみがえる西鉄ライオンズ」展(←)に行ってきました。
ちょうど、所用で天神まで行く用事がありましたので、ついでに、ちらっと覗いて来よう・・・という程度のつもりだったのですが、なかなかにどうして、結構、見応えがありましたよ。

e0027240_1453194.jpg昔懐かし、白黒テレビでは昭和33年西鉄ライオンズ巨人日本シリーズダイジェストを放送しており、この前には結構な人だかりができてました。
まるで、街頭テレビ状態(笑)。
さすがにお年寄りが多かったですけどね。

e0027240_1572944.jpg広さも結構、あって、じっくり見てたら、いつのまにか、2時間近く経ってたのにはびっくりでした。

思わず、このまま、西鉄ライオンズ記念館か何か作って、永久展示してくれればいいのに・・・と思いましたね。
e0027240_14571163.jpg←当時のチケットです。
これではわからないと思いますが、今の野球のチケットと比べると、ひとまわり、いや、だいぶ大きいですね。
まあ、昔は、お札も大きかったですから、財布も大きく、それに合わせたということだったのかもしれません。

e0027240_151309.jpgちなみに、当時も、しっかり、プラチナチケットだったようで、写真には平和台球場の前でチケットを買い求めるもの凄い行列が写ってましたね。

←でもって、背番号24といえば、言うまでもなく、神様仏様稲尾様稲尾和久投手のものです。
下に見える円盤形の物は、盾でしょうか、昭和33年の「日本選手権シリーズ最優秀選手賞」の記念品だそうです。
また、手前のは、同じく、「日本選手権シリーズ優勝記念像」と現役時代のスパイクだそうです。

他にもマニア垂涎の品が多々・・・(笑)。

展示品は、西鉄ライオンズに関する物だけではなく、当時の福岡市内の様子、親会社である西鉄の当時のCMなども流されており、いやいや、とにかく、満喫してきました(笑)。
本当に、西鉄ライオンズ記念館作ってくれないかな・・・。

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by heitaroh | 2008-09-06 17:26 | スポーツ | Trackback | Comments(5)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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