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マーくん20連勝の日に摂津15勝の土橋正幸逝去を悼む
昨日、マーくんこと、楽天田中将大投手が日本ハム戦に先発して開幕20連勝を飾り、昭和32年(1957年)の西鉄ライオンズの「鉄腕」稲尾和久氏のシーズン20連勝のプロ野球記録に並んだ・・・と。
無敗でのシーズン20勝到達は史上初めてで、昨年からの連勝記録24を更新、さらに、ルーブ・マーカード(ジャイアンツ)が記録した開幕19連勝の世界記録も101年ぶりに更新だとか・・・。

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(↑福岡人的には新聞の見出しに「稲尾」の文字が並ぶと、それだけで少しウルウルっときてしまいます。ちなみに、福岡では今だに、「稲尾」ではなく、「稲尾さん」です。)

で、実は昨日は、マーくんの陰に隠れてまったく注目されませんでしたが、福岡ソフトバンクホークス攝津正投手も15勝目を挙げたんですよね。
つまり、彼は例年ならてっぺんにいる数字を残してるんですよ。
ところが、今年に限っては、上にちょっと異常な数字を残している選手がいるという「不運」があるわけで・・・。
この点で、私には思い起こされたことがあります。
それが、先頃、亡くなった往年の東映フライヤーズの名投手・土橋正幸氏の存在でした。

土橋氏は通算162勝を上げ、また、1試合での奪三振記録を打ち立てるなど、当時を代表する名投手だったわけですが、どういうわけか個人タイトルには縁がなく、特に私が生まれた昭和36年(1961年)にはパ・リーグ唯一の30勝台である30勝に加え、防御率1.90という成績を残したにも関わらず・・・です。
なぜか?この年、30勝台はいなかったけど、40勝台がいたんですね。
それが、日本記録の42勝を上げ、防御率も1.69、さらに、14敗もしていながら勝率一位も獲得してタイトルを独占した、福岡人をして「神様仏様稲尾様」と呼ばしめた稲尾和久投手の存在です。

もっとも、それほどに日本記録を更新し、投手のタイトルを総なめにしたにも関わらず、稲尾さんは1つだけ、あって当然のタイトルを逃しております。
それが、「最高殊勲選手賞」(現在は最優秀選手賞)、すなわち、M.V.P
この年、これだけの活躍をしたにも関わらず、M.V.Pは優勝した南海ホークスの野村克也氏が獲得。
(この年、野村さんが獲得したタイトルは本塁打王(29本)だけ。打率に至ってはベスト10にも入らない.291・・・。)

今ではちょっと考えられないことですが、当時は「優勝チームから選出」という制約があったそうで、2年後の昭和38年(1963年)に西鉄が優勝した際には今度はこの制約が外されいたことから、28勝を挙げた稲尾さんではなく、当時のプロ野球新記録となる52本塁打を記録した野村さんが選ばれた・・・と。
おそらく、当時の西鉄ファンは皆、釈然としないものを感じたんじゃないですかね。
まあ、ともあれ、兵どもが夢の跡、土橋翁が逝ったこの年、田中マーくんが次々に稲尾さんの記録を更新し、摂津が霞んでしまう・・・というのも、いささか、因縁めいたものを感じるわけです。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-09-07 07:17 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

太平洋クラブ球団にみるまず話題になることの是非 その1
親愛なるアッティクスへ

先日から、「記者たちの平和台」という本を読んでました。
スポーツニッポン新聞西部本社編ということで、かつて、福岡ドームが建設される前に福岡の球団のフランチャイズだった平和台球場時代の思い出をスポーツ新聞の記者氏らが綴った物で1993年頃に同紙で連載された物を再編集したものだとか。
西鉄ライオンズ黄金時代の伝説から、黒い霧事件で弱体化し、西武に身売りした話、福岡ダイエーホークスがやってきた頃の話までが描かれており、久しぶりに楽しんで読めた作品でしたね。

で、この中で、一点だけ、大いに考えさせられる部分がありました。
以前、平太郎独白録 「阪神、金本選手の世界記録達成に見るプロスポーツの本質!」で申し上げたことですが、故稲尾和久氏が太平洋クラブライオンズの監督時代、試合前に球団が本物のライオンを球場に連れてきたことに対して、同氏は著書の中で、「日本のファンサービスはとかくこうした筋違いの方向に走りやすい。しかし本当は本業でいいプレーを見せることだ・・・」と述べられ、私も、「観客は、ライオンが見たいのなら、球場へ行かずに直接、動物園に、アイドル曲芸師が見たいのなら、最初から、試合場ではなく、コンサート演芸場に足を運びます」と指摘していたのですが、この案を出したのは、実は日本人ではなく、マーティ・キーナートという当時、27歳のアメリカ人青年だったとか。
・・・この名前には私も聞き覚えがありました。
そうです、あの東北楽天イーグルス初代GMに就任しながらも、開幕してすぐに、チームの不振責任を取らされて解任された・・・あの人です。
2004年の大河ドラマ、「新撰組!」タウンゼント・ハリス役を演じた人・・・と言った方がわかりやすいでしょうか(笑)。)

この人は、それまで日本のプロ野球になかったファン・サービスという概念を初めて持ち込んだ人で、ちびっ子友の会、ライオンズの歌の公募、リリーフカーの導入、身体障害者の無料招待、全試合ファンによる始球式・・・等々、今では当たり前のことも、すべて、元々はこの人が考えたのだとか。
(そう言えば、確かに、当時、私が小学校6年くらいのときに、同級生がある日突然、やたらファンクラブに入ってましたよ。)
で、冒頭の本物のライオンの話もこの人の仕掛けだったとか。
同氏も、この件については、流暢な日本語で、「本当に野球の好きな人なら、黙ってても見に来てくれる。それだけじゃ、ファン開拓にはならない。足を向けさせる魅力が球場にないとダメ」と・・・。
そして、「もっと、ニックネームを前面に押し出さなくちゃ」と言っておられたとか。
何でも良いから、まず、話題になることをやるべきで、きれい事を言っている場合ではなかったでしょうね。
確かに、当時の太平洋球団末期的な状況を思えば、商品自体に魅力がないんだから、私が当事者でも「できることは何でもやろう」という答えを出したでしょう。
嗚呼、まったくもって身の不明を恥じ入るばかりです。

次回に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-01-23 17:36 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

その時歴史が動いた「神様、仏様、稲尾様」補足編 その2
親愛なるアッティクスへ

先般、NHKの歴史番組、「その時歴史が動いた」の中で、元西鉄ライオンズの大投手、稲尾和久氏の奮闘ぶりが採り上げられてましたが、その件で、今更ながらの続きです。
番組は、昭和33年日本シリーズで、西鉄が稲尾投手の連投に次ぐ連投で、常勝巨人を「3連敗の後の4連勝」という奇跡の逆転で破って、三年連続日本一になる・・・という部分を中心に構成してありましたが、このとき、実は、相手方である巨人の藤田元司投手も、稲尾投手と同じ7試合中6試合に登板しているんですね。
まさしく、エース意地だったんでしょう。

また、もうひとり、稲尾投手の前に立ち塞がった、巨人の新人、長嶋茂雄選手との攻防についても述べてありましたが、実は、稲尾対長嶋はこのシリーズの前にも一度、対戦したことがあったのだそうです。
それがその年のオールスターで、ところが、そのときの捕手が、稲尾さんの宿敵、野村克也現楽天監督だったそうで、稲尾さんは対戦相手の長嶋さんよりも、女房役である野村さんに球質を盗まれないことに神経を使っていたそうで、従って、長嶋さんとの対決についてはまったく覚えていなかったのだとか(笑)。

それにしても、この番組中で言っていた、「長嶋茂雄という打者は打つ瞬間にしか気配を感じさせない特異な打者であった」という表現を聞いて、改めて、今のイチローや、少し前の落合博満さんなどよりも、あるいは前の時代の大下 弘氏などの誰よりも「天才」という表現が相応しい人物だったろうと思いましたね。
おそらく、西部のガンマン同士の決闘の場にいれば、無敵だったのではないでしょうか。
それを可能にしたのは、長嶋選手が極めて、特殊な「来た球を打てる」という能力を持っていたからでしょう。
この点は、稲尾投手の高校と西鉄の先輩である河村英文投手が、後に広島にトレードされた際に長嶋選手と対戦し、ツーストライクと追い込んでから、打たれるはずがない決め球のシュートを投げたら、見事に打たれたので、どうして打たれたかわからない河村投手は、本人に聞いたところ、「いやぁ、気が付いたら打ってたんです」と答えた・・・という話があります。
このとき、稲尾さんもこれまでの打者とは違う、長嶋分析に頭を悩まし、徹夜で考えて、ようやく、朝が白んできた頃に、「もしかして、深く考えずに感性で打つタイプなのでは」ということに気づいた・・・と、生前、言っておられました。

で、その長嶋さんも、昭和49年10月「巨人軍は永遠に不滅です!」の名文句と共に引退したわけですが、先日も、10月だったからか、二度ほどBSで特集されていました。
ちなみに、昭和49年といえば、当時、中学一年生だった私にとっても、やっぱり長嶋が引退した年なんですよね。
しかも、東京ならまだしも、まだ、周囲には西鉄ライオンズ余韻が強烈に残っていた時代の福岡の子供ですから、それほど、長嶋ファンでもなかった私なのですが、とにかく、それでも、この長嶋引退というのは結構、強烈な印象として残っています。
なぜか・・・、それは長嶋引退試合が、行われたのは10月だったでしょうが、その余波はもの凄い物があり、2ヶ月後の翌昭和50年の正月のテレビは長嶋引退特番ばかりだったからでした・・・(笑)。

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by heitaroh | 2008-11-27 18:08 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

福岡ソフトバンクホークス総括 その3
親愛なるアッティクスへ

「連敗を止めるのがエースの仕事、連勝を伸ばすのが四番打者の仕事」
これは以前も申しました、かねてよりの私の持論です。

昨日の西武おかわりくん二打席連続本塁打、でかかったですねぇ。
前日の巨人小笠原、ラミレスのアベックアーチと言い、いくら、「野球は投手力」とは言っても、どれほど良い投手でも投手は毎日試合に出るわけではないんですよね。
その点、打者は基本的に、毎日、試合に出られるわけです。
となれば、チームを引っ張っていくのはやはり、野手の役割なんですよ。
王さんは、自身が偉大なる強打者でありながらも、そのことをあまりにも軽視していたように思えて成りません。

私の認識では、「野球は投手力」・・・と最初に喝破されたのは、広岡達郎氏だったように思っておりますが、以来、各球団とも、「投手力中心の守りの野球」というものを競って採り入れるようになり、それが現在の主流となっているわけですが、それはそれで、それまで不当低い地位に置かれていた投手の地位向上に繋がったという点では大いに評価して良いことだったのでしょう。

事実、たびたび、採り上げております西鉄ライオンズの伝説の大投手、稲尾和久氏はシーズン42勝を挙げ、勝利、防御率、勝率、奪三振すべての記録を独占しても、その年のMVPには選ばれませんでしたからね。
その年のMVPは優勝した南海ホークスの本塁打王、野村克也氏(現楽天監督)でしたが、逆に、その翌々年、西鉄が優勝した年には稲尾さんが28勝を挙げ、最多勝利投手に輝いていたていたにもかかわらず、本塁打新記録52本(当時)を作った野村氏でした。

で、話を元に戻すと、ホークスの今の凋落ぶり・・・というのは、つまり、井口、城島が抜けたから・・・ということが問題なのではなく、次世代の野手、すなわち、強打者を育成することを・・・、いや、獲得することを、怠ってきた・・・ということです。
川崎宗則選手がいるじゃないか」と言われるかもしれませんが、ムネリンにしても、来年はもう、28歳ですよ。
30歳近くなってくると、段々と怪我したら、治りが遅くなってくるんですよね・・・。
後は、昨年、107試合に出場し、.291を打った本多雄一選手(来年24歳)がいますが、いずれにしても、小粒なんですよね。
強打者というよりも、巧打者って感じでしょう。
他は・・・となると、昨年、142試合に出場して、17本塁打打った松田宣浩選手がいますが、彼にしても、来年は26歳ですし、数字でも物足りません。
本来は、25歳以下でホームランを20~30本くらい打っているようなイキが良いのが2~3人いなきゃいけないんですよ。
それが見あたらないから問題なわけで・・・。

そんな状態だということを考えたら、「オリックスと揉めてまで、投手のパウエルなんかを獲得するくらいなら、同じピークを越えた選手でも、ローズでもカブレラでも打てる外国人選手を獲得することを考えろよ・・・と、そう、思いましたよ。

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by heitaroh | 2008-11-06 10:05 | スポーツ | Trackback | Comments(6)

その時歴史が動いた「神様、仏様、稲尾様」補足編 その1
親愛なるアッティクスへ

e0027240_15265599.jpg以前、平太郎独白録 : ついに歴史上の人物になってしまった稲尾さんでもご紹介していたように、去る先月の24日、NHK総合「その時歴史が動いた」という歴史ドキュメント番組で、あの、西鉄ライオンズの大投手にして、昨年、逝去された稲尾和久氏の奮闘ぶりを描いた「奇跡の大逆転!神様、仏様、稲尾様 〜稲尾和久 奮闘の日々〜」が放送されました。
ご覧に成られましたでしょうか。

(←この放送のチラシです。稲尾さんが「歴史上の人物」になった記念すべき瞬間を示した物ですので、永久保存版にすべく、数枚もらってきました。お入り用の方がありましたら、おわけしますよ(笑)。)

で、この放送はもちろん見ましたし、録画して、永久保存版にしようかなと・・・とも思っていたのですが、まあ、マニアからすれば、かなりかいつまんだ内容でしたので、少々、物足りないところがあり、どうしようかな・・・と思っているところです。
(むしろ、歴史番組ということで野球に興味のない人にも見てもらわなくてはならない・・・ということであれば、逆に、もう少し工夫は必要だったのかな・・・と思えなくもありませんが・・・。)
で、拙稿では、以前から、稲尾さんのことについては少なからず採り上げてきたこともあり、少し捕捉をしておきたいと思います。

まず、稲尾さんの入団のとき、西鉄ライオンズのスカウトが稲尾さんの評判を聞きつけて入団交渉に来た・・・ということでしたが、実際には、稲尾さんに目を付けたのは南海ホークスのスカウトであり、それを知った西鉄側が半ば南海への嫌がらせで獲得に動いたというものだったとか。
だから、最初から、まったく期待などされるはずもなく、野手の打撃練習のためのバッティング投手をさせられることになったのだと。
ちなみに、稲尾家では契約金を見て、家族中、ぶったまげたと言いますが、実は、この年の目玉選手は、小倉高校から入団した、甲子園の準優勝投手・畑 隆幸氏(ムツゴロウ先生の従兄弟)であり、入団後、畑投手の契約金を聞いて、稲尾さんは自分とのあまりの差に絶句したとか。

次に、昭和33年日本シリーズ3連敗から逆転の4連勝を飾ったことだけを採り上げられてましたが、この年、西鉄はシーズン中も一時は南海ホークスに大差を付けられ、今年は絶望的と言われていたところを、今年のオリックスのように、後半、ぐいぐいのし上がってきて、逆転優勝しています。
そのため、西鉄の三原 脩監督は、今年は優勝は無理・・・ということで退団して、大洋ホエールズの監督に就任する意向を固めており、球団側も引き留めるつもりはなかったのだとか。
それが優勝し、さらに日本一にまで成ったことで、退団することが出来なくなり、三原氏の大洋入りは一年遅れることになる・・・と。

それから、稲尾さんは、毎年、シーズン中の連投疲れからか、シーズン・オフになると、高熱を出して寝込んでいたそうですが、この年に限って、それが日本シリーズ前に出たのだとか。
従って、第一戦長嶋茂雄選手を中心とする巨人打線に打ち込まれた・・・とは言っても、実際にはそういう状態だったのだとか。

また、後日、続きます。
                                平太独白
by heitaroh | 2008-10-07 17:24 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

福岡三越の「よみがえる西鉄ライオンズ」展に行ってきました
親愛なるアッティクスへ

e0027240_14444848.jpg今、福岡三越でやっている「よみがえる西鉄ライオンズ」展(←)に行ってきました。
ちょうど、所用で天神まで行く用事がありましたので、ついでに、ちらっと覗いて来よう・・・という程度のつもりだったのですが、なかなかにどうして、結構、見応えがありましたよ。

e0027240_1453194.jpg昔懐かし、白黒テレビでは昭和33年西鉄ライオンズ巨人日本シリーズダイジェストを放送しており、この前には結構な人だかりができてました。
まるで、街頭テレビ状態(笑)。
さすがにお年寄りが多かったですけどね。

e0027240_1572944.jpg広さも結構、あって、じっくり見てたら、いつのまにか、2時間近く経ってたのにはびっくりでした。

思わず、このまま、西鉄ライオンズ記念館か何か作って、永久展示してくれればいいのに・・・と思いましたね。
e0027240_14571163.jpg←当時のチケットです。
これではわからないと思いますが、今の野球のチケットと比べると、ひとまわり、いや、だいぶ大きいですね。
まあ、昔は、お札も大きかったですから、財布も大きく、それに合わせたということだったのかもしれません。

e0027240_151309.jpgちなみに、当時も、しっかり、プラチナチケットだったようで、写真には平和台球場の前でチケットを買い求めるもの凄い行列が写ってましたね。

←でもって、背番号24といえば、言うまでもなく、神様仏様稲尾様稲尾和久投手のものです。
下に見える円盤形の物は、盾でしょうか、昭和33年の「日本選手権シリーズ最優秀選手賞」の記念品だそうです。
また、手前のは、同じく、「日本選手権シリーズ優勝記念像」と現役時代のスパイクだそうです。

他にもマニア垂涎の品が多々・・・(笑)。

展示品は、西鉄ライオンズに関する物だけではなく、当時の福岡市内の様子、親会社である西鉄の当時のCMなども流されており、いやいや、とにかく、満喫してきました(笑)。
本当に、西鉄ライオンズ記念館作ってくれないかな・・・。

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by heitaroh | 2008-09-06 17:26 | スポーツ | Trackback | Comments(5)

ついに歴史上の人物になってしまった稲尾さん
親愛なるアッティクスへ

NHK総合で毎週水曜に、「その時歴史が動いた」という番組が放送されているのですが、ご存じでしょうか?
ちなみに、今日、平成20年9月3日は「シリーズ日本降伏 前編 焦土に玉音が響いた ~8月15日・終戦決定までの道程~」となっています。
まあ、私のような歴史オタク向けの番組ですね(笑)。

ところが、その翌週、平成20年9月24日の放送予定を見て、驚愕しました。
何と!「奇跡の大逆転!神様、仏様、稲尾様 〜稲尾和久 奮闘の日々〜」なのです。
おそらく、今年の北京オリンピックで413球の力投を見せた上野由岐子投手が「神様仏様上野様」と賞賛されたことで、急遽、採り上げられることになったのではないかと思うのですが、元西鉄ライオンズの大投手、稲尾和久氏が採り上げられることには、未だに、飲んで稲尾さんの話をすると感極まってしまう私としては感慨深い物があります。
ちなみに、その翌週は、「信長、討つべし 〜浅井長政 知られざる闘い〜(仮)」で、その前週、つまり、再来週は、「名君の改革に異議あり! 〜徳川宗春 華麗なる反乱〜」すから、稲尾さんも、織田信長や、尾張公・徳川宗春と並んで、ついに歴史上の人物になってしまったのか・・・と。

でも、こういう歴史番組でしか、稲尾氏の功績が顕彰されないということにも、少し、首を傾げるところではあります。
思えば、15年ほど前でしょうか、確か、東京、大阪、名古屋、福岡、札幌の五都市を中継で結んで、各地の「記憶に残るスポーツ名場面集」みたいな番組をやっていたことがあるのですが、その中で、多くは「貴花田、千代の富士を破る!」とか、「昭和60年の阪神優勝」、「巨人、最終戦で優勝決定」とかだったのに、福岡だけが、なぜか、堂々一位が「西鉄ライオンズ、奇跡の逆転日本一!」・・・でした。
ところが、東京のスタジオでは、若いグラビアアイドルか何かのおねーちゃんが、「何これ?」と眉をひそめながら一言、コメントして終わり・・・。
とまあ、大体が、福岡の老人だけの自虐的自己満足のような扱いだったのですが、当時の西鉄ライオンズと、稲尾氏の活躍というのはもっと、正確に顕彰されて良いと思います。

今からちょうど、50年前の昭和33年、西鉄は巨人を相手に3連敗からの4連勝逆転日本一に輝いたわけですが、当時の巨人とは今の巨人と同じに考えてはいけませんよ。
昭和26年から昭和34年までの9年間リーグ優勝8回、つまり、昭和29年の中日を除いて、すべて、巨人が日本シリーズに出てきていたわけで、しかも、昭和31年に西鉄と当たるまでは、日本シリーズに出場した年はすべてに日本一でもあったわけです。

ところが、31,32年と日本シリーズで西鉄に二年連続で日本一を許してしまい、これは、「勝利決まったろう」こと、正力松太郎が率いる天下の大巨人軍としては、あってはいけないことだったわけで、讀賣、ひいては、そこに牛耳られた球界としては、後継の西武が西鉄、太平洋、クラウンとはまったく関係なく、新規で立ち上げた球団という形にしたことも含めて、徹底的にこの「負の歴史」タブー視してきた・・・と。
だからこそ、稲尾さんと西鉄ライオンズの伝説は、こういう、「歴史番組」で採り上げられざるを得なかった・・・ということに、複雑な想いがあるわけです。

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by heitaroh | 2008-09-03 08:16 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(6)

神サマ仏サマ上野サマ!413球の熱投!
親愛なるアッティクスへ

いやあ、やりましたね。
北京五輪でのソフトボール金メダル!
球技での日本金メダルはまだ4度目・・・というのはも少し意外でしたが、それも全部バレーボールばかりで、それ以外での競技の金メダルは初めてだったんですね。

e0027240_10184825.jpgで、それはさておき、これって、福岡の新聞だけだったんでしょうか?
今朝の朝刊にこういう見出(←)しが躍ってました。
無論言うまでもなく、2日間3試合413球を投げぬいた福岡市出身のエース、上野由岐子投手の記事ですが、私は、この見出しを見たときには思わず、胸に詰まるものがありましたよ。

「神様仏様」とは、もう、今ではあまり、知る人もいなくなったのでしょうが、平太郎独白録 : 創って欲しいな稲尾賞などで、たびたび採り上げております、昨年、急逝された、かつての西鉄ライオンズの大投手、稲尾和久氏の代名詞だったわけですよね。

昭和33年日本シリーズ7試合中6試合に登板し、来る日も来る日も投げ続け、疲労困憊しながらも、常勝・巨人に競り勝ち、西鉄を奇跡の逆転優勝へ導いたときに、ファンが福岡の平和台球場で稲尾投手に対し送った称号だとか。
今回の、上野投手の踏ん張りはまさしく、これではなかったかと。
ボロボロになりながらも、世界一の常勝・アメリカに挑み、明日からのことなど考えていない・・・。
(ちなみに、今、西武ライオンズ西鉄ライオンズ復刻ユニフォームで試合したりしてますが、あれは、私としては、どうしても抵抗を覚えます。西武西鉄の流れを汲む球団とはいえ、ソフトバンク南海の歴史を継承しているのと違い、西鉄の歴史を継承してない球団なんですよ。つまり、言うならば、今まで、散々、「あいつらは関係ない」と言ってたやつらが今更?!・・・と。)

思えば、稲尾さんが「神様仏様稲尾様」と呼ばれ、福岡の街を熱狂させたのは、今から、ちょうど50年前なんですね。
50年後、そして、その稲尾さんが亡くなった翌年、まるで入れ替わるかのように福岡出身の上野投手が「神様仏様上野様」の称号に相応しい大車輪の活躍が・・・。

で、毎度言ってることですが、今の日本のプロ野球にもっとも欠けているものがこれだと思うんですよ。
「彼らは技術を売っているんじゃなくて、感動を売っているんだ・・・」と。
今日の星野JAPANも、「この後ではやりにくい」なんて言わないで、是非、頑張ってもらいたいものです。
一人で400球も投げるわけじゃないんでしょうから・・・。

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by heitaroh | 2008-08-22 08:55 | スポーツ | Trackback(4) | Comments(8)

同年代、オバマと牛島と「スコアボードに神がいる」論
親愛なるアッティクスへ

e0027240_10595814.jpg昨夜はここで呑んでいたみたいです。
どうしても思い出せないんですが・・・(笑)。
で、過ぎたことは及ばざること・・・で、気持ちを切り替えて、本日のお題です。

バラク・オバマ候補の勝利宣言ですが、ちなみに、彼は、「初の黒人大統領候補」・・・というよりも、私にとっては、「初の同い年の大統領候補」でもあります。

で、同年と言うことで、どこかで意識している有名人となると、私の昭和36年生まれというのは、どうにも地味な世代のようで、あまり、パーッとしたのがいないんですよね・・・。
まあ、海外では、何と言っても、「ダイアナ妃」なのですが、そもそも、あまりにも、あらゆる意味で遠すぎて、何だかとても意識する対象ではないですし、国内では・・・というと、芸能界では何と言っても松田聖子ちゃんですが、女性はあまり、同年意識の対象にはならないんですよ。

で、男性となると、中井貴一渡辺 徹「とんねるず」くらいで、イマイチ、光りが乏しい・・・
プロ野球では、今の松坂世代のように、自分たちの世代を代表する選手というと・・・、巨人・岡崎、広島・長冨、ヤクルト・高野・・・とやはり、パッとせず・・・。
(6歳上が江川世代、6歳下が桑田・清原世代・・・で、まさしく、中ダレ状態。)
そういう意味では、「ドカベン香川」甲子園でバッテリーを組み、中日ドラフト一位で入団した、前横浜ベイスターズ監督牛島和彦君(?(笑)。)でしょうか。
甲子園のスターとして女性についても、華やかな噂を多々、耳にしましたが、彼については野球人として興味深いエピソードを聞いたことがあります。

度々、取り上げさせて頂いております西鉄ライオンズの伝説の名投手・稲尾和久氏が、中日投手コーチをやっていた時代、若手投手を集めて、「0-0の同点で九回裏2死満塁、カウント2-3。さあ、お前なら何を投げるか?」と質問したことがあったそうです。
すると、皆、それぞれに、「ど真ん中のストレート」とか、「落ちる球」などと言っている中、ただひとり、牛島だけが、「すいません。2-3になった経過はどうなんですか?」と聞いてきたとか・・・。
確かに、そういう前提がはっきりしていないことには、どういう球を投げるかということは決められませんよね。
それどころか、実際には、その時の、グランドの状態、三塁ランナーの、自軍の守備力、守備陣の陣形・・・言い出したらきりがないくらいに計算しなければならない要素があるわけで、それを聞かずして、「何を投げますか?」などと聞ける方がおかしいんですよ。

この点では、かつて、大投手、金田正一氏は、現役時代、スコアボードを指さして、「あそこに、わしの神様がおる」と言っていたといいます。
確かに、スコアボードというのは、考えようによっては、もの凄い、情報量が詰まった、ある意味、「神様」なんですよね。
果たして、それを使いこなせているかどうかが、一流になれるかどうかの「差」となって顕れているのかも知れません・・・。

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by heitaroh | 2008-06-06 08:54 | スポーツ | Trackback | Comments(6)

創って欲しいな稲尾賞
親愛なるアッティクスへ

福岡ドームスーパーボックス、ついに、今年一杯で廃止だそうですね。
跡は一般席に改造されるのだとか・・・。
まあ、さもありなんでしょうか。
発想自体が、完全にバブルの発想でしたし・・・。
でも、これで、他球場並みに4万人を超える収容能力を持つことが出来るわけで、後は、問題はホークスがそれに相応しいゲームをしてくれるか・・・でしょうか。

ところで、先日、日本人初のメジャーリーガーとして知られる、マッシー村上こと、村上雅則氏が、新聞に記事を寄せておられたのを、たまたま、見るともなしに見たのですが、そこには、「球界は昨年、逝去された稲尾和久氏の功績に対し、稲尾賞を設けるべきだ」という旨のことが書いてありました。
・・・実は、これこそは、私が中学生の頃(昭和50年頃)から思ってきたことのひとつでした。

まず、既存の、投手の活躍を賞する賞としては、伝説の大投手、沢村栄治投手の名前を冠した「沢村賞」というものがありますが、私が中学生当時は、これは、セ・リーグの投手だけが受賞の対象で、パ・リーグの投手はいくら素晴らしい成績を残しても、その対象とはなりませんでした。
(沢村賞とは、元々、昭和22年(1947年)、巨人の御用雑誌・「熱球」一企画として始まったものであったことから、昭和25年(1950年)の2リーグ分裂後は巨人が所属するセ・リーグの選手だけが対象だったのだとか。ちなみに、パ・リーグの選手にも対象が拡大されたのは平成元年(1989年)から・・・。)
というわけで、当時、「だったら、パ・リーグはパ・リーグで何か独自に賞を設けろよ・・・」と言いたかったわけで、であれば、パ・リーグの投手で賞に名前を冠するとしたら、今後、永遠に破られることはないであろう、シーズン42勝5年連続30勝を挙げた、元西鉄ライオンズ投手・稲尾和久氏の「稲尾賞」しかないだろう・・・と思ったわけです。

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(↑かつての西鉄ライオンズの聖地、平和台球場の現在、正面に見える風景を隣に残る平和台陸上競技場から撮った画像です。私が中学時代には、毎年、ここで体育祭をやってたんですけどね。)

で、沢村賞が、沢村栄治投手のような「先発完投型の本格派投手」が選考対象であることを考えれば、稲尾賞は、鉄腕と呼ばれた稲尾和久投手に鑑み、投球回数登板試合数著しい成績を残した者を賞すべきではないか・・・と。
ちなみに、昭36年(1961年)、稲尾さんが42勝挙げた年のデータを挙げておきますと、
「78試合登板 25完投 7完封 42勝 14敗 勝率.750 投球回数404
308被安打 22被本塁打 72与四球 6与死球 3暴投 353奪三振 防御率1.69」となっております。

で、今、福岡ソフトバンクホークスの新人、大場翔太投手が投げているときに、アナウンサーが「平成の鉄腕」連呼するのですが、これには、私的には、どうしても抵抗があります。
「あんた、何試合投げたの?」って・・・。

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by heitaroh | 2008-05-07 00:28 | スポーツ | Trackback | Comments(8)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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