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何も決まらないのは選択を誤るより弊害が大きい
親愛なるアッティクスへ

かつて、小泉純一郎総理は、政権担当中の最優先課題を自ら「郵政民営化」を掲げましたが、私はこれはこれで有りだったかなと思っています。
それは政策の是非ではなく、総理大臣にならん欲するほどの政治家は、政権をとってから国民の要望を聞いて政策を考えるのではなく、総理になる前から国家百年の計に鑑み、何がしかの持論の一つくらいはあってしかるべしだと思うからです。
ただ、一方で、あの時は「郵政民営化外国陰謀説」まで含め、色々な人が色々な立場で色々なことを言うのに少々、閉口気味でした。

この点で、私としては思い当たることがあります。
幕末薩摩藩維新主役となったのと対照的に、隣の肥後熊本藩は大幅に出遅れましたが、その要因として、「薩摩人は一旦、上に信頼する人(西鄕隆盛)を担げばその人に一切を預ける」のに対して「肥後人は一人一党主義で、それぞれがそれぞれに主張し、最後までまとまらなかった」ことが大きいと言われています。

無論、私も薩摩方式がベストだとは言いません。
もし、一旦、上に立つ人間がおかしくなれば、ネズミの集団自殺のようなことに成りかねないからです。
しかし、肥後方式最悪の選択肢だということは言い切れると思います。
肥後熊本藩士たちは、維新後、西南戦争においても、同様の軌跡を繰り返します。
それぞれに、それぞれの主張をしたことで、熊本県士族を挙げての行動には至らず、さらに、西鄕軍に加わった者たちも、それぞれにそれぞれの主張と思惑の元、少人数単位で参戦しており、これでは勝っても評価は小さく、負ければ抵抗のしようもないという・・・。
(その意味で、一番、ベターなのは長州方式でしょうか。それまで、散々、議論はしながらも、一旦、決定したことには異を唱えないという。)

「何も決まらないのは、下策を採るより弊害が大きい。」 というのはナポレオン戦役当時プロシアの参謀・クラウゼウィッツの言葉ではなかったかと記憶しておりますが、戦争中、プロシアはフランス軍と反仏連合軍の戦闘においてキャスティングボードを握る立場となったそうで、にもかかわらず、ナポレオンに付くか連合国に付くかで、散々、紛糾した挙げ句に、連合国側として出兵したときには、既に連合国軍敗走しており、結果、ナポレオンからは出兵したことを咎められ、連合国側からは「あいつが間に合わなかったばかりに負けた!」として軽蔑の対象となったと言います。
「決まらないのは、間違った選択をするより弊害が大きい」・・・。
改革も大英帝国衰退のプロセスを見るまでもなく、皆がそれぞれの主張をすれば、結局、何も決まらずに終わる・・・、如何でしょうか?
                                 平太独白
by heitaroh | 2012-09-11 07:00 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

坂の上の雲に改めて思った大山巌元帥の魅力 後編
親愛なるアッティクスへ

先日の続きです。

NHKドラマ「坂の上の雲」では、騎兵の偵察報告を軽んじ、結果、ロシア軍の大攻勢の前に慌てふためく参謀本部の中に乃木希典第三軍司令官が入ってきたことで、児玉源太郎総参謀長が落ち着きを取り戻し、これを守りきった・・・という設定になっていましたよね。
どうしてこういう設定になったのかわかりませんが、私の理解では、慌てふためく参謀本部の中に大山 巌総司令官がぬーっと入ってきて、「児玉さあ、今日は朝から大砲の音がうるさいみたいでごわすが、いくさでごわすか?」と聞いた・・・というふうに覚えておりました。

e0027240_12473151.jpg「いくさでごわすか?」も何も、全滅するかもしれないような大攻勢を受けている時に、「知らんかったんかい!」と全員が思わず突っ込みを入れたくなるような問いに、参謀本部の面々は一瞬、すべて動きが止まった・・・と(笑)。
一瞬の静けさの後、どこからともなく笑い声が起き、参謀本部は落ち着きを取り戻した・・・と。
(←大山の遺品が眠る陸上自衛隊宇都宮駐屯地。公開されてます。)
こうなると神算鬼謀の児玉総参謀長、たちまちのうちに的確な手を打ち、撃退に成功・・・と。

特に、特筆すべきは苦戦に陥っている部隊に参謀を派遣したことだそうで、苦戦中の部隊は、援軍が無いと、自分たちは見捨てられたと思い、一気に全滅が早まるらしく、そこへ謀肩章をつけた参謀が駆けつけることで、崩れかけようとしていた部隊が踏みとどまることができた・・と。

大山 巌という人は、弥助と呼ばれた若き薩摩藩士時代は決して茫洋の人などではなく、過激派として文久2年(1862年)の寺田屋事件に連座し謹慎処分、鳥羽伏見の戦いでは負傷しながらも奮戦し、その他、薩英戦争以降、すべての日本の戦争に従軍したほどの猛者であり、その一方で、早くから砲術を学び、大山の設計した砲は「弥助砲」と称されるなど、ただの乱暴者とは違う一面をも持っていたようですが、維新後の明治2年(1869年)、渡欧留学した際には、すべて日本語、それも薩摩弁で通したらしく、宿のマダムがとても困惑した・・・という逸話も残しています。

従って、無論、大山総司令官も本当に現状がわかっていなかったわけではなく、本当は別室で独り、焦慮の極みにあったと思われ、ジリジリしていたのだろうと思いますが、この点は思わず、従兄の西郷隆盛西南戦争での敗走中に、夜間に断崖を登り疲労困憊している自軍兵士に向かい、「夜這いのごたる」とつぶやいたことで、思わず皆、吹き出して、この苦境を乗り切ることができた・・・という話を思い出しました。
薩摩隼人の面目躍如というところでしょうね。

大山 巌という人は「勝ち戦の間は児玉さんにすべて任せるが、負け戦となったら自分が指揮をとる」と言っていたそうで、この辺を表して、日清戦争の頃だったか、従軍中の兵士らの雑談の中で、人物の器の大きさを比べる話になったところ、誰かが、「人間の大きさという点では大山 巌を凌ぐ者はおるまい」と言ったところ、別の誰かが失笑し、「いやいや、その従兄弟の西郷従道という人んび比べれば月と星ほどに違う」と言った・・・と。
ところが、その中に、従道の兄の西郷隆盛を知っていた人がいたらしく、「その従道も兄の隆盛に比べると、器の大きさは月と太陽ほどに違った」と言われ、一同、思わずその大きさに天を仰いだ・・・と。
                                         平太独白

by heitaroh | 2011-12-29 07:16 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

決まらないのは間違った策を選択するより弊害が大きい
親愛なるアッティクスへ

ご承知の通り、幕末、薩摩藩維新主役となりましたが、それとは対照的に、隣の肥後熊本藩は大幅に出遅れました。
その要因として、「薩摩人は一旦、上に信頼する人(西郷隆盛)を担げばその人に一切を預ける」のに対して、「肥後人は一人一党主義で、それぞれがそれぞれに主張し、最後までまとまらなかった」ことが大きいと言われています。
(ちなみに、誰か有望な人が出たら、薩摩人は「皆でその人を応援し、自分たちも引っ張り上げてもらおうと考える」のに対し、熊本人は、「皆でその人の足を引っ張って、引きずり降ろそうとする」・・・とも聞いたことがあります(笑)。)

ただ、無論、私も薩摩方式がベストだとは言いません。
もし、一旦、上に立つ人間がおかしくなれば、ネズミの集団自殺のようなことに成りかねないからです。
西南戦争もある意味、同種の物だと言えるように思えます。)
しかし、一方で、肥後方式最悪の選択肢だということは言い切れると思います。
肥後熊本藩士たちは、維新後、西南戦争においても、同様の軌跡を繰り返します。
それぞれに、それぞれの主張をしたことで、熊本県士族を挙げての行動には至らず、さらに、西郷軍に加わった者たちも、それぞれにそれぞれの主張と思惑の元、少人数単位で参戦しており、これでは勝っても評価は小さく、負ければ抵抗のしようもないという・・・。
(その意味では、一番、ベターなのは長州方式でしょうか。それまで、散々、議論はしながらも、一旦、決定したことには異を唱えないという。)

「何も決まらないのは、下策を採るより弊害が大きい」
これはナポレオン戦役当時プロシアの参謀・クラウゼウィッツの言葉ではなかったかと記憶しております。
戦争中、プロシアは戦場となったことで、眼下で戦うフランス連合国に対して、キャスティングボードを握る立場となったそうですが、にもかかわらず、ナポレオンに付くか連合国に付くかで、散々、紛糾した挙げ句に、連合国側として出兵したときには、既に連合国軍は敗走しており、結果、ナポレオンからは出兵したことを咎められ、連合国側からは「あいつが間に合わなかったばかりに負けた!」として軽蔑の対象となったと・・・。

「決まらないのは間違った策を選択するより弊害が大きい」・・・。
改革も、大英帝国衰退のプロセスを見るまでもなく、皆がそれぞれの主張をすれば、結局、何も決まらずに終わる・・・と。
他所の国の話であることを祈るばかりです。
                                    平太独白
by heitaroh | 2011-06-13 19:05 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

宇都宮で拙著発見、結構、新鮮に驚いてます。
親愛なるアッティクスへ

e0027240_13424294.jpg宇都宮にもありました。
(←拙著です。)

市内都心部にある大きな本屋さんのうち、4軒中3軒で発見!
4打数3安打とは私ごときの著書としては、上々出来の成績で、我ながら・・・、正直に言って・・・、まったくもって・・・、結構、新鮮に驚いてます(笑)。

ところで・・・、かつて、大久保利通は「西郷隆盛は片方の頬を少し緩ませるだけで万人を魅力出来るが、私にはそういう力はない」という内容のことを言ったというように記憶しておりますが、実は私の友人にもそういうやつが一人おりまして…。

別に何をするというわけでも無いのに卒業する頃にはクラス中の人望を集めてましたし、卒業して後もわざわざ、こいつを指名で仕事が来るほどで、こいつの人気で会社はもってるとまで言われていたそうです。
で、かつて、一緒に机を並べた仲なのですが、今、色々あって、そいつと一緒に仕事しており・・・。
私から見ると気が利いたことの一つも言わないし、ろくに愛想も無いのにやはり、しっかり、人の心を掴んでいるようで、徐々にこいつの周囲に人が増えていくのを実感しています。
で、私にはどう頑張ってみても、こいつのような人に好かれる要素は製造の段階で配合されていないようで、(かつては何とか、こいつみたいになれないものかと努力してみたことはあるものの、人に嫌われることはあっても好かれることは皆無なわけで…)となれば、もう、出来もしないことはすっぱりと諦めて、大久保利通同様に、私には私にしか出来ないやり方で斬り込もうと思っております。
                                 平太独白
by heitaroh | 2011-04-16 17:42 | その他 | Trackback | Comments(0)

夏の盛りのなぜか会津人ゴメンの薩長土肥の旅 その11
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で、昨日の続きです。

e0027240_16455583.jpg本当はもう少し、この辺の江藤新平西郷隆盛の会談場所のことについても触れたいのですが、とにかく、今、まったく余裕がなく、すっ飛ばして先に進みたいと思います。
指宿駅へ向かうとき、タクシーの運転手さんに「やはり、西郷隆盛はこちらでは崇め立てられる存在なんでしょ?」と聞くと、「そうですねぇ、悪く言う人はいませんね」とのこと。
で、「やはり、まだ、そうなんですねぇ。でも、今年の大河ドラマでは少し悪く描かれているみたいですが、そういうのは、こちらの人としてはやはり、少し面白くないんじゃないですか?」と話を向けたところ、運転手氏、おもむろに「あっはははははー」と噴き出しました。

釣られて私も笑いましたが、「一笑に付す」とはまさしく、このことを言うんでしょう(笑)。

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「言いたい奴には言わせとけばよか。おいたちの西郷どんな、おいたちが知っとうだけでよか」・・・って感じだったのかも。

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まあ、誰も見たことがないのにイメージ先行・・・という点では、ある意味、池田湖イッシーと同じような気もしますが・・・。   

時間切れです。
また明日。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-09-01 18:08 | 地域 | Trackback | Comments(0)

夏の盛りのなぜか会津人ゴメンの薩長土肥の旅 その10
親愛なるアッティクスへ

最近、色々あって、本当に気持ちに余裕がありません。
しばし、お目こぼしのほどを・・・。

で、先週の続きです。

e0027240_19204961.jpg(←鹿児島でこの立ち姿を見れば、どうしても桜島・・・と思いがちですが、こちらは長崎鼻から見た開聞岳です。別名、薩摩富士とも言います。)
指宿ではこれらを始め、定番の池田湖などにも行き、最大では人の背丈ほどにもなるという大ウナギも見てきました。

e0027240_19353836.jpgでも、まあ、平日だったということもあるのでしょうが、長崎鼻辺りの観光客目当ての出店も何だか寂れた感がありましたねぇ。
(←そのうちの一軒で、これを見つけました。今時、ペナントが売っている店を見つけたのはある意味、池田湖に生息するという謎の生き物「イッシー」のような、遠い昔に絶滅したと思われていた生き物を見つけたような感覚でした(笑)。私も昔はたくさん持ってたんですけどねぇ・・・。ある意味、これが置いてある店がまだ存在しているということがさすが鹿児島・・・って感じで凄い気がしますよ(笑)。)

で、その後は、またしても導かれるままにマニアックな場所へ・・・。
ここは、征韓論に敗れ薩摩に隠棲中だった西郷隆盛佐賀の乱で敗れた江藤新平が訪ね、決起を促した・・・という場所で、ここにもしっかり、西郷さんの像(↓)が・・・。

e0027240_19572360.jpg

(しっかり、南方系の顔ですよね。)
で、見れば、目玉の黒目の部分にはしっかりとガラス玉がはめ込まれているではないですか!
「何と凝った造形か・・・!」と思っていたら子供のイタズラだそうです(笑)。

で、この日は折悪しく台風の影響で、当初の天気予報では旅行中すべて「雨」の予定だったのですが、私の日頃の善行が報われたからか、この日は雨に濡れることもなく、時には日が差してさえ来たほどで、それが、我々が鹿児島中央駅行きの電車に乗った途端、みるみるうちに大粒の雨が・・・。
それも、さすが南国、驟雨という言葉で形容しきれないような大降りの雨で、思わず私もリュックにカバーをしたのですが、そこでふと、気づきました。
「あ、ホテルは駅の中じゃないか」・・・と(笑)。
どこまでも悪運の強い奴よ・・・という声無き声には敢えて耳を塞いで、明日に続く・・・と思いますが、無理っぽいかな・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-08-31 20:44 | 地域 | Trackback | Comments(2)

大河ドラマ「龍馬伝」に見る国境ボーダレス化と西郷役の難
親愛なるアッティクスへ

NHK大河ドラマ「龍馬伝」ですが「台湾で放送されることになった」という報道を耳にしました。
現地では、中国語字幕入りでの放送だそうですが、主演の福山雅治さんは台湾でも日本同様、高い人気を誇っており、それで放送されることになったのだとか。
さらに、福山さんの人気と知名度は台湾以外のアジア各国でも知られており、韓国タイなどでも放送が希望されている・・・とのことでしたが、この点は、今、日本人も「冬のソナタ」などの韓国のテレビドラマを普通に見、韓国人のアイドルが普通に売れていることを思えば、庶民感覚の上では国境のボーダレス化が進んでいるということであり、相互理解のためにも大いに歓迎すべきものだとは思います。
ただ、いくら福山さんが人気あるからって、親日国の台湾やタイはともかく、あの韓国で、それも、植民地支配の原風景ともいえる日本の幕末期の放送が希望されるなんてのはとうとう、そこまで来たか・・・という観があると同時に「大丈夫か?」という気がしないでもありません。

そういう目線であの番組を見ると、やたら、「日本が!」とか、「日本人ぜよ」などという文句が出てくるんですよね。
これって、現代日本人的には「世界が!」とか「人類が!」などというような感覚での物なのでしょうが、他国の人が見ると思うと・・・、少し違和感がありましたよ。
「おしん」ならともかく、「良いのかー、こんなの見せて」・・・と思わなくもないような。
で、同番組での西郷吉之助(西郷隆盛)ですが、大河ドラマに限らず、どこも巨漢という点で西郷役には苦心しているみたいですね。
「龍馬伝」では高橋克実さんでしたが、昭和39年の大河ドラマ「竜馬が行く」では小林桂樹さんでしたからね。

ちなみに、昭和48年、私が小学校6年のとき、当時の担任の先生(当時、40代くらい?)が皆に何かを聞いてました。
いつも授業など聞いていなかった私は心ここに在らずの上の空だったのですが、そのうち、先生も困ったのか、こういうマニアな話題ならこいつだと言わんばかりに、なぜか私が指名され・・・。
狼狽して、「は?」と言うと、「少し前にNHKでやってたでしょ。『竜馬が行く』って番組。あなたなら知ってるよね?」・・・と。
「・・・知りません」と言うと、「どうして、皆、知らないの。やってたじゃない」と宣う。
でも、どう考えても記憶にないので、「それって、いつ頃の話ですか?」と聞いたところ、「えーと、東京オリンピックの頃だから昭和39年かな」・・・と。
「先生、僕たちは昭和36年生まれですから、まだ3歳ですよ」と言うと、その先生、「え!」と絶句・・・。
その先生にとっては9年前なんてのは少し前のことだったのでしょうが、12年しか生きていない者にとっての9年というのは紀元1世紀に相当するような話なわけで・・・(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-06-28 07:58 | 時代観 | Trackback(1) | Comments(5)

「坂の上の雲」での定見無き者は長じて読めの是非 中編
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昨日の続きです。

「新聞はおまえにはまだ早い!己の意見も持たない者が他人の意見を読むと害になるばかりだ!こんな物は長じてから読め!」という秋山好古の言葉・・・。

これは、実に色々なことを考えさせてくれます。
まず、真っ先に思い浮かべたのが、昨今のネットなどに氾濫する非常に短絡的な意見の数々・・・。
以前から申し上げていることですが、過去の出来事というのは当事者で無い限り、人から聞くか、本で読むかしかなく、となれば、本当のところというのは結局、誰にもわからないことで、であれば、そこに「本当はこうだったんだ」と書いてあったとしても、「相手側の言い分」にも虚心に耳を傾けるなど、一種の平衡感覚をもって、決して盲信することなく、自分なりの真実を模索することが必要なんですよ。

その点で、司馬史観というものは、以前から、平太郎独白録 : 幕末のアイドル竜馬ならぬ坂本龍馬の実相などでも指摘してきましたとおり、「司馬遼太郎という人のあまりにも良い仕事をしすぎたがゆえの弊害」というものがあり、(司馬氏自身、生前、代表作、「竜馬が行く」を教科書で使いたいという打診があったとき、「とんでもない!あの作品は、実在の『龍馬』ではなく、あくまで、私が作り出した『竜馬』なんだ」と説明したと言われているように、自身、自らの虚影(巨影?)が一人歩きしようとすることへの警戒感があったようです。)つまり、司馬文学自体、自分なりの定見・・・、平たく言えば、小説と事実の区別が付くようになって読むべきだ・・・と。
・・・などと偉そうなことを言っても、私自身、司馬遼太郎文学にハマッていた十代の頃などは小説と史実の区別が付いていない完璧な司馬史観の信者でしたし、それは、毛沢東語録を手に「造反有理」を唱えていた紅衛兵と何ら変わりなかったでしょう。
(ただ、比較的幸いだったのは、同時に、元帝国陸軍参謀で兵法評論家であった大橋武夫氏の著作も同じくらい読んでいたことでしょうか。こちらは割と実学的でしたから。)

この点、若き日の西郷隆盛は、諸藩の士と交わる中で、とかく、「まずイデオロギー有りき」に傾こうとしたことから、その主君にして師でもあった島津斉彬はこれを憂慮した・・・と言われておりますが、その一方で、斉彬死後、島流しになった西郷は、小人が読むと佞人になるとして警戒されていた「韓非子」を持っていったとか。
西郷はそれまでのイデオロギーありきがあっさりと潰されたことから、改めて、斉彬の訓戒の意味を噛みしめたのでしょう。

で、その一方で、「長じてから読め」という部分には、昔、見積もりを作っていたとき、当時の上司から、「何をぐずぐずしている!こういう物は勘で作るんだ!」と叱責されたことを思い出します。
そのときは、何も言いませんでしたけど、内心、「じゃあ、その勘を養うのに何年かかるの?」、「今は少なくとも勘で作るべきじゃないでしょ」、「ていうか、勘を養うためにも今は資料とにらめっこするべきないんじゃないの」・・・と。
であれば、「長じるために、こういうのも読むべきなんじゃ・・・」ともいえるような気が(笑)。

後編に続きます。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-12-01 18:49 | 思想哲学 | Trackback | Comments(4)

ラスト・ハーレムにみる東西大奥事情
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連休中、当方は特にどこも出かけませんでしたが、一日だけ、ガキ連れて、福岡市近郊の山に登ってきました。
まあ、「登る」というよりも「散歩」という方が適切な程度の山でしたが、天気が良かったこともあって、それなりに眺めはよかったですねぇ。
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ただ、駐車場がどこも満車だったり、一時間待ちだったり・・・というのには辟易しましたけどね。

e0027240_1414460.jpgで、この連休中、録りだめしていた「ラスト・ハーレム」という映画を見ました。
題名の通り、オスマン・トルコ帝国崩壊時スルタン(皇帝)のハーレムを描いた作品ですが、映画自体は、テレビ用に短く縮めてしまったのか、とにかく、説明不足で展開がわかりにくい・・・ものの、日本の徳川幕府崩壊時大奥との対比という点では非常に興味深かったですね。
その上で、やはり、両者の一番の違いは、日本の大奥の場合は、皆、多かれ少なかれ、それなりの名門名家の出であったのに対し、ハーレムの場合は、そこにいる女性たちは皆、金で買われてきた奴隷だったことでしょう。

(すなわち、歴代スルタンの母親は、すべて、ロシア人ギリシャ人などの奴隷出身だったわけで、私も、このことは知ってましたが、確かに羨ましいと言えば羨ましい・・・、いや、じゃなくて、血が偏らなくて良いと言えばいいのでしょうが、何とも大胆なシステムですよねぇ・・・。)

従って、オスマン・トルコが崩壊して、革命軍がハーレムの扉をこじ開け、「もう、おまえたちは自由だ。どこへでも好きなところへ行くが良い」と言われても・・・。
皆、行く宛てがない人たちばかりであり、仕事もしたことがない、言うならば、自分でをとったことがない動物園の孔雀みたいなもので、身内が迎えに来てくれる人はまだしも、それが無い人たちは、結局、飢えを凌ぐために売春宿に行くか、スルタンのハーレムにいた女ということで見せ物にでもなるしかなく・・・。
まあ、もちろん、この映画がどの程度史実なのかはしりませんが、一応、その映画の中でも、去年の大河ドラマ「篤姫」のように、主人公はリーダーシップをとろうとするものの、現実は厳しく・・・と。
この点、日本の場合は、特に、幕末時に置いて、篤姫、和宮と二代続けて大奥のトップである将軍の正室は革命勢力の頂点の人だったわけで、ちょうど、革命軍を率いて宮城に迫る立場にいたという意味では、西郷隆盛に置ける篤姫のような人がムスタファ・ケマルにも居たならば、ハーレムの解放も、もう少し違う形で推移していたのかな・・・と思いますね。
                                        平太独白
by heitaroh | 2009-05-08 17:44 | 文学芸術 | Trackback | Comments(0)

神格視されすぎている島津斉彬の譲歩引き出し戦略
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幕末の名君として知られる島津斉彬という人物ですが、彼は愛弟子である西郷隆盛の後年の活躍から、少し、神格視されすぎている傾向があるようにも思います。
一例を挙げると、斉彬は、安政の大獄に対して、局面打開の為に軍事力をもっての形勢逆転を企図しましたが、その決断などには、少し、疑問を持ちます。
あの時点では、遅かれ早かれ、斉彬にも何らかの処分が下されたでしょうから、彼としては、他に手がなかったといえるのかもしれませんが、それにしても・・・と。

まず、斉彬には勝算があったのか?ということです。
兵力を率いて東上したとしても、途中の彦根には敵の大将である井伊直弼の井伊家が控えているわけで、直弼という人の性格からして、また、武士というものが本来、戦闘集団であることを建前としていたことを考えても、「はい、どうぞ」ということにはならなかったと思います。
おそらく、直弼は幕府大老として、諸大名に出陣を命じ、かつ、幕府兵力を動員するでしょうから、精強でしられる島津軍も「快進撃」とは行かないでしょう。
となると、島津軍は、まず、京都で朝廷を押さえる挙に出たと思いますが、すぐ傍にいる井伊家がこれをみすみす指をくわえて見過ごすはずもなく、天皇はむしろ井伊家が保護下に置いたでしょう。
その後、直弼は「島津軍に正面切って決戦を挑む」、あるいは、「そのまま薩摩に攻め込む」などというような愚かな策は採るはずもなく、斉彬が出兵した後に、斉彬と不仲の実父で先代の斉興お家安泰と引き換えに斉彬を廃嫡させればいいわけで・・・。
島津軍は精強とはいえ、孤立無援のまま、立ち枯れするように壊滅したでしょうか。

以前、誰だったか、「大塩平八郎の乱の時点で、西国雄藩の一つでも立ち上がっていたら、幕府は倒れたのではないか?」という説を唱えておられましたが、私はこの論には否定的です。
大国とは、ある日突然、衰えるのではなく、徐々に徐々に衰えていくものからです。
その意味では、何だかんだ言っても、大国のその底力は侮りがたい物があるでしょう。
(老いた大英帝国が、新興国ドイツの挑戦を二度にわたって跳ね返したことや、古代ローマ帝国が東西分裂した後も、たびたび、西ゴート族の侵攻を跳ね返したことなどがその顕著な例でしょうか。)

おそらく、斉彬も、本気で武力出兵を考えていたわけではなく、相手から譲歩を引き出すための手段として武力上洛を匂わせていたのだろうと思います。
だからこそ、鹿児島城下で出兵のための練兵を繰り返していたのではないかと。
つまり、ポーズとして・・・。
この辺は、井伊と島津の虚々実々の駆け引きだったと思いますが、「討って出るぞ!」を匂わせて譲歩を引き出す以外に、斉彬に活路はなかったでしょう。
もっともこれは、関ヶ原の戦い直後に島津氏が採った戦略でもあり、その意味では、島津氏の伝統的な譲歩引き出し戦略だったとも言えるでしょうが、相手がこれに乗ってこなかった場合、どうなったのか・・・と。
                                  平太独白
by heitaroh | 2008-07-11 08:52 | 歴史 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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>sakanoueno..
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>Mさん  そうだ..
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